高2長男さんは、
自分の意志で学びなおしを始めました。
理解があやしかった
小学校高学年あたりからの内容を
自習&家庭教師の先生とともに
取り組んでいます。
あんなに勉強嫌いで
取り組むのが大変だったのに・・
本人の気持ちが大切とは本当ですね。
時期が来ればやる
本人が必要性を感じればやる、
というのも
本当だったんだな、と
驚きとともに見守っております。
長男さんとお勉強のエピソードは
このへんの記事をどうぞ
「ふつう」を目指す努力~親子で「ふつう」になりたくて、すごく苦しかった時の話①~
努力は報われない~親子で「ふつう」になりたくて、すごく苦しかったときの話②~
「ふつう」を夢見ることすら許されない~親子で「ふつう」になりたくて、すごく苦しかったときの話③~
ぼろぼろに傷ついて、居場所をなくした~親子で「ふつう」になりたくて、すごく苦しかったときの話④~
私は、長男が勉強に困っていた当時は
本当に知識もなく
ただただ一緒に困ってしまったなぁと
今になって後悔していることが
たくさんあります。
もっとあのときこうしていれば、
あんなふうに対応してあげてれば、と
考え出せばキリがなく
この罪に関しては
死んでからエンマ様に罰してもらおうと思っているのですが
ま、それはおいといて。
一番大きいのは、
どんなふうに困っているのか
ちゃんと理解してあげればよかった
という後悔です。
そのうえで、勉強に取り組みやすくなる
環境なりサポートなりを
調整してあげればよかった。
一口に「勉強に困っている」と言っても
どこでつまづいているかは
その子その子によってさまざま。
でも、当時の私は
そういうアセスメントの方法を知らなかったし
「勉強が苦手」ということを
どういうふうに見ていけばいいかわからなかったのです。
当時の私にできたのは
「無理してやらなくていいよ」という
言葉をかけることだけでした。
もっと早くに
長男さんに沿ったサポートをしてあげていれば
あんなに苦しめなかっただろうと思うし
もっと早くに本人の気持ちも
勉強に向いていたかもしれません。
苦手だからやらなくていいよ!は
優しさではなかったな・・と
今になってよく思います。
私が、考えることや試行錯誤することを
放棄してしまっただけなのでは?って。
今、スクールカウンセラーをしていますが
困り感のある子どもたちに対し
「無理しなくていい」
という考えも大切に持ちながら
「どんなサポートがあればがんばれるか?」
ということも
同時に持っておきたいと思っています。
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