先日、こんな記事を書きました下矢印
 
 

 

 

私の思う、「大切にあつかわれる」は

自分の声をちゃんと聴いてもらえること。

 

 

自分の声っていうのは

 

自分の立場から経験した、

自分固有の事情を、

自分の言葉で語る

 

ことだと思っています。

 

と、本文中に書いています。

 

 

 

今回この記事をわざわざ引用したのは

もう少し言いたくなったことがあるからです。

 

 

 

 

 

2019年の、京都アニメーション放火殺人事件。

 

先日、判決が出ましたね。

 

 

彼のしたことは、もちろん絶対に許されることではないし

失われた命はあまりに多いです。

 

 

 

ですが、この彼の犯した罪については

いったん脇においておきます。

(裁判所で判断していただくことです)

 

 

 

 

 

 

報道で耳にした彼の生い立ち。

 

あまりにも凄惨なものだと感じました。

 

 

彼のどうにもならない事情、

どんな不当な体験を強いられたか、

どんな気持ちで生きてきたか、

口にできないどんな思いを抱えてきたのか

 

そんな環境の中でも、どんなことをやりたいと思い

どんなときに少しの楽しさや嬉しさを感じ

自分の人生にどんな期待を持っていたのか

本当は、どんなふうな人生を望んでいたのか

 

言葉にできる機会はあったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

誰かひとりでも、耳を傾けてくれる人と

たった一度であっても

言葉にできる機会にめぐまれていたなら

 

もしかしたら今回のような事件にいたらなかったのではないかと

悔やまれてなりません。

 

 

 

誰だって、自分の思いを言葉にして

その言葉を大切なものとして

受け取ってもらう権利があると思う。

 

 

 

「理不尽だったね」「不当だったね」「不公平だったよね」って

その苦しさと現実を誰かが目をそらさずに

一緒にしっかり見てくれるだけで

 

それだけで、救われることってたくさんあるのです。

 

 

 

 

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