昨年1月、母が肩の手術を受けたときのことです。
 
昼過ぎから夜までかかり、
無事に終了との連絡が病棟に来て
担当の看護師2人とともに
手術痕室まで向かったのですが・・
 
 
一緒に向かった看護師のひとりが
 
ご結婚は?されてるの?
 
と唐突に私に聞いてきました。
 
 
 
 
 
内心、
面倒だな・・と思いつつ、
 
 
 
もう8時間ほど病院に待機して
疲れ切っていたのですが、
この後も母がお世話になることを考えると、
 
していますニコニコ
 
と当たり障りなくにこやかに返答。
 
 
 
いや、ほんとうは離婚してんだけどね。
話ながくなると面倒だから。
 
 
 
 
 
 
そこで終わるかと思いきや、次は
 
子どもは?
 
とな。
 
 
 
3人です
 
上から?男?女?
 
全員男ですけど
 
ああーーーーゲロー
女の子ひとりはいないと!!
女の子はね、一緒に出掛けたりできて頼りになるのよ!!
今から!がんばるしかないわ!がんばらな!!!
 
そうですね。女の子いたらいいですよね
 
 
 
 
 
 
うん、よくわかった。
 
 
何がわかったかって、
この看護師が
 

何に興味があり

どんな話を聞きたいと思っていて

どんな価値観をもっているか

 

ということが。

 
 
 
そしてもうひとつ。
 
 
話を聴かれる側は、
質問を発した側が満足するような返答を考えて
合わせてくれていることが往々にしてある
 
ということも実感。
 
 
 
いろいろと突っ込ませてもらうと、
子どもがほしくても授かれない方もいれば、
授かっても亡くしてしまう方もいる。
 
女の子がいたって
障害や病気を抱えていることもあるわけで、
一緒に出掛けたりということが叶うケースばかりではない。
 
そもそも、結婚だって、デリケートな部分。
 
相手の事情がまったくわからないのに
これだけの質問を繰り出せる無神経さはすごいっす。
 
 
 
 
 
 
質問って、
実は質問する側を丸裸にするのです。
 
 

 

話を聴く というと、

受け身の活動のように感じますが

実はそうではありません。

 

 

 

相手の話の中から

 

“ある表現を聴くものとして選び、

他を聴くべきものではないこととして選択している”

(えぬぱっく小誌 NO.1)

 

のです。

 

 

 

 

 

全然受け身ではないんですね。

 

 

私たちは自分から、

人の話をどう聴くかを

自分の価値観に従って選んでいるんですよ。

 

 

人の話を聴くとき、

意図的かどうかは置いておいて、

 

どの部分を聴こうとしているか

どの部分を聴いたのか

どんな話を聴こうとしてどんな質問をしたかは

 

自分自身の選択によるものです。

 

 

 

そこには、自分が人生で何を大切に思うのか、

カウンセラーであれば、どのような実践をしようとしているのか

 

そういうことがしっかりと現れてくるんです。

 

 

 

 

 

 

だから、質問に注目すれば、

その人がどんな価値観を持っているかは

十分すぎるほどわかってしまうし、

 

質問に答えてくれたからといって、

相手がその話をしたいと思っているとは限らない。

 

 

合わせてくれているだけ

という可能性はいつも考えるべきです。

 

 

 

カウンセリングにおいても

私はこの考えを大切にしているし、

 

自分がどうありたいか

どんなカウンセラーでいたいのか

ということは、

いつも振り返るようにしていますニコニコ

 

 

 

カウンセラーとしてどうありたいか

 

という信念や信条が

カウンセリングの質そのものを左右するからです。

 

 

 

 

 

 

 

カウンセラーの価値観や信条が

傾聴の質そのものを左右する、という話は

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こんにちは、野村涼子です!

大阪と京都の真ん中、高槻市で小さなカウンセリングルーム《雨の庭》をやっています。

元精神科看護師・公認心理師です。

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