関西の小企業の社長の独り言 -4ページ目

三菱銀行人質事件

この写真を見て、ピンと来る人は今60代以上でしょう。Wikipediaによると。1979年(昭和54年)1月26日に、単独犯人の梅川昭美が大阪府大阪市住吉区万代二丁目の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入した。客と行員30人以上を人質として立てこもり、警察官2名、支店長と行員、計4名を射殺(国内での人質事件では初の人質に死者が出たケースとなった)した。

当時大学生だった私はTVにかじりついて見てました。浅間山荘事件以来の人質銃立てこもり事件。堺の帰りにその現場に行ってみた。建物は当時のままらしいが、右側にあった人質が運ばれた非常階段は無くなっていた。この犯人は少年時代に強盗殺人事件を起こしているが、銃の許可を取っていた。その散弾銃で銀行強盗を企てた。今は銃の許可は非常に厳しく、最低でも半年はかかる。逮捕歴、前科歴等も調べられ、近所の人や職場にも人物調査が入る。前科も執行猶予でもダメ。脱税等もっての外、脱税は死刑の国もあるほど重罪。45年前となると緩かったのでしょう。この事件で注目したのは、年長の行員が撃たれ瀕死の重体だったが、死んでいる事を確かめる為に若い行員に耳を切り取らせる事を犯人は命令した。若い行員は泣いて断ったが、自分も殺される恐れがあったので「すみません。」と言ったら、年配の行員は「かまわん、切れ」言った。耳の半分ぐらいを切って梅川に差し出すと、口に入れ「まずい!」と言って吐き出した。年配の行員はその後、出血が多く気を失ったが、何とか命を取り留めた。自分の血で床に「○(妻の名前をイニシャルで書く) ツヨクイキロ コドモタチモツヨクイキロ」と遺言を書くも、後から流れ出る血液で遺言は消えたそうです。


 

広島サミットに思う事。

原爆を広島、長崎に落としたのは何処の国!?バイデン大統領の国だろ!しれっと「核兵器を永遠になくせる日に向かって共に進んでいこう」?その前に原爆を落としたことへの謝罪、反省が先だろう。

まあ、絶対に謝罪、反省など無いだろう。アメリカはそういう国。その国に日本は今だ防衛頼み。

今でもアメリカ国民の多くは日本に原爆落としたことは正義だと思っている。原爆を落とすことにより戦争が終わり、何百万人ものアメリカ兵の命が救われたと言うのだ。アメリカは戦争が終わる前にどうしても原爆を使いたかった。ヤルタ会談の時には原爆は完成しており、ルーズベルトがスターリンに上機嫌で「いつ日本に攻め込むのだ」と聞いている。「8月の後半ぐらい」とスターリンが答え。ルーズベルトそれまでに落としてやろうと決意した。これは、アメリカの強さを戦後の世界に知らしめるためのもの。また、広島にはウラニューム型、長崎にはプルトニュウム型と違う種類の原爆を使い威力の違いを検証。これは全く人体実験だった。こういう話は学校でも教えないし、知らない日本人も

多い。広島、長崎はそれまで日本中が通常爆弾で空襲され、焼け野原となっている中、全くの無傷だった。

それは、原爆候補地とされていて、原爆だけの効果を見たかっただからだ。よく京都、奈良などは歴的文化財があるから空襲が無かったと言う人がいるが、全くのデマ。京都、奈良も原爆の候補地だった。子供のころ原爆ので被った人の為の保証金をもらう原爆手帳なるものニュースを見たとき。その保証金は原爆を落としたアメリカが払っているのかな思ったが、とんでもない落とされた国の日本政府が払っているのを知って驚いた。

今考えると、面白いが、子供心にはそう思ってしまったのは無理ないかもです。悪いことした者が償う。

当たり前の事。それが出来ないのがこの世界。

”【特別増刊・拡散希望】恩人”