「川越まつり」2017年10月14日、15日の午前~午後の部 雨の中を山車がゆく | 「小江戸川越STYLE」

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2017年10月14日、15日に開催された「川越まつり」。

2017年10月14日、15日

「川越まつり公式サイト」
http://kawagoematsuri.jp/schedule.html
川越まつり参加山車一覧 
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
大手町 鈿女の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車翁の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
六軒町 三番叟の山車
松江町一丁目 龍神の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
宮下町 日本武尊の山車
末広町 髙砂の山車
連雀町 道灌の山車
脇田町 徳川家康の山車
通町 鍾馗の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
新富町一丁目 家光の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道真の山車
南通町 納曾利の山車
旭町三丁目 信綱の山車
川越市 猩々の山車

 

「川越氷川祭の山車行事」が2016年12月にユネスコ無形文化遺産登録され、登録後初めての開催ということもあって大きな注目を集めていた今年。注目に応えようと、予定された台数よりさらに参加が増え、気げ付けば昨年同様の大規模開催になっていた2017年。

川越の連雀町は、本川越駅から真っ直ぐ北に進み、連雀町交差点近くにある熊野神社を氏神様を祀る氏神神社としている地域。

連雀町を南北に貫く大動脈、中央通りは昭和8年に開通以来、通りの両側には個人商店がひしめき、当時のまま続くお店が数多くあるという稀有な地域である。

北には蔵造りの建物の街並みがある一番街ゾーン、南には川越駅・本川越駅の繁華街ゾーンがあり、江戸・明治時代と平成時代を繋ぐ昭和時代を手つかずのまま伝えている地域でもある。

個人商店が多い商店街の活動は近年活気を帯び、『川越中央通り「昭和の街」を楽しく賑やかなまちにする会』によるまちづくり活動は今の川越でよく話題にあがるもの。

2017年9月には、連雀町の蓮馨寺にて昭和の街の会による「昭和の街の感謝祭」が開催されたばかりです。

(第四回「昭和の街の感謝祭」蓮馨寺及び周辺商店街2017年9月9日

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12309616647.html

蓮馨寺は様々なイベントが開催される場としても知られ、「アースデイ・イン・川越 昭和の街」、「川越Farmer’s Market」などが開催されています。

そして、連雀町と言えば外せない話しが、川越まつり。

連雀町の川越まつり熱は、まつり熱ということを遙かに超えたまつり狂と言うべきもので、祭りのために生きていると公言する人が多く、生活の全てを祭りに捧げている人がごろごろいる地域。それはなにより、川越まつりを見れば一目瞭然。連雀町の太田道灌の山車の曳行の迫力は他の追随を許さず圧倒している。
山車曳行の負担を考えて毎年の参加を見合わせ、隔年参加などと決めている町内も多い中で、連雀町は毎年川越まつりに参加することを決めている珍しい町内。故に、川越まつりでは毎年太田道灌の山車が見られるということになっているのだ。

2017年10月14日川越まつり初日。川越氷川神社では「例大祭」が執り行われました。

 

 

 

(2017年10月14日川越氷川神社 例大祭)

続いて各町内による山車行事が行われていく。事前の天気予報では祭り両日共雨となっていて川越人をやきもきさせましたが、初日は辛うじてもちそうで、市内の山車が積極的に曳行される展開が予想された。

連雀町の川越まつりは例年、初日は山車を会所前に留め置き、神幸祭供奉以外はずっと通りに留め置いて居囃子を披露する形になる。山車曳行は二日目、最終日というのが通例になっていた。

朝9時、初日に集結した連雀町の祭り人たち。揃いの祭り衣装が祭りの高揚感をさらに高める。祭り衣装を着るのも山車を通りに下すのも一年ぶり。否が応でもみなのテンションは上がり、祭りに関わる全てのことが楽しくて仕方ない表情。これが、山車持ち町内の町衆のリアルなテンション、表情と言えた。

初日は山車は曳かずとも山車を山車庫から通りに出して見せることにも大事な意義であり、それに山車の上では雀會の囃子がある。

町衆たちが山車をゆっくり動かし、また、連雀町の祭りの会である「連々会」が警護にあたるという役を担い続けた。

 

 

 

交代で山車を警護し、あるいは詰所で待機し何かあれば駆けつける。詰所に居るのも地域の人同士の交流を深める場であり、共に祭りを作るという体験は強烈な結びつきになって運命共同体のようなコミュニティを作っていく。それも、祭りの大事な一面。

 

 

 

 

 

 

やはり、と言うべきか、今年の川越まつりでは連雀町の山車に注目が集まった。

一つは、TVアニメ「月がきれい」の影響。月がきれいのOPテーマに連雀町の川越まつりが使われ、大きな反響を巻き起こしました。2017年7月の川越百万灯夏まつりでは、月がきれいの岸監督が連雀町の祭り衣装に身を包み、トークショーに臨んだことは記憶に新しい。

(第4回「川越浴衣まつり」2017年7月30日川越百万灯夏まつり本川越駅ステージ ×「月がきれい」

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12297752383.html

そしてもう一つは、太田道真・道灌父子による1457年の河越城築城から今年がちょうど560年という節目のメモリアルイヤーだったこと。

二つの話題で、朝から太田道灌の山車が通りにお目見えするのを待ち構えている人が取り囲むような状態で賑わいました。

山車の上では一日を通して雀會の囃子が断続的に続き、中央通りを進む町内の山車があれば、山車の正面を向けて曳っかわせを行っていった初日。

 

雨を遣り過ごし無事に終えた川越まつり初日。初日はなんとか天気がもった、これなら明日もなんとかなるのではないか、日曜日は完全に雨予報になっているが、もしかしたら奇跡が起こるのではないか、祈りというか確信的な思いで、いよいよ明日は自分たちの番だとメラメラと熱意が燃えてくる連雀町の祭り人たちだった。

迎えた2017年10月15日川越まつり二日目、運命の最終日。

交通規制が始まるのが午前10時、8時半頃から続々と会所・詰所に祭り人が集まってくる。

 

 

その表情は…やはり、重かった。沈痛と言ってよかったかもしれない。

祈りは届かず、予定通りの雨。

ただ、簡単に諦めるわけにはいかない。万が一に雨があがるような状況になれば、山車を曳き出す判断が下されるかもしれない。GOサインが出ればすぐにでも通りへ駆けて山車を曳くのだ。

数時間、いや、わずかな時間でも雨が止むことがあれば、隣の町内くらいまでは曳いて曳っかわせを魅せるかもしれない。いや、きっとそうするはず。一縷の望みを胸に、祭りモードのテンションで待ち続ける祭り人たち。

そこへ・・・無情にも報せが届く。

午前9時過ぎに神幸祭と市役所前の山車揃えが中止になったことが正式にアナウンスされた。合わせて各町内でも、午前の部の山車曳行は見合わせるところが多いという話しが市内に回る。午前は山車を留め置いたまま居囃子を披露する形がほとんどになるだろう。そもそも二日目は、朝からこの天候で終日山車曳行を取り止めにした町内も既に多数あった。

日中の主要行事であり、川越氷川祭の核をなす神幸祭が中止になったことで、やはり今年の祭りはこうなのか・・・あんなにこの日を待ち焦がれていたのに、一年の集大成を発揮する場がようやくやって来たのに、祭り人たちはさすがに意気消沈した面持ちになっていた。

普段あれだけ明るくノリがいい連々会の面々ですらそうなのだから、市内の全ての町内の祭り人たちが同じ気持ちだったでしょう。

(しかし、後から振り返ると、日中の消化不良のエネルギーがマグマのようにふつふつと溜まり、その後一気に爆発することになったことは川越まつりらしいというか、、、さすがとんでもないエネルギーを発散する行事であると思い知らされる)

日中見る事ができる煌びやか山車を目当てにした観光客には肩透かしでしたが、やはり、山車に雨は大敵。無理をすることはできない。

連雀町の対応も、午後まで待機。その後はまだ白紙。

スタートからまさに暗雲立ち込める事態ですが、それでも山車は通りに出され、雀會の囃子は途切れずに続いている。

山車は雨対応で厳重に覆われてその威容の全体は見ることができませんが、囃子の音色の力は絶大。一たび囃子が始まればすぐに人垣ができ、山車の周りに人が集まってくる。

 

 

午前曳きは中止になっても、この先のことはまだ誰にも分からない、これからの様子を見て13時に午後の予定が決まることになった。希望は残されていると言いきかせ、天気予報を何度も確認する一同。午後になると小康状態になるような・・・??それなら午後の部はできるかもしれない!と盛り上がる。その奇跡に賭けるしかなかった。

一体どんな判断が下されるのか、どんな判断になろうとも全てを受け入れるしかない。一同固唾を呑んで時間を過ごしていたのだった。

 

川越まつりの二日間は、市内中心部は広範囲な交通規制が敷かれ、例年だと日中から道という道が人でごった返していますが、この日はこれが川越まつりか、、、いや、そうあって欲しくないというほどの落ち着きぶり。

それでも。

2013年の時よりは人出があり、川越まつりを楽しみにしている人、ユネスコ無形文化遺産登録後初めての開催だけあって注目されているようだった。最も2013年の時は朝からザーザー降りで、一日を通して山車を曳いている町内は連雀町と新富町一丁目しかないというような状況だった。

まさかあの時の再来・・・??と現場の祭り人たちは当時のことを口にし合っていたほど。あの時のようにどこの町内も山車は出さないのではないか、連雀町だけは出すかもしれない、出して欲しい。。。

川越まつりに似つかわしくないまったりとした雰囲気に包まれながら、雨が降り続ける空を見上げる祭り人たちなのだった。

 

この日の午前中の川越まつりは、山車を曳いた町内は皆無だったでしょう。

川越まつり最中で本川越駅前が閑散とした光景に驚きを禁じえず、異様とも言えた。

しかし、山車は出なくとも、囃子がある。

山車を出す町内は、屋根がある山車庫に山車を置いた状態で居囃子を行い、通り沿いではいくつかの町内が居囃子を披露しています。

 

小江戸蔵里の山車蔵内で居囃子を続ける新富町一丁目の家光の山車。

 

連雀町交差点~本川越駅の中央通り沿いには、小中居 鈿女会囃子連と中原町 月鉾囃子連の居囃子。

 

本川越駅から北に進んで大正浪漫夢通りへ。ここも例年の川越まつりの賑わいぶりとは比べものにならない静寂。

連雀町の「マドモアゼル ルゥルゥ」さんの二人は祭り仕様でお出迎え。2017年9月にはルゥルゥ主催の仮装デーが開催されましたが、川越まつりでも松本さんは大正浪漫の仮装を。

一番街方面も山車は表に出さず、幸町の小狐丸(小鍛冶)の山車、翁の山車のように山車庫に入れて居囃子という町内が多かった。

一番街では三久保町の石田囃子連が居囃子で祭りの活気を発信していました。「呉服かんださん」前では「backyard cafe」さんが特別出店、「小江戸川越バウムクーヘン ノリスケさん」も元気に営業していました。

 

13時過ぎだっただろうか、連々會の詰所が慌ただしくなる。

協議の結果が自治会から関係者にもたらされ、辺りは途端にざわつき始める。

「14時出発」。

おお、とどよめきが起こる。午後に山車を曳く、曳くことが決まったのだ。

依然雨は降り続いていたが、この中を曳行していくことが正式に決まった。「よし!」「いざ、出陣!」いよいよ自分たちの出番が来た。

雨の中を山車を曳く判断は難しいものがあったと思うが、14日に連雀町は山車を曳いておらず、このまま曳行を中止すると二日間通して山車を曳かない事態になりかねない。

大きな望みはない、しかしせめて町内曳きだけでも実現したかった、それが自治会はじめ地域の人の想いだっただろう。

2013年以来の雨中曳行。

職方により山車を包んでいた頑丈な覆いが外されていき、雨の中むき出しになっていく道灌の山車。

「一体何か起こるんだろう」「まさか・・・」

辺りで見守っていた観衆も敏感に感じ取ったのかもしれない、山車が出るぞ、と。

一枚、また一枚と、ゆっくりと覆いが外されて、これぞ道灌の山車という姿が現れていく。そしてすぐに代わりに、半透明のシートで山車の周りを包んでいくのだった。つまり、雨の処置だけでなく山車が見えるような対応をしているということ。この段階まで来れば、観衆にもその意図がはっきりと伝わっていた。みるみるうちに道灌の山車の周りに人が集まって来る。通りを歩いて来て、一台も山車が見られなかった人には運命のような出会いだったでしょう。

自然と連雀町の町衆も集まってきて、職方の作業をじっと見上げていた。

 

連雀町の雨中曳行は、予定していたレギュレーションとはがらりと変更になり、神幸祭供奉のルートとは反対側から進んでいくことが決められた。

準備はそれだけに終わらない。山車を覆うシートは厳重に、もちろん囃子台の周りもしっかり養生して太鼓などが雨に降れないようにする、山車を曳く町衆たちは合羽を着用、祭り衣装が見えるように半透明で揃えている。簡単に雨中曳行と一言で言っても、晴天の時の曳行の何倍もの労力がかかるのが現実としてある。それでも、山車を曳くことができる喜びに、祭り人たちは全身興奮を隠しきれない様子で待ち構えていた。

通りに山車が下され、「山車を曳くぞ!綱持って!!」綱が前方に張られていく。雨でずしりと重くなった綱を握りしめ、みなの視線が道灌の山車に集まる。

「ついに・・・曳けるんだ」

興奮を抑えるように山車出発の前に、熊野神社宮司による祈願が執り行われる。

 

職方による厳かな木遣り唄が始まり、拍子木が二つ打ち鳴らされると、雀會の演奏が始まり、「ソーレー!!」「ソーレー!!」と山車全体が、いや、町全体が動き出す。

 

道幅一杯に綱を張り、威容を誇りながら堂々たる曳行を見せていく。山車持ち町内と言えど、町衆にとって山車を曳くというのは一年にたった一度だけのことであり、山車曳きというのはこれ以上ないくらい特別なことで興奮するものなのだ。

連雀町交差点を左折して県道沿いを東に進んで行く山車。通りの各所に留めては山車の正面を向けて挨拶していった。

 

 

 

山車の周りには進行に合わせて観衆も付き従って、大きな運動体がゆっくりと町の中を進んでいるよう。

大正浪漫夢通りを北上していく道灌の山車。

屋台ひしめく通りなので、細心の注意で山車を進めて行く。山車曳きには難所の通りでもありますが、それでも例年に比べたら沿道の観衆の数が少なく、難なく通れてしまうことが逆に寂しいくらい。

観衆にとっては山車の曳行を見ることを諦めていたであろう状況で、大正浪漫通りを北上する山車が突如現れたことに喜び、その姿を見守っていた。

 

 

 

 

 

 

山車は進んでも進んでも他町内の山車に遭遇しない。。。

先触が前方を走れども走れども、どこの町内も山車を出していない状況だった。

やはり、多くの町内がこの雨を見上げて山車を雨中に出すことを取り止めにしていた。山車庫に置いたまま居囃子を披露する対応に変えていたのだ。山車が留め置かれている場に行けば見ることができますが、市中を歩いてもなかなか出会えない事態になっていた。

日中、山車を出した町内は確認できただけで、新富町一丁目の家光、新富町二丁目の鏡獅子、元町二丁目の山王、川越市の猩猩と4台の山車が出ているのみだった。

この状況だと日中に山車同士が道中に合わせる場面というのはほとんどなく、山車一台の曳行を見るだけだっただろう。

観衆の目には、山車がシートで覆われていることを残念に見えるかもしれませんが、圧倒的多数の山車曳行を止めた町内の判断が通常の考えで、しかし全てがそうなっていたら午前・午後と町中に一台の山車が曳き廻されないという事態になっていたはず。

この雨の中で表に出したことが大英断であり、それはやはり、この姿でありながら、川越まつりの山車を見せたいからという思いも町内にあったから。

大正浪漫夢通りの北端の突き当り、川越商工会議所があるT字路を左折して仲町交差点を超えて真っ直ぐ進んで行く。神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になったことで手持ち無沙汰になった観衆が、道灌の山車の出現に熱狂的な拍手を送る。シートを被せてまで山車を曳行する光景に、川越人の祭りにかける意地を見ていたでしょう。

 

 

 

 

連雀町の西端、大工町通りを南へ下っていく。

この通りは道幅は比較的ありますが、電線があちこちに張り巡らされているので意外と難所。山車と電線が触れないよう職方たちが注意深く見ていく。今年はさらに、山車に被せたシートも見ないとならないため、職方にとっては苦難続きの山車曳きと言えた。

 

 

 

大工町通りを南進して県道交差点に辿り着くと、華麗に左折。昨年は隣町である中原町の会所まで山車を進めて挨拶に行ったが、今年はなし。中原町の山車は来年には祭りに帰って来るということで、来年以降迫力の曳っかわせが見られるはず。

ちょうど交差点にある長屋は、連雀町の新風のみならず、川越の新時代を感じさせる新スポットとして既に知られています。そう、株式会社80%がリノベーションを手掛けた長屋です。長屋に入る二つのお店、「glin coffee」さん、「すずのや」さん共々祭り仕様の営業で備えていた。新時代スポットに、地元連雀町の山車が進んで行く様は、なんとも言えぬ感慨を呼び起こすものがあった。いや、ギャップがあったのではない、伝統を受け継ぎ守りながら、新しい時代を切り拓こうとする祭りと長屋に、通じる部分があるからなのだ。

「株式会社80%(エイティーパーセント)」連雀町の交差点に建つ長屋のリノベーション事業

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12288585222.html

そして、県道沿いを進んで連雀町交差点を北上、隣町である仲町の会所まで山車を挨拶に行き、連雀町の会所に戻って来た道灌の山車。

小雨降り続ける中でも曳行でしたが、例年と全く変わらない、これぞ川越まつりという迫力の山車曳を見せました。

 

 

 

 

 

この雨の中でも曳いたのだから・・・みなの胸には同じ思いが去来していた。

そう、「夜の部も山車を曳くのではないか」、と。

川越まつりの最大の魅力は何と言っても夜の曳っかわせ。午後の部を曳いたことで、このままの勢いで夜に突入するのではないか、と。

山車が会所に着いてしばらくの休憩時間になる。

山車を留めた瞬間からすぐに職方がシートを外す作業を始め、夜対策の提灯などを山車に付け始めた。。。!連雀町は夜も続行が既に決定されたのだった。

だが、事は連雀町だけの話しではなく、他の町内の動向にも目を配らなければならない。夜の部に道灌の山車が出ても、午後の部のように他の町内の山車が出ないようなら・・・曳っかわせはもちろん実現しない。

一体、他の町内はどう判断するのか。

2017年川越まつり、最終日の夜の部まであともう少し。。。