『神曲』煉獄登山50.煉獄と地獄は紙一重 | この世は舞台、人生は登場

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第6環道へ上る石段にて、二人のローマ詩人の会話

 

 

   『神曲』の煉獄登山も残り二つの環道だけになりました。煉獄門を通過したとき天使によって額に刻まれた「罪(peccato)」を意味する七つの「P」文字も、第5環道を出た時には二つの文字に減っていました。それぞれの環道の出口では、守護天使によって文字を消す模様が描写されて来ました。しかし、この第5環道ではその儀式が描かれないまま、次のように出口を通過しています。

 

   私の額から罪の文字を一字消して、私たちを第六の圏へ送りこんだ天使は、はや私たちの後ろはるかとなった。その天使は私たちに「幸なるかな義を求め義に渇く者は」といったが、その言葉は「義に渇く者は」で止み、そのほかはいわなかった。 (『煉獄篇』第22歌1~6、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   天使はすでに私たちのまったく後方にいる状態になっていた。(その天使とは、私の)顔から一筆(の文字)を剃り落としてから、私たちを六番目の環道へ向かわせた天使のことである。そして、正義に対して彼らの欲求を持つ(=正義を求めたいという願望を持つ)者たちは至福である、と彼(天使)は言った。そして彼(=天使)は、「渇いている」と言う以外に他のこと(=言葉)は無く、そのこと(=言葉)で終わった。

 

   第五環道で貪欲と浪費の罪を浄め終えた霊魂のための祝福の歌は、イエスによって「八つの幸福( Beatitudes)」について説かれた「山上の説法Sermone Domini in monte)」の中の第4福「正義に飢えて渇いている者たちは祝福される。なぜならば、彼ら自身が満足させられるから(原文および全文は下の添付文を参照)」でした。ちなみに、第一環道を出る時の歓送の言葉は第1福、第二環道は第5福、第三環道を発つときは第7福、第四環道から第五環道へ向かうときには第3福が歌われました。そして煉獄修行の最終行場である第七環道において炎に焼かれる直前には第6福の「心の清い者たちは幸いであるBeati mundo corde煉獄27歌8」と歌われて、エデンの楽園に到着します。

 

イエスによる山上の垂訓

  ※ 詳しい原文の説明は、私のブログ『ペトラルカと英国詩人のアナフォラ修辞法』を参照。

 

貪欲と浪費(放蕩)

 

   第5環道で浄化されるのは貪欲と浪費の罪です。そして、その浄化を成就した霊魂への見送りの言葉として、上の「正義に飢えて渇いている者たちは祝福される」と第4福が歌われます。確かに第5福の文言は、貪欲と浪費の罪の浄化とは少し整合性に欠けることは否定できませんが、ダンテたち一行はその歌で第五環道から見送られました。そして第六環道へ通じる石段を登る途中で、スタティウスから彼自身が貪欲ではなく浪費の罪で第五環道に長く留め置かれたことを、次のように語り始めました。

 

   実は私は貪欲で無さ過ぎたのです。それも度外れて〔浪費癖となって〕いたから、それで数千ヵ月もの間罰を喰(く)らったのです。 (『煉獄篇』第22歌 34~36、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

直訳〕

   今、知ってください。貪欲は私から余りにも離れていた(=疎遠であった)。そして、何千ヶ月もの年月がこんなにも(酷い)不節制(=浪費)を罰してきた。

 

   スタティウスは、貪欲とは正反対の「不節制dismisura)」すなわち「浪費」の罪を浄化させられていました。そこでの「数千ヶ月migliaia di lunari)」という滞在の長さは、彼が告白していたように「500有余年cinquecento anni e più煉獄21歌68」でしたので、正確には6000ヶ月以上ということになります。

 

   スタティウスは、さらに続けて、彼が浪費の罪を悟る契機になった言葉について次のように述べています。

 

   貴君が人間の本性にたいし半ば憤(いきどお)りを発し、「おお黄金を求める聖(きよ)らかな飢えよ、なぜおまえは人間の欲望を正しく導こうとはしないのか?」と叫んだその詩句を読んで忽然(こつぜん)と会得(えとく)し、私が迷妄を脱することがなかったならば、いまごろは〔地獄で〕荷を転がして悲惨な勝負をしていたはずです。その時私は、手を開けすぎて費(つか)いすぎることもあるということに気がつき、他の罪と同様、この罪を犯したことの非を悔いました。 (『煉獄篇』第22歌 37~45、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   人間の本性に対してまるで怒っているかのように、あなたが「黄金に対する呪われた(または神聖なる)渇望よ、何故に汝は人間の欲望を支配しないのか?」と叫んでいるのを耳にした時、もしかりに私が(その言葉に)関心を示さなかったならば、私は今は転がしながら哀れな一騎討ちを感じていることでしょう。その時、手は使うために余りにも翼を広げすぎることがある。従って、あの者の罪(=貪欲の罪)と同様のもう一方の罪(=浪費の罪)を私は後悔した。

 

   スタティウスが浪費の罪を悟る切っ掛けになったのは、キリストの言葉ではなくウェルギリウスの詩句でした。それは、「黄金に対する神聖なる渇望よ、何故に汝は人間の欲望を支配しないのかPer che non reggi tu, o sacra fame de l’ oro, l’ appetite de’ mortali)」というウェルギリウスの言葉でした。その言葉のラテン語の原文は次の『アエネイス』の個所です。

 

   おまえが人の心に無理強いできぬものなどあろうか、黄金への呪われた渇望よ。〔『アエネイス』第3巻 56~57、岡・高橋訳〕

〔原文解析〕

〔直訳〕

   汝が、死すべき人間の心に強要しないものが何かあるだろうか、黄金への呪われた(または神聖な)渇望よ。

 

   上の詩句にある「サケルsacer)」というラテン語の形容詞は、「神聖な」という意味の他に「呪われた」という反対の意味も持っています。上の『アエネイス』の中で‘sacer’が使われている場面は、トロイア王プリアモスが息子ポリュドロスをギリシアから守るために莫大な黄金を添えてトラキア王ポリュメストルに預けましたが、不利な状勢になった時、ポリュドロスを殺してしまう、という場面です。それゆえに、ウェルギリウスの叙事詩に使われている‘sacer’は、文脈的には「呪われた」という意味になります。しかし、ダンテは「呪われた」と「神聖な」の両義性の込めて使っていると推測されます。「金」は貯め込めば「貪欲の罪」になり、使いすぎれば「浪費・放蕩の罪」になります。すなわち、黄金は「呪われたもの」にもなり「聖なるもの」にもなるという意味に解釈されます。

 

 

煉獄と地獄

   幸運にもスタティウスは、ウェルギリウスの詩文の中に悟りを見いだしたので、地獄堕ちは免れて煉獄に来ることができました。前出のスタティウスの言葉は、ウェルギリウスへの感謝を表したものです。さらに、その言葉がなければ、彼は地獄へ堕ちて、巨塊を「転がしながら現実に哀れな一騎討ちをしているvoltando sentirei le giostre grame)」と告白しています。そして、その「哀れな一騎討ち」とは、地獄の第4圏谷で罪人たちに科せられている刑罰のことです。そこでの責め苦がどのようなものであったかを確認してみましょう。

 

   地獄の第4圏谷は、現世で貪欲の罪と浪費放蕩の罪を犯した亡者たちが拷問を受けています。その模様は次のように描写されています。

 

   渦巻くメッシーナ海峡で波は波とぶつかって砕けるが、その波もさながらに、ここにいる連中は渦を巻いて踊っている。見ればここにはよそよりも大勢の人間がいる。こちらの側でも向こうの側でも、呻(うめ)きながら、胸で押して重たい荷を転がしている。双方は出会(であ)いが頭(がしら)に殴(なぐ)りあい、挙句にもと来た方へその荷を転がして引き返し、罵声(ばせい)を交(か)わす、「なぜ貯(た)める?」「なぜ費(つか)う?」 (『地獄篇』第7歌 22~30、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   ぶつかり合う波と共に砕けるところの波が、メッシーナ海峡の大渦巻きの上のそこでは波が動く。そのようにここ(第4圏谷)の人々(=亡者たち)は回らなければならないのである。そこで、私は、他の場所よりもはるかに多い人たちを見た。そして、一方の側ともう一方の側で、大きな怒声をあげて、胸の力で重い塊を転がしている。彼らは、向かい合って殴りあっていた。そして続いて、まさにその場所で、各人が向きを変えた。「なぜ、蓄財する?」そしてまた「なぜ、浪費する?」と叫びながら後ろ側へ転がしていった。

 

フェラーラの細密画(ヴァティカン図書館所蔵)

 

   日本語では「圏谷」と訳されることが多い地獄の区域は、イタリア語では「チェルキオCerchio)」と呼ばれています。英語では「circle)」と訳されているように、それぞれの圏谷は絶壁の谷で隔離されたドーナッツ状の平地になっています。その第四圏谷という地獄では、貪欲を罰せられる罪人と浪費家の罪人が二手に分けられて重い荷物を転がしながら衝突します。そして、それぞれの二組の罪人たちは、衝突したらまた引き返して、圏谷の向こう側でも同じ様にぶつかって「なぜ、貯める」、「なぜ、使う」と非難しあいます。その回る様子は次のように説明されています。

 

   こうして向かいの点まで右まわりも左まわりも、恥知らずの悪態を繰り返し浴びせあいながら暗黒の圏谷(たに)に沿ってまわる。そしてその点まで来ると、ぶつかって踵(きびす)を返し、また次の衝突のためにそれぞれ圏谷(たに)の半周を引き返す。 (『地獄篇』第7歌 31~35、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   この様にして、彼らは暗い圏谷を通って各々の方向から反対側の場所へ引き返していた、恥ずべき言葉をふたたび叫びながら。次に、めいめいの者は、到達する(=ぶつかりあう)と、各人の半円の方へ次の接触のために方向転換していた。

 

   以上のような混乱した状況を見たダンテは、ウェルギリウスにここの亡者は誰なのかを尋ねました。すると先達は次のように説明しました。

 

   彼らはみなひどく心が歪(ゆが)んでいたから現世(げんせ)ではどうしても、ほどよく金を使うことができなかった。表裏(ひょうり)をなす罪に従い連中は圏(わ)の二点で二分されている。その点へ来た時に、彼らが喚(わめ)く声でその事がはっきりとわかるだそう。生前法王や枢機卿(すうききょう)だった者もいる。貪欲(どんよく)飽くないのはこうした者の中に一番多い。 (『地獄篇』第7歌 40~48、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   皆が皆すべての者が、最初の命(=現世)のときは心に分別がなかったので、何ひとつあちらでは適度に出費することはしなかった。正反対の罪が彼らを真っ二つに分けるところの圏谷の二つの地点に来ると、大変はっきりと、彼らの声はそのことをののしりあっている。ここの者たちは、聖職者であった。彼らは頭に毛の覆いもの(=頭髪)を持っていない、教皇や枢機卿である。貪欲は彼らの中でその多くなる特性を実践する。

 

   この地獄にいる亡者は、「現世で適度に出費をしなかったcon misura nullo spendio ferci)」という罪を犯した「極度の貪欲者」と「極度の浪費家」で、それぞれ対極に位置する罪人たちでした。そして、ダンテ独特の風刺を込めて、その筆頭に「聖職者cherci)」を上げています。ダンテの地獄の中で聖職者が最も多いのは、第8圏谷の第3壕の中だと推測されます。それに次いで、この第4圏谷にも多くの高位聖職者が、ダンテによって堕とされています。 

 

プリアモ・デッラ・クェルシャ聖職売買者

 

 

頭髪が無いのは聖職者だからではありません。

 

   ダンテの政敵だった者の中には教皇などの高位の聖職者が多いのは確かです。しかし、「頭部の毛の被り物coperchio piloso al capo)」すなわち「頭髪」がないことが聖職者の象徴ではありません。この地獄の第4圏谷にいる教皇が坊主頭なのは、彼らが「貪欲と浪費」の罪を犯したからなのです。その坊主頭の原因は、過度の浪費を咎めるスタティウスの言葉の中で、次のように述べています。

 

   だが無知のために、生きている間も、いや末期(まつご)の際(きわ)にさえも、後悔をせず、そのために髪を剃(そ)られて、生まれ変わる者がまたなんと多いことか! (『煉獄篇』第22歌 46~48、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   何と多くの者が、無知が原因で切除された頭髪と共に(=頭髪を切除されて)生まれ変わることだろう。その無知は、生存している時も臨終の間際も、この(浪費の)罪を悔悟するのを妨害する。

 

   上の詩句の「頭髪を切除されて生まれ変わるrisurgeran coi crini scemi)」とは、最後の審判の時に浪費・放蕩の罪人は所有物をすべて剥がされるだけでは許されず、髪の毛一本さえもすべて剃り落とされて地獄へ戻って来る、という意味に解釈されています。『地獄篇』の中でも、最後の審判については、所々で言及されています。さらに、ダンテはその審判の場所を「ヨシャパテ」と考えて、次のように描出しています。

 

   みな〔最後の審判がすんで〕地上に残してきた骸(むくろ)をつけ、ヨシヤパテから戻るとその中に閉じ込められるはずだ。 (『地獄篇』第10歌 10~12、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   すべての者は、上のあちらに置いてきた肉体を持って、ヨシャパテからここに戻って来るときに、閉じ込められるであろう。

 

   この最後の審判の場所の名前は、『神曲』全篇の中でも、上の『地獄篇』の箇所で一度使われているだけです。もともと「ヨシャパテ」とは、旧約聖書に登場する紀元前9世紀のユダ王国(南イスラエル国)の王の名前でした。そして、その人名が、旧約『ヨエル書』第3章の中で「わたしは万国の民を集めて、これをヨシャパテの谷に携えくだり、その所でわが民、わが選民イスラエルのために彼らをさばく」という言葉を根拠にして、キリストによる最後の審判の場所として定着したようです。

   上出の詩句は、第6圏谷の火炎を噴き出している墓の中で、異教異端の亡者たちが火炙りにされている光景を描いた一部です。そして、もう一つ最後の審判の実例として自殺者の森の光景を上げることができます。第7圏谷の第2円では、自分自身の肉体に暴力をふるった罪によって、自殺者が茨の枯木にされて鳥身女面の魔女ハルピュイアに食いちぎられていました。そのために自殺者は、肉体を持たないで最後の審判に臨むことになります。その理由は、次のように説明されています。

 

ギュスターヴ・ドレの自殺者

 

   〔最後の審判の日に〕皆と同様、私らも亡骸(なきがら)を探しに行くが、誰一人それを身につけることはできない。自分で捨てたものをつけるのは道理にあわぬからだ。 (『地獄篇』第13歌 103~105、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   他の亡者たちと同様に、私たちは私たちの脱け殻(=肉体)を求めて行くだろうが、しかし、けれども誰も再びそれを身に着ける者はいないであろう。なぜならば、自分自身で脱ぎ去ったところのものを持つことは正しくないからだ。

 

   先出の浪費・放蕩の罪人は髪の毛一本さえも所有することが許されずに、最後の審判に臨まなければなりませんでした。しかし、それでもまだ肉体があるだけ増しで、自殺者はその肉体さえも所有することが許されないのです。

 

   煉獄の第五環道は、お互い表裏をなしている「貪欲の罪」と「浪費の罪」を犯した者たちでも、許される範囲の軽さの霊魂たちが浄罪している場所でした。しかし、「貪欲」しろ「浪費」にしろ、そのどちらかの罪でも許されなかった者たちは、地獄の第四圏谷で巨大な塊を転がしてぶつかり合う刑罰を永遠に受け続けています。その様子は次のように描写されています。

 

   彼らは永劫にあの二点でぶつかり合うのだ。この〔貪欲な〕連中は墓から手を握々(にぎにぎ)して蘇(よみがえ)る。あの〔浪費家〕連中は髪まで剃り取られて蘇る。悪をばらまいたり悪を溜(た)めこんだりしたから彼らは美しい国に入れずこうして相争う羽目になった。 (『地獄篇』第7歌 55~59、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   永遠に彼らは二ヶ所の衝突にやって来ることになる。ここの連中は、拳を握りしめて墓から復活する。そしてまたこの連中は、髪を切断されて(墓から復活する)。悪を与え、悪を持つことは、彼らから美しい世界(天国またはエデン)を奪い去って、この乱闘に彼らを置いた。

 

   上の詩行の「墓から復活するresurgeranno del sepulcro)」とは最後の審判の時を表しています。そしてその時、貪欲者だった亡者たちは、財産を離さないように「拳を握りしめた状態でcol pugno chiuso)」その審判の場所へ行かなければなりません。一方、浪費家だった亡者は、何もかも剥ぎ取られ、「髪の毛まで切断されてcoi crin mozzi)」審判者イエス・キリストの前に立たなければなりません。そしてまた、許されることはなく元の地獄の場所へ戻ることになります。しかし、スタティウスのように、同じ浪費の罪を犯しても救われる者もいます。まさしく煉獄行きか地獄落ちかのその差は紙一重なのです。しかし、地獄へ落ちれば「永遠の苦悩etterno dolore)」が待ち受けていますが、煉獄に行くことができれば、スタティウスのように1200年以上も掛かることはあっても、いつかは天国へ昇ることができます。まさしく、煉獄と地獄は紙一重ですが「雲泥の差」があります。しかし、『神曲』においてのその差は、詩人ダンテの「さじ加減」と言えるかも知れません。

   生前から聖人もいましたが、煉獄にいるほとんどの霊魂は、死を迎えるまでに「天恵(revelatio)」を受け「回心(conversio)」をしたので救済されました。スタティウスは、ウェルギリウスの「黄金に対する呪われた(または神聖なる)渇望よ、何故に汝は人間の欲望を支配しないのか?(煉獄篇22歌40-41)」という言葉に浪費を悔い改めたので、煉獄に来ることができました。もしそれがなければ、第4圏谷で巨大な塊を今も転がしているのです。

 

   地獄には、もう少しのところで煉獄に来ることができた不運な亡者もいます。その代表者が、権謀術策者の地獄である第8圏谷の第8壕で火炙りの刑に処せられている豪勇な智将グイド・モンテフェルトロだといえます。彼は皇帝派の将軍として、フィレンツェ郊外カンパルディーノ(Campaldino)の戦い(1289年6月11日)において教皇派と戦いました。その戦いには破れはしましたが、その後も皇帝派の中心人物として勢力を維持し続けました。晩年には、世俗を離れてフランチェスコ会の修道士になりました。そして、『地獄篇』においては、グイドに死が訪れた時、聖フランチェスコが彼を救うために迎えに来ました。ところがその時、黒天使がやって来て、フランチェスコによるグイドの救済を阻止しました。亡者グイドは、その時の様子を次のように説明しています。

 

   私が死んだ時、フランチェスコが迎えに来た、だが黒天使(こくてんし)の一人が彼にいった、「連れて行くな、俺の権利を侵(おか)すのはやめろ。こいつは瞞着(まんちゃく)の助言をした以上、下界の俺の奴隷たちの間に落ちるのが定めだ、あれ以来ずっとすぐ後からつけてきたのだ。後悔しない奴を宥(ゆる)すわけにはいかない、また後悔と悪意は、誰が見ても矛盾(むじゅん)だ、両方一緒にできようはずがない。」(『地獄篇』第27歌112~120、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   聖フランシスコが、私が死ぬや否やすぐに私のためにやって来た。しかし、黒い智天使の一人が彼(フランシスコ)に言った。「彼を連れて行くな、私に無礼を働くな。この者は、私の卑しい輩の間に、下界へと立ち去らねばならない。なぜならば、彼は詐欺の助言を与えたからだ。そのことをして以来、私はここで頭髪の所(髪の毛を触れる近さ)で、ずっと彼につきまとって来ている。懺悔しない者は赦免されることはできない。悔いるということ(=懺悔)と欲すること(=欲望)は同時に行われることはできない。そのことを認めないという矛盾のためだ。

 

   聖フランチェスコといえば、ダンテも個人的に傾倒していて、若い頃には信者にもなっていた聖人で、『地獄篇』でも、ときどき名前が出されています。この聖人は、天国でも最上位の至高天にいて、聖母マリア、洗礼者ヨハネ、使徒ペテロ、聖ベネディクトゥス、アウグスティヌスなどの聖者たちに混じって、神を直々に仰ぐことのできる場所にいます。そのような高位にいるフランチェスコでさえも、黒天使(nero cherubino)と呼ばれる悪魔には一目置かなければならなかったのです。

 

 

   聖フランチェスコが黒天使を説き伏せるだけの善行を、軍師グイド・モンテフェルトロが行っておれば、第8圏谷第8濠で永遠に炎に焼かれることは無かったのです。おそらく、グイドは、天国へ向けて煉獄山を登り続けていることでしょう。煉獄と地獄は紙一重であるということは、天国と地獄も紙一重ということになります。