『神曲』煉獄登山54.煉獄山に聳える禁断の樹木 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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   煉獄の第6環道には、現世にいた時に大食と美食によって身に着けた肉塊をすべて削ぎ落として、骨と皮だけになった霊魂たちがいました。では、その霊魂たちは、どのような方法で現世の肉をすべて取り除いているのでしょうか。今回は、その方法を考察してみましょう。

   巡礼者ダンテと先達ウェルギリウスは第5環道から第6環道への登り道で浪費の罪を浄め終えた古代ローマの詩人スタティウスと出会いました。そして、ウェルギリウスが同じ辺獄にいるキリスト教以前の善良な詩人たちや哲人たちや英雄たちの話をスタティウスに聞かせながら第6環道に入りました。ダンテも、その二人の古代ローマ詩人が交わす対話を楽しみながら、彼らの後について進みました。すると、突如として次のような大樹が目の前に現れました。

 

 

   だがそのすばらしい論議がはたと止(や)んだ。馥郁(ふくいく)と香る木(こ)の果(み)をたわわにつけた樹(き)が一本、道の中央に生えている。誰も登らないようにという配慮からかもしれないが、樅(もみ)の樹(き)が上へゆくにつれて枝まわりが細くなるなっていた。(『煉獄篇』第22歌 130~135、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   しかし、ある一本の樹木が(ウェルギリウスとスタティウスの)議論を止めた。私たちは、その木を道のまん中に見出した。そして、その木を甘美で美味な香りのする果実を着けていた。そして、モミの木は枝から枝へ上に向かって上がれば上がるほど細くなるが、その木は下へ向かうほどそのように(=細く)なっていた。なぜならば、人が上へ登らないようにするためである。

 

   地上に生えているすべての樹木は、先端が細くて地面に近づけば近づくほど枝を広く張った三角形をしています。しかし、煉獄の第6環道に聳え立っている木は、根元が細くて上に上れば上るほど枝を張った逆三角形をしている、と描かれています。その木は、「モミの木abete)」に喩えられているので巨木を連想させます。しかし、「美味しそうでさわやかな香りのするodorar soavi e buoni)」樹木であると表現されているので、果樹であることは確かです。ということは、煉獄に生育している木は、逆三角形をした巨大な果樹なのです。しかも、根元が細くなっているのは「人間が登らない( persona sù non vada)」ようにするためです。すなわち、人間を拒絶する果樹なのです。さらに、その煉獄の果樹が現世のものと異なっているのは、養分を地中に張った根によって吸収するのではなくて、次に描かれているように上部から取り入れていることです。

 

   道の山ぞいの側の高い巌(いわお)からは清らかな水が淙々(そうそう)と降り注いで、その梢(こずえ)の青葉をうるおしていた。二人の詩人がその樹に近づくと、葉隠れから一声たかく叫ぶのが聞こえた。「君らはこの果(み)を食べてはならぬ」 (『煉獄篇』第22歌 136~141、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私たちの(煉獄の)環道がそこから仕切られている断崖の高い岩壁の上から一筋の澄んだ水が降り注いでいた。そして(水は)葉の上から散布されていた。二人の詩人(ウェルギリウスとスタティウス)は、その木へと近づいた。すると、一つの声が、枝葉の中を通って大声で怒鳴った。「この食物には欠乏をするべし」。

 

   煉獄の七つの環道は、それぞれが高い断崖絶壁で厳重に隔離されていて、守衛天使の許可なくしては次の環道へ移動することはできません。そして、第6環道に聳えている果樹には、「高い岩壁の上からde l’alta roccia)」水が降り注がれています。ということは、第7環道よりも上の何処かにその水源があることになります。しかし、その場所は詩人ダンテによって示されてはいませんので、読者が推測する他はありません。ただし、私の現時点での読解力ではその場所を発見することができません。この絶壁のすぐ上の第7環道は、情欲の罪を浄めるために猛烈な火炎が燃えさかる場所なので、水は存在しません。するとその上で煉獄山の頂上にあたるエデンには、木々の緑にも、新鮮な空気にも、美しい草花にも、そして清らかな水にも恵まれています。それゆえに、第6環道の樹木に降り注ぐ水は、エデンにその水源があると、私個人は想定しています。そして当然にその水には神の霊力が含まれているので、その水分を吸収した果樹には豊富に果実が実っています。しかし、その果樹は霊魂たちに憩いを与えるものではなく、木に近づく者に対して「この食べ物には食禁を守れDi questo cibo avrete caro)」と、大声で怒鳴りつけます。すなわち、それは禁断の果実をつける木だったのです。

 

煉獄に聳える禁断の果樹

 

   煉獄第6環道に聳える大樹と激痩せの関係については、フォレーゼ・ドナーティがその場所の解説役になって、先ほど通り過ぎてきた逆三角形の大樹について次のように話し始めました。

 

   すると彼が答えた、「永遠の〔神の〕御意志から力が降(くだ)り、それがいま通り過ぎた樹(き)と水の中へはいりこんだ。それでこうもこの身が痩せ細るのだ。ここにいる連中はみな泣きながら歌を歌っているが、生前度を過ごして食道楽に耽(ふけ)ったから、ここで飢(う)えと渇(かつ)えにあって身をもとの通りに浄(きよ)めている。(『煉獄篇』第23歌 61~66、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   (そして彼は私に答えた)永遠である神の配慮により、神能が水の中へ浸透して、また後ろの状態になった(=通り過ぎてきた)木の中へ浸透している。その結果として、私はこんなにも痩せている。度を超えて貪食をし続けたために、涙を流しながら歌っているところのここのすべての人々は、空腹と喉の渇きによって、ここで再び神聖になるのです。

 

   高い岩壁の上から降り注ぐ水には神の霊が含まれていて、それが逆三角形の大樹の上に降り注ぎます。そして、それが「度を超えた貪食la gola oltra misura)」によって太った身体を「空腹( fame)」と「喉の渇きsete)」によって痩せさせる能力を発揮します。では、具体的にどのような神聖な作用によって現世の汚れた肉を削ぎ落として神聖な存在になるのかは、次のように表現されています。

 

   青葉いっぱいに降りそそぐ水と、果実からただよう芳(こう)ばしい香りが僕らの飲み食いの欲望をそそる。そしてこの環道を回るたびに、僕らは一回ならずその苦痛を覚える。苦痛といったが、慰藉(いしゃ)というべきなのかもしれない、なぜかといえば僕らを樹下へ引いてゆく願いは、キリストがその血でもって僕らを救われた時に、喜んで『エリ』といわれたのと同じ願いだからだ。 (『煉獄篇』第23歌 67~75、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   果実から出る芳香と、その緑の葉の上一面に広がる水しぶきから出る芳香は、飲むことや食べることの欲求をかき立てている。一度だけでなく、この環道を回る度毎に私たちの苦痛は新しくなる。私は苦痛と言ったが、慰藉と呼ぶべきであろう。なぜならば、喜んで「エリ」と叫ぶキリストを連れて行ったあの(同じ)欲求が私たちをあの木の所へ連れて行くからである。あの時、(イエスは)彼の血によって私たちを救い出した。

 

   この煉獄第6環道の大樹は、芳しい香りを放つ果実と緑葉に覆われています。それらは霊魂たちの食欲を掻き立てています。しかし、そこに聳えているのは禁断の果樹なので、その葉から滴る水を飲むことも、そこに実っているのは果実を食べることもできません。そして、飢餓を覚えたまま、何度も繰り返し第6環道を回ることになり、回るごとに欲求が増大して行きます。そして、すべての贅肉を削ぎ落として骨と皮だけになった時に、第6環道での浄化は完了します。それはまた、アダムとイヴが禁断の果実を食べたことによって犯した「原罪」を浄めることに通じます。

 

   上で提示した詩行の最後の二行(74~75)は、難解です。私の個人的な解釈を提示しておきましょう。

   74行目の関係代名詞 che の先行詞は、霊魂たちを木の所へ連れて行く「あの欲求 quella voglia’」です。そして、その欲求とは、イエス・キリストが「彼の血によって私たちを解放する時quando ne liberò con la sua vena)」に、すなわち十字架刑に架けられて「エリ」と叫んだ時のイエスの欲求(強い望み)のことです。では、イエスが「エリ」と叫んだ場面を聖書中で確認しておきましょう。

 

   しかして、第6ホーラから暗黒が国全土の上に引き起こされて、第9ホーラごろまで続いた。そして、その第9ホーラごろ、イエスは大声で叫んで言った、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と。それはすなわち「我が神よ、我が神よ、なぜです?なぜに、あなたは私を見捨てたのですか?」という意味である。(『マタイによる福音書』第27章45-46、筆者訳)

〔原文解析〕

〔注釈〕

   新約聖書の世界時間は、ダンテの時代と同じです。すなわち、『神曲』の中で使われている時間と上の『マタイによる福音書』の時間は、現代の私たちが使っている時間とは異なります。

   ダンテの時代の一日とは、日の出から日没までの太陽が天空に存在している時間帯のことで、それを12等分します。そして、その1等分を「オーラ(ora)」と呼びました。言うまでもなく、ギリシア・ラテン語の「ホーラ(hora)」、英語の「hour」と同類の単語です。そして、その12等分したものを3オーラごとに4分割した長さを「テルツァ(terza)」と呼んでいます。(まだ、適切な日本語の訳語がないので、私の独断と偏見で「限時」と訳しておきます。)ということは、昼間は4限時で成り立っています。そしてさらに、1限時を半分に割って、それを「半限時(mezza terza)」と呼んでいます。下に貼付する解説図を参照して見てください。

 

『神曲』煉獄登山27.第2環道出口の通過時間:「ダンテの時代の時刻表」を参照。

 

   当時の時刻に従えば、上に引用した『マタイによる福音書』の中で、イエスが十字架に架けられた時に全土が暗黒になった「第6オーラ(sexta hora)」は、現代時間では「正午ごろ」です。そしてまた、イエスが最後の言葉を発した「第9オーラ(nona hora)」は「午後3時ごろ」ということになります。

   イエスが「エリ」と叫んで十字架上で息を引き取る場面は、新約聖書の中で最も重要な個所であることは誰も否定できないでしょう。そして、「我が神よ、なぜ私を見捨てたのかDeus meus, ut quid derelilquisti me)」という言葉は、イエスが「神であるのか」それとも「人間であるのか」という問題を引き起こす根拠になっているかも知れません。ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar)』やニコス・カザンザキスの小説で後に映画化された『キリスト最後の誘惑(Last Temptation of Christ』などに描かれている新キリスト像は、上出のイエス最後の言葉に起因することが大きいかも知れません。ただし、ダンテも私たちダンテ読者も、その問題は見て見ぬ振りをして避けて通ります。

   『マタイによる福音書』の中に記述された十字架刑の場面を見るかぎり、『神曲』の中の「喜んで‘エリ’と叫ぶキリストCristo lieto a dire  ‘Elì )」像を連想するのは困難です。しかし、私たち神曲の読者は、人間の罪を背負って十字架の受難を引き受けるイエス像だけを認めます。そして、イエスが「彼の血によって私たちを解放したne liberò con la sua vena)」のは人間のどのような罪かといえば、それは「人間の原罪」です。では、その原罪とは何かといえば、定説通りアダムとイヴが「知識の木の実」を食したことです。すなわち、その二人の人間の始祖が初めて犯した罪は、「貪食の罪」だったのです。ということは、煉獄第6環道で浄化している罪は、人間が犯した最初の罪すなわち「原罪」なのです。その第6環道の霊魂たちは、アダムとイブが食べてしまった禁断の果実を食べないことによって貪食の罪を浄めているのです。

 

煉獄第6環道のもう一本の禁断の大樹

 

   第6環道には、同じ禁断の樹木が二本あります。最初の木の場所からしばらく進むともう一本の樹が、次のように見えてきました。

 

   折しも曲がり角にさしかかった私の目に、もう一本の樹(き)の青々と繁った枝が、ほど遠からぬあたりに見えてきた。 (『煉獄篇』第24歌 103~105、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   それほど遠くない所で、ただ単にその時、そこで振り返ったから、もう一本の樹の生き生きと葉の繁った枝が現れた。

 

 

 

   そして、その木の下の方を見ると、次のような霊魂たちの姿が目に入りました。

 

   見ると人々が樹下(じゅか)で両手を上に差しのべて、まるで物をねだるわがままな子供たちのように、葉の繁みに向かって訳のわからぬ事を叫んでいた。皆が物乞いをしても、乞われた方は返事をしなかった。それどころか皆の望みをさらに強く唆(そそ)ろうとでもするかのように、望みの品を高く掲げて隠そうともしない。 (『煉獄篇』第24歌106~111、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私は見た、人々がその(木の)下で、手のひらを上に持ち上げて、葉の方へ向かってはっきりとは何か分からないことを大声で叫んでいるのを(私は見た)。それはまるで、熱望してねだったが駄目だった幼児のようであった。その幼児は懇願するが、懇願された方は返事をしない。それどころか欲求がますます激しくなるようにさせるために、幼児らの欲求を強くしたまま、それを隠そうとしない。

 

   アダムとイブがサタンの誘惑に負けて禁断の木の実を食べた行為は、人間の原罪になりました。イエスが十字架上で死んだのは、その人間の原罪を贖うためでした。そして、煉獄第6環道にいる霊魂たちも現世で犯した貪食・美食の罪を浄めているのですが、同時にそれは人間の原罪を取り除いていることになるのです。そこにいる霊魂たちは、幼児が物をねだるように禁断の果実を求めるのですが、食べることも飲むことを許されないので、骨と皮だけに激痩せするのです。先達ウェルギリウスに随行してダンテとスタティウスもその禁断の木の根元に近づきました。すると、その大樹は次のように警告しました。

 

   ここへ近寄るな、通り過ぎろ。エバが果(み)を嚙(か)んだ樹はこの上手(かみて)に生えているが、この樹はその樹から分かれて生えた。(『煉獄篇』第24歌 115~117、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   近づくことをしないで通過して先へ進め。エヴァによって喰われた樹は、もっと上の方にある。こちらの樹はあの樹から株分けされたものだ。

 

   煉獄第6環道に生えている二本の樹木は、アダムとイヴがその果実を食べた樹と同類ではあっても、すなわち「あの樹から株分けされたsi levò da esso)」樹であっても、その樹そのものではないことが判明します。原初の人間に最初の罪を犯させた果樹がある場所は、ここ第6環道よりも「さらに上の方più sù)」、すなわち煉獄山の頂上にあるエデンの園なのです。そして、アダムとイヴが食べた禁断の果実を実らせていた木の現在の有様は、次のように描写されています。

 

   皆が低い声で「アダム」と囁(ささや)くのが聞こえた。そしてどの枝を見ても葉も花もない一本の樹(き)のまわりを取り囲んだ。その梢(こずえ)の繁みは、高く上がるにつれて周りへ張り出していたが、インドの森林に住む人でも舌を巻かずにはいられないほどの高さだった。 (『煉獄篇』第32歌 37~42、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私は、「アダム」と全員でつぶやくのを聞いた。それから、どの枝からも、葉も花も果実も落とされている一本の樹木を彼らは取り囲んでいた。その(木の)細枝は、上に行けば行くほど一層ますます広がっていて、彼ら(=インド人)の森の中にいるインド人たちによっても、その高さに関しては感嘆されることであろう。

 

   エデンに聳えている禁断の大樹も、第6環道に立っている二本の果樹も「上に行けば行くほどますます広がるLa coma sua・・・tanto si dilata più quanto più è sù )」同じ形状の逆三角形をしています。それは、第6環道の二本の果樹がエデンの親木から根分けされたものであることを意味しています。ただし、根分けされた方の第6環道の果樹は果実をたわわに実らせているのに対して、アダムとイヴが食べたエデンの果樹は、葉も実もつけない丸坊主なのです。しかし、その樹は、「インド人にもびっくりされる(for a da l’Indi・・・ammirata)」ほどの巨大のものでした。では、ダンテは、禁断の木の高さをどの程度だと推測していたのでしょうか。その答はウェルギリウスの作品『農耕詩』の次の詩行の中にあると言われています。

 

   あるいは大洋により近いインドの密林―― そこは地球のはずれの一角で、いまだかつてそんな矢も、空を切って木のてっぺんに達したことはなかった、といって、その種族は、矢を射ることにかけては手練(てだれ)であるのだが。 (ウェルギリウス『農耕詩』第2巻 122~125、河津千代訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   または、オケアノスに隣接したインドが作り出すところの森林。(インドは)地球の最果ての奥まった所。そこでは、木の天辺の上の空中を、どのような矢を射上げても、まったく越えることができなかった。そして、あの民族(インド人)は、取り扱われし矢(=矢を取り扱うこと)に関しては確かにまったく愚鈍ではなかった。

 

   ダンテの時代には、インドは地球の陸の部分の最東端でした。因みに、最西端はジブラルタルになります。そして、地球の周囲はオケアノスという大洋に取り囲まれていました。ダンテの描くオデュッセウスは、その大洋を航海しました。中世時代という科学と文化を冷凍保存した時代のおかげで、ウェルギリウス(紀元前70~前19)の地球とダンテの地球の形状はそれほど変わっていません。両詩人の間には千三百年以上の隔たりがあっても、インドは地球の東の果てでした。それゆえに、両者にとって、インドは「オケアノスに隣接したインド(Oceano propior India)」だったのです。

 

      古代から中世を通して、インドは未知の国であり、巨大な樹木が茂る広大は森林に覆われていたと信じられていました。ウェルギリウスはそれらの巨木の高さを、「弓矢を取り扱うことに関してsumptis・・・pharetris)」すなわち「弓矢の技」に秀でたインド人でも、矢を木の上空を越えさせることができない高さだと言っています。そして、エデンに聳える禁断の木の高さは、高い木を見慣れた「インド人にもびっくりされる」ほどの高さであった、とダンテは言っているのです。


   現代においては、「禁断の果実の林檎説」が最も主流です。7世紀後半に古代英語(アングロサクソン語)の詩人カドモン(Caedmon, 657頃 – 684頃)によって書かれた『創世記』の一節に「災いに林檎、死の樹の果実(Æppel unsælga, deáþ-beámes ofet)」と「禁断の果実=林檎」説が登場します。そして、その林檎説を世界に広くメジャーな説として普及させたのがミルトンでした。彼が36歳(1644年)の年に出版した『アレオパジティカ(Areopagitica)』の中で「善と悪の知識が双生児のようにくっついてこの世にとび込んできたのは、われわれ人類の始祖によって食べられたリンゴの皮からである ( It was from out the rinde of one apple tasted, that the knowledge of good and evill as two twins cleaving together leapt forth into the World) 原田純訳」と、林檎説を明らかにしております。しかし、「禁断の果実は林檎である」というマイナーな説を、後世の私たちが常識であるかのごとく信じるようになったのは、『失楽園』で歌われたのが始まりだと言えるでしょう。一方、ダンテの描く禁断の果樹は、強弓の名手インド人をもってしても矢を届かせることができない巨木です。それゆえに、少なくても林檎ではないでしょう。