川越style「川越藩行列保存会 登城の日」川越城下巡り 毎月最終土曜日実施 | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

青空が広がる川越。絶好の登城の日日和になりそうだった。

川越城本丸御殿の大広間に顔を揃えた川越藩の藩主を筆頭にした閣僚、執行部役人たち。

床の間を背に座るのが、川越藩松平周防守の殿様である。

藩の政務について議論しながら、これから巡る川越城下について打ち合わせを深めているのだった。

そんな後ろ姿を観光客がめざとく見つけると、すぐに撮影タイムになることは藩士たちも慣れたもの。

川越に来て、川越城本丸御殿を見学に入ったら川越藩の藩士たちが居並ぶ光景に出くわした。なんという偶然でラッキーな出逢いでしょう。

そしていざ往かん!と立ち上がった面々は、本丸御殿内を見廻った後に本丸御殿を出発し、川越城下へ繰り出していくのだった。

2018年2月にスタートし、毎月最終土曜日に川越市内、川越藩行列保存会によって行われているのが、川越城下巡りの「登城の日」。

江戸時代の武士の格好で小江戸川越城下町を散策し、江戸時代創建の川越城本丸御殿へ登城という内容です。

登城の日を行う、「川越藩行列保存会」とは。

江戸時代の大名行列の形を再現しながら、小江戸川越城下町や川越藩最後の大名家である松平周防守(すおうのかみ)家に関係の深い土地を中心に活動している団体。

川越では、小江戸川越の財産である川越城本丸御殿や蔵づくりの街並みを中心に武者行列を再現して、江戸情緒の残る街「川越」を楽しんでもらえるようアピールを続けています。

 

松平周防守(松井松平)家は、川越藩最後の大名家。
本姓は松井氏で本国は三河国の徳川譜代大名。
徳川家康の家臣となった松井忠次が功を得て松平姓を拝領。松井松平家と称する。
また周防守(すおうのかみ)の官名を拝領して世襲した為、松平周防守家とも称する。
なお、通り字「康」も家康から拝領。
初代松平周防守となる「松井忠次」は東条松平家の設立・徳川家康の三河平定・諏訪原城攻めなどでの功を得て、「松平周防守康親(やすちか)」の名・蔦紋・卍槍を拝領。
二代目康重は徳川家康江戸入封時に武蔵騎西(きさい)に二万石で入り、大名の仲間入りを果たした。
その後、常陸笠間・丹波篠山・和泉岸和田・播磨山﨑などに転封。
石見浜田では最も長く180年近く統治していた。(1649年~1759年・1769年~1836年)
1836年十代目康爵(やすたか)の時に陸奥棚倉へ転封となる。
1866年十三代目康英(やすひで)の時に武蔵川越へ転封となるが、すぐ幕末となる。
旧姓復古により姓を松井氏に戻した後、十四代目松井康載(やすとし)に引き継ぎ、廃藩置県で藩政を終える。
幕末の家臣には「蛍の光」の日本語歌詞を作った「稲垣 千穎(ちかい)」がいた。
また、俳優の市村正親氏は家臣の子孫にあたる。

今でも、クレアモールから伸びる脇道、「二番町通り」には周防守家の下級藩士の子孫の家が残っています。

 

2002年の埼玉県川越市市制80周年記念行事として開催されたイベントが「上使行列」。
大江戸日本橋から小江戸川越までを江戸時代の格好をそのままに行列で踏破し、大いに盛り上がりました。
興奮冷めやらぬ「上使行列」イベントの参加者が再結集。
年中行事に参加する団体として2003年に「川越藩行列保存会」が設立されました。
設立後、川越から江戸までの「江戸登城行列」、川越市と友好都市である福島県棚倉町への「殿様里帰り行列」など、川越や川越藩とかかわりのある町で行列をしてきました。

「江戸登城行列」とは、2003年11月21日~22日に行った川越から江戸(東京)までの長距離行列(川越仙波東照宮~日比谷公園)。
川越の仙波東照宮から東京の日比谷公園までこの格好のまま、メンバー交代せずに二日間で踏破した。江戸開府400年記念祭へも参加。この江戸登城行列を、NHKローカルニュースで特集を組んで放送された。

 

川越藩行列保存会会長を務めている金子さんは、川越市の小江戸川越観光親善大使に任命されている。現在、観光親善大使は16人・組いますが、金子さんは3番目に委嘱を受けた人。

小江戸川越観光親善大使

http://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kanko_ta/shinzentaishi/kankoshinzentaishi.html
『「小江戸川越」を全国へPRしていただくため、川越市のイメージアップのために活動している民間団体及び市民の方を「小江戸川越観光親善大使」として委嘱しています。』
3.金子 正之さん「川越藩行列保存会」会長

 

川越藩行列保存会としての主な活動日程(予定)は、
毎月開催 川越城下巡り(登城の日)
1月上旬 川越七福神巡り(川越市内)
4月中旬 十万石棚倉城まつり(福島県棚倉町)
4月下旬 騎西藤まつり行列(埼玉県加須市騎西)
5月中旬 仙台青葉まつり行列(宮城県仙台市)
11月3日 皇女和宮行列警護(埼玉県桶川市)
また、平成31年4月に島根県浜田市へ遠征を計画進行中です。

(2018年4月福島県棚倉町の「棚倉城十万石まつりで行列披露)

川越藩松平周防守家は前任地である陸奥棚倉藩(福島県棚倉町)から川越に入封となりました。この棚倉へのお里帰りとして「十万石棚倉城まつり」にて、大名行列を2004年から行っています。行列の前には地元の宇迦神社にて安全祈願を行い、棚倉城へ登城後は棚倉の人たちと交流を深めている。

会の活動として既に16年経ちますが、実は、川越市外の川越藩主松平周防守家ゆかりの地からの招待が多く川越市外での活動・知名度が高いのが川越藩行列保存会の特徴で、川越内ではまだ広く浸透していない状況であるかもしれない。

川越内の活動としては、毎年1月初旬に開催されている「川越の街にきもの姿を増やす会」による「小江戸川越 着物で七福神めぐり」における一行の警護担当が知られている。

着物姿で川越の七福神巡りをしようという企画で、大勢で街中を歩くことから警護の必要があり、川越藩行列保存会の面々が参加者の安全を確保しています。警護のみならず、松平周防守家の菩提寺という縁の深い光西寺に立ち寄った際には、保存会による歴史の解説もお馴染みとなっている。2018年は1月7日に行われました。

(川越style「小江戸川越 着物で七福神めぐり」2018年1月7日川越の街にきもの姿を増やす会

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11743807331.html

川越藩行列保存会と川越藩を名乗るからには川越内での活動を増やしていこうという結論に達し、毎月最終土曜日に行っているのが、川越城下巡り「登城の日」。

これで、川越藩行列保存会にとって川越内で定期的な活動というものが誕生したことになります。

登城の日は、川越城本丸御殿を出発点として城下を巡り、また本丸御殿に戻って来るというルートで行っている。その月で多少のルートの違いはありますが、時の鐘~菓子屋横丁~一番街~蓮馨寺~大正浪漫などというルートで回ることが多い。

広い範囲を回るため、市内で行列の様子に遭遇することも多くなると思います。

2018年5月に蓮馨寺で開催された「四万温泉 温泉マルシェin川越昭和の街」では、蓮馨寺に立ち寄った川越藩行列保存会はさすが注目の的で、イベントの来場者による撮影が殺到していました。

(川越style「四万温泉 温泉マルシェin川越昭和の街」蓮馨寺 昭和の街に四万温泉がやって来た

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12379082385.html

 

川越は歴史を感じ歴史に浸ることができる街である。

由緒ある神社仏閣があちこちにあり、一番街など蔵造りの建物の町並みは、まるでタイムスリップしたかのようである。他の街では見られない歴史的ハード面の魅力から川越は注目され人を惹きつけてきましたが、近年になってソフト面の充実が盛んに叫ばれるようになると、一番街商店街による「小江戸川越 江戸の日」、川越藩火縄銃鉄砲隊保存会による火縄銃演武、川越奉行所見廻り組など、様々な取り組みが行われるようになってきました。

ハードとソフトが噛み合ってこそ相乗効果で飛躍的に魅力が向上していく、いいスパイラルが今の川越にはあるよう。

そして、川越藩行列保存会による「登城の日」。

川越藩火縄銃鉄砲隊保存会もそうだし川越藩行列保存会にしても、川越藩・川越城に軸足を置いているのが特徴。

指摘されることが少ないように思いますが、川越というのは城下町です。

川越城があり、城下に商人・職人の町域があり、取り囲むように神社仏閣が配され門前町が形成されている。

今の時代からすると一番街が川越のメインに捉われますが、もともとが川越城が1457年に築城されたことから発展が始まった街。長い江戸時代もつまりは川越藩の歴史です。川越の歴史を俯瞰し、川越藩の重要さこそ発信すべきではないかという意識が地元人から強くありこうした活動に繋がっています。そして、こういう捉え方を通して川越の真の姿が伝われば、一番街の見え方も違ってくるだろうという意図も含めている。

 

川越城本丸御殿を出発した一行は、城内の本丸門(現存せず)から西大手門(現存しないが現在の市役所前交差点辺り)から一番街へ・・・と行く前に、二ノ丸(現川越市立美術館)横から一路北へ向かい、今日という日の無事を祈願するため川越総鎮守の川越氷川神社へ向かって行った。入り組む路地が城内らしい、殿様をはじめ上使行列は道に慣れたもので進んで行く。

川越氷川神社へ辿り着くと、やはりここでも参拝者の撮影が相次ぐのはもうお馴染み。行列一行も各地の遠征で写真撮影には慣れたもので、気軽に応じている。

無事にお詣りを済ませると、川越氷川神社から西へ進み、「旭舎文庫(あさひのやぶんこ)」の角から南下していく。通りすがりの人から声をかけられて撮影タイムになるのももはや見慣れた光景。

 

(川越style「旭舎文庫(あさひのやぶんこ)」旧梅原菓子店 2017年8月開館

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12301385920.html

 

南へ進み、札の辻を曲がって菓子屋横丁へ。

歴史風情薫る川越に浸る観光客にとって、突如現れる川越藩の上使行列に、これぞ川越と、川越の神髄を深く感じているようでした。

菓子屋横丁から養寿院門前通りを通っていよいよ一番街へ。「登城の日」が最も注目を浴びるエリアに入っていきます。

門前通りの細道から沿道でカメラを構える人が数多くいましたが、一番街に出ると一番街中に居る観光客が一斉に視線を向ける状況になり、ファッションショーでランウェイを歩くモデル的な注目をされる行列。行列に続いて随行する人たちも。特に外国人観光客の反応が抜群で、「サムライ!」と歓声があちこちからあがる。

まさに侍。川越藩の侍たちの存在が、川越の街並みと組み合わさることで、これが川越、を力強く発信していました。

 

人の波を分けながら一番街を進み、川越のシンボル時の鐘の前で記念写真を。

やはり、時の鐘は外せない。江戸時代初期に川越藩主酒井家によって初代が建造されて以来、川越の街に時を告げてきた時の鐘は、幕末の藩主松平周防守家も大事にしているものです。

写真を撮っている背後にはずらりとカメラを向ける観光客が取り囲んでいます。

途中、昼食休憩を挟み、路地の稲荷小路から本町通りに出て、西大手門を入って川越城本丸御殿に歩いて行きました。

無事に川越城に戻り、登城の日を終えた川越藩行列保存会。

これからも川越の歴史を身近に感じてもらおうと、川越城下巡り、登城の日の活動を続けていきます。

特別な日に開催というわけでなく、定期的に開催されていくことで川越の日常風景の一部のようになっていき、川越の印象が色濃くなっていくことでしょう。

城下町、川越。

川越の神髄が伝わっていく。

 

川越藩行列保存会「登城の日」毎月最終土曜日
事務局)埼玉県川越市西小仙波町2-11-4(金子方)
email: kawagoe_gyouretsu@yahoo.co.jp
https://www.gyouretsu.net/