今日は、先月の22日に始まった「文庫で学ぶ京都」3回シリーズの2回目の講座を聞きに、京都リビング新聞社まで出かけました。

先月は『京都魔界巡り』というおどろおどろしい内容でしたが、今日は『京都スタァ名鑑 女性編』。

京都の華麗な歴史を彩ったいろいろな時代の女性たちの人物像に迫るというもの。

講師の先生は、先月と同じのイケメン先生です。


今回の講座は、紫式部、小野小町、静御前など、よく知られている女性のオンパレードでした。

が、私が一番心に残ったのは、檀林皇后

嵯峨天皇の皇后です。

彼女は、小野小町と並ぶほどの美貌で、仏教を篤く信仰し、温厚で慈悲深い女性だったそうです。

その檀林皇后が、死に際して

「私の亡骸は、風葬にして下さい」

と望んだといいます。

これは、大自然の中へ身を帰すという葬り方で、亡骸を野にさらすので蛆がわいて、それに虫がたかり、獣がその肉を食べたりもします。

まさに残酷極まりないやり方。

私からすれば、言語道断だと思うのですが、檀林皇后には彼女なりの考えがおありになったのでしょうね。


で、その檀林皇后を描いた掛け軸が檀林寺(彼女が建立したお寺)に所蔵されているといいます。

それなら、さぞ美しい姿で描かれているのだろうと思ったのですが意外や、これが衝撃的なものでした。


その檀林皇后が描かれた掛け軸を、「九相図」といいます。

それには9つの絵が描かれています。

生前の美しい檀林皇后

病に臥せっているお姿。

その亡骸を野にさらして風葬としたところ。

それに蛆がわいたところ。

獣に亡骸を食べられているところetc.

彼女が亡くなってから土に還るまでの状態をすべて9つの絵にして描きあげたものなのだとか。


これは何のためにあるかというと、修行中の若い僧侶たちの煩悩を断ち切るために使われているらしいのです。

「見よ。こんなに美しい女でも、死するとこのように蛆がわき、獣が肉をむさぼり、汚れ果てる。なんと空しいものであることよ。」

とでも言って教えたのでしょうね。


小野小町の九相図も各地にあるそうで、どちらも時々公開されているそうです。

同じ女として、このあまりのひどいなされように憤りを覚えました。

彼女たち二人の人格は尊重されないのでしょうか?

あの世で二人はこれをどう感じて見ているのでしょう。

切ない話です。


また、小野小町。

実は美人ではなく、怨霊だったので恐れられ、美人や名歌人に祭り上げられたのではないか、との説も披露されました。


怨霊といえば、平清盛の娘、悲運の人である建礼門院徳子の怨霊の掛け軸というのがあるそうです。

彼女の姿が描かれたもので、一時黒く塗りつぶしたらしいのですが、怨霊のたたりか、年々上を覆った黒い色がはげてきて、彼女の姿がくっきりと浮かび上がって来ているのだとか。

「お寺では、『怨霊の掛け軸』などとは言ってはいないので、参拝の際はくれぐれもそんな事を口にしないで見て下さい」

と言っておられました。


京都に長く住んでいても、こんな恐ろしい話が身近に転がっていたなんて、今まで全く知らずに来ました。

今日の講座もやはり前回と同じく「魔界巡り」とも呼べそうな内容で、つくづくこの地は歴史が長いだけに因縁のからんだおどろおどろしいもので溢れているのだなぁ、と再認識しました。

私の住んでいる京都・・・。

ほんとにつくづく奥の深い、いにしえの都なのですね!


いつも唇にうたを

今日は、頑張って3時間もかけてこのブログの記事を書きました。

そして佳境に入り、もうすぐ完成だという時、なんのはずみかBack Spaceを押してしまいました。

このブログを書いている皆さんならお分かりかと思いますが、その瞬間、画面が一瞬にして真っ白に!

そうです、私の3時間の必死の努力は、一瞬にして水泡に帰してしまったのです!

もう脱力感でしばらく茫然自失・・・・。

もちろん、下書きをしつつ書かなかった自分が悪いのは分かっています。

分かっているんですが、分かってはいるんですが、アメブロにそれでも言いたい!


私の3時間を、返せ~!!


そんな訳で、今日は詩を一編だけお届けして、もう寝ることにします(涙)


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                《くち》


            いわなかったことは

            いったことの

            たいがい いつも

            なんばいかだ


            それに

            いったことは

            たいがい いつも

            いうまでも なかったことだ


            で くちも

            くちで ありうるわけか

            こんなにして

            ぐちる ときだけは

            くちらしい くちで


                          

                              ~まど・みちお~



いつも唇にうたを

今日は夜から雨が降ってくるそうです。

だから急いで買い物を済ませたのですが、外の空気の冷たいこと。

こんな日はお汁粉やおでんなど、あったか系の食べ物が欲しくなります。


そんな心まで冷え込みそうな冬の日。

北原白秋の詩集を一人、ひも解いてみました。

しみじみとしたなつかしい気分にさせられます。


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                   《落葉松》



                     一


             からまつの林を過ぎて、

             からまつをしみじみと見き。

             からまつはさびしかりけり。

             たびゆくはさびしかりけり。


                     二


             からまつの林を出でて、

             からまつの林に入りぬ。

             からまつの林に入りて、

             また細く道はつづけリ。


                     三


             からまつの林の奥も

             わが通る道はありけり。

             霧雨のかかる道なり。

             山風のかよふ道なり。


                     四


             からまつの林の道は

             われのみか、ひともかよひぬ。

             ほそぼそと通ふ道なり。

             さびさびといそぐ道なり。


                     五


             からまつの林を過ぎて、

             ゆゑしらず歩みひそめつ。

             からまつはさびしかりけり。

             からまつとささやきにけり。


                     六


             からまつの林を出でて、

             浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。

             浅間嶺にけぶり立つ見つ。

             からまつのまたそのうへに。


                     七


             からまつの林の雨は

             さびしけどいよよいづけし。

             かんこ鳥鳴けるのみなる。

             からまつの濡るるのみなる。


                     八


             世の中よ、あはれなりけり

             常なけどうれしかりけり。

             山川に山がはの音、

             からまつにからまつのかぜ。


                                   ~北原白秋


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北原白秋は、九州の水郷柳河の生まれ。

57歳でこの世を去るまでに、彼はいろいろな顔を持っていました。

すなわち詩人、童謡民謡の作者、歌人の三つの顔です。

よく知られているところでは、「雨はふるふる・・・」で始まる『城ヶ島の雨』が最も有名でしょうか。

『からたちの花』も、今も多くの人に愛唱される名歌です。


上記の詩は、とても長いものですが、しみじみとした旅情の中に彼らしい日本語の美しい表現が印象的です。

声に出して読んでみると、さらに心に深くしみいって来る素晴らしい詩です。


いつも唇にうたを

三連休も終ってしまいました。

家族はみんな仕事で留守。

紅葉狩りにでも行こうかとふと思いましたが、南禅寺近辺に出かけた知り合いによると、

「ラッシュアワー顔負けの混みようだった!」


で、紅葉もあきらめて家で一人、歌の練習をしたり本を読んだりして過ごしました。

寒い日が続くので、こたつにもぐるのが極楽。

でも難点は、ついおやつを口に運んでしまうこと。

こたつの恐ろしい罠ですね。

冬が終った時が恐ろしくなります。

心を鬼にして、おこた(京都ではこたつを『おこた』という)から脱出しないと!

ウォーキングをして体力づくりをすると誓ってから数日しか経っていないのに。

いい加減自分のぐうたらさとお別れしたいです!


三連休に読んだ本の一冊に「Happy(しあわせ) 名語録」という本があります。

作者は『ひすいこたろう+よっちゃん』

ひすいさんは、コピーライター。

よっちゃんは、構成作家。

この二人の選び出した言葉の数々が、なんともHappyにしてくれる言葉ばかり。

その中の一つをご紹介しましょう。


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「あなたが死んだあと、天国で神に何と言って迎えてもらいたいですか?」

この質問に対して、映画監督スティーブン・スピルバーグは何と答えたと思いますか?

同じ質問に多くの人は「『Come in!』(いらっしゃい!)と言ってほしい」と答えていました。

では、スピルバーグは?


よく耳を傾けてくれたね


天国で神さまにそう言って迎えてもらいたいそうです。


ちなみにジョン・レノンは詩のインスピレーションが生まれたときに、「神さま、ありがとう」と言っていたとか。

一流のアーティストには、作品は「作り出すもの」ではなく「いただくもの」だという意識があります。

そして、ひょっとしたらアイディアだけでなく、この命もいただきもの、なのかもしれません。


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日本人は無宗教だとよく言われます。

でも、神という名ではなくとも、目には見えない大いなるものに対する畏敬の念は

いつも持つべきだと私は思っています。


人はその偉大な何かの力によって生かされている。

その存在から様々な恩恵を受けている。

そしてその大きな存在はいつも私たちのことをはるか高みから見守り続けている。


そう意識することが出来たら、この自分の存在自体を傷つけるような余りにひどいことは安易に出来なくなると思います。

目に見えないものの中にこそ、真実がある

それを忘れたら、自分の一番大切な何かを失ってしまう気が私にはするのです。


いつも唇にうたを

今日は冷たい雨のそぼ降る一日。

散歩をかねて近所の本屋へ出かけました。

そこで面白い本を見つけ、ちょうど図書カードがあったので買ってきました。


『名言の正体~大人のやり直し偉人伝』山口智司著。


歴史を彩る偉人たちが残した珠玉の名言をたどり、その本当の姿を探るという内容。

エジソンあり、聖徳太子あり、マリー・アントワネットありと、バラエティーに富んでいます。

その中でも、私がショックだったのは福沢諭吉のこの言葉。


天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず


あまりにも有名な言葉であり、

「人間みな平等」という素晴らしいメッセージだと、今の今まで私も思い込んでいました。

しかし、それがどうも違うらしいのです。


慶応義塾を創設した福沢諭吉が書いた『学問のすすめ』に出てくるこの言葉。

続きはこうです。

「されども今広くこの人間世界を見渡すに、

かしこき人あり、おろかなる人あり、

貧しきもあり、富めるもあり、

貴人もあり、下人もありて、

その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

その次第甚だ明らかなり。

実語教に、人学ばざれば智なし、

智なき者は愚人なりとあり。

されば賢人と愚人との別は、

学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」


明治の言葉遣いですから、こむずかしいのですが、これを平たく言うと、

『人は生まれながらには同じはずなのに、

結果的には、賢者にもなり愚人にもなり、

貧しくもなれば富豪にもなる。

生まれながらには貴賎貧富の区別はないのに、

ただ学問をしっかりとやり知識をつけたものは出世し、

無学のものは貧乏となり、下層に属するようになるのである』

と、こんな意味。


つまり、負け組になるのはちゃんと勉強しないからそうなるのであり、自己責任なんだよ、と言っているらしいのです。

でもそんなことを言われても、貧しい生まれで上の学校へ行けなかった人はその頃もいた筈なのに、(今もそうですが)上から目線で何となく冷たい感じ。

前の首相の麻生さんが、「金持ちは庶民の気持ちが分からない」と評判が悪かったですが、その感覚と少し似ている気がします。


一万円札を見るたびに、「人権派の立派な人だ」と尊敬の念を禁じえませんでしたが、もうこれからは冷めた目で見るようになるでしょう。


この本には他にも今まで常識だと思っていたことがひっくり返ってがっかりするような

ショッキングな真実が多く載せられています。

冬の雨や雪の日、こたつにもぐって一人でゆっくり読むのにちょうど良さそうです。


さて、今日の一編の詩も言葉の意味の恐ろしさについてのものです。


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              《 うつくしい ことば



            たのしそうに 口にしあっている

            ーーともだち

            という うつくしい ことばを


            ともだちで ないものには

            しらんぷり しておこうよ 

            という いみにして・・・


            しみじみ つぶやきあっている

            ーーにくしん

            という しみじみした ことばを


            あかの たにんなどは

            ほっとこうよ

            という いみにして・・・


                                ~まど・みちお~


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いつも唇にうたを