「川越まつり」2017年10月15日夜の部 川越人意地とプライドの雨中山車曳行と曳っかわせ | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真


日中の煌びやか山車から、日が落ちて夕闇が辺りを包み込むと、灯りが灯された山車が妖艶に浮かび上がってくる。

2017年10月15日、朝から降り続けた雨は止む気配を見せず、それどころか夕方になると一層雨脚が強くなっていた。
川越まつりの夜の部は一体どうなるのか・・・連雀町の祭り人たちは誰もが恨めしそうに天を見上げていた・・・
というより。既に日中、雨の中山車を曳いたことで、この後のシナリオは決定していたのかもしれない。
このまま夜も曳くぞ、と。
そして、会所中にそのニュースが伝わった。
「午後6時20分出発」。
正式に夜の部の出発時間が祭り人たちに伝わると、大きな歓声が沸き起こりました。「おお!」「よし!」、夜も山車を曳けるのだ、夜こそ川越まつりの本番、川越まつりの最大の華はやはり夜の曳っかせ。
現場の祭り人たちは気合を入れなおし、その時をじりじりと待っていたのだった。
2017年の川越まつりもいよいよ佳境を迎える。
10月14日、初日は辛うじて天気がもち、夜の部まで催行できましたが、10月15日、二日目最終日は朝から雨、午後になっても止むことなく夜も雨は弱まることはなかった。
川越氷川祭の大事な行事である、神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になり、日中は山車を出した町内はわずかという状況。

(「川越まつり」2017年10月14日、15日の午前~午後の部 雨の中を山車がゆく

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12319980756.html
その調子だと夜の部も・・・ほとんどの町内が山車を出さないのでは・・・?祭り人のみならず、観衆も気が気でない事態であることに変わりない。
紆余曲折あったものの連雀町は夜の部の雨中曳行を決めた。一度決めた以上もうどんなに雨が降っても決定は変えないだろう。
他のいくつかの町内も夜に山車を出すことを発表していて、一体どこまでの数になるのか、これはもう各町内の判断になるので結果は誰にも分からなかった。
職方が提灯など山車の夜対策の装いを済ませ、GOサインがでればいつでも行ける準備が整う。
さすが川越まつり、この雨の中でも夕方になると沿道の観衆の数は目に見えて増えていき埋まるほどに。やはりみな、夜の川越まつりを観たいのだ、夜の曳っかわせを見たいのだ。
沿道の期待をひしひしと受け取っている祭り人たちは、期待以上のものを見せようと気合が入る。

 


道灌の山車の綱が前方に目一杯張られ、蝋燭に火を灯した提灯を手にした祭り人たちが整然と並んで綱を握り締めた。厳かに木遣り唄が始まり、拍子木が打たれて、「ソーレー!!」、「ソーレー!!」と山車全体がぐらりと雨の中動き出す。連雀町太田道灌の山車の夜の部がいよいよ始まったのだ。祭り人たちの掛け声が日中以上に一段を大きくなる。
「ソーレー!!」
さあ、ここからが川越まつり。
「ソーレー!!」
さあ、川越まつりの本当の本番が始まろうとしていた。

 

 


夜の部は、事前の予定運行ルート通り、中央通りを南下していく道灌の山車。毎年、微妙に運行ルートが変わりますが、夜の部はこの数年会所を出発してまず北に向かって札の辻を目指していたので、今年はがらりと真逆から進めていく形になる。
例年のように札の辻方面からだと、行って戻って本川越駅方面に行くとかなり後半の時間になってしまうため、本川越駅方面の町内の山車と合わせる機会が難しくなっていた。今年は先に本川越駅へ行こうと予定を組んでいた今年。他の町内とのいろんな事情を汲みながらこうして山車の運行ルートが決められているのだ。
しかし今年は降雨が続くと確実視されていたため、運行ルートは短縮、それに毎年交通規制解除ぎりぎりまで山車を出していましたが、早めに収める判断が下されていた。おそらく他の雨中曳行を決めた町内も同様の対応をとるはずで、短い時間だが、それでもこれぞ川越まつりを見せようと意地とプライドだけで雨の中を進んで来るに違いない。

まずは連雀町交差点で、北上して来た新富町一丁目の家光の山車を待つ形になった連雀町。新富町一丁目は本川越駅周辺の地域で、山車蔵は小江戸蔵里にあります。今年の夜の初の曳っかわせがこの山車というのが何とも因縁深い。
憶えている人も多いでしょう、2013年の大雨の川越まつり最終日では、夜の部に参戦していたのは、連雀町か新富町一丁目くらいのもので、川越まつり唯一の夜の曳っかわせを魅せたのも、連雀町と新富町一丁目で、まさにこの交差点付近だったのです。隣同士の町内であり、熱い絆で結ばれた両町内は、2017年も雨の中、熱い曳っかわせを魅せました。

 


ここから連雀町は南へ、新富町一丁目は北へ進路を取り分かれていった。両極からお互い戻って来た時にまたどこかで合わせる場面がきっとあるはず、また合わせよう!と手を振って別れたのだった。


南へ真っ直ぐ続く広い中央通りは現在拡幅工事の真っ最中であり、今の段階でも広々としていて、(風情の面は横において)山車曳き自体はしやすい。曳きやすいというの観衆にとっては観やすいということであり、良い面でもあります。
通り沿いにある居囃子や大会本部などで山車を停めて正面を向けて挨拶していくのが川越まつりの仕来たり。
拍子木が打たれる音が響くと、そこはもう観衆も勝手知ったるもので、「曳っかわせが始まる!」と山車の周りに集まってくる。
つまり、居囃子に山車が近づき、あの拍子木が打ち鳴らされれば、そう、それは曳っかわせの合図ということ。拍子木の音で山車に止まれと指令を出していたのです。連々会の面々が提灯を乱舞させてさらに盛り上げる。


そしてまた拍子木が打たれると今度は出発の指令。祭り人たちはすぐさま持ち場に戻り、綱を握りしめて「ソーレー!!」「ソーレー!!」と山車を曳き始めるのだった。

 


通りの各所で挨拶をしながら、遠くに見えてきた本川越駅前交差点。
駅前という立地で多くの人が見守るということから曳っかわせの名所となっていて、川越まつりではこれまで幾多のドラマチック曳っかわせを魅せてきた場所。今年もまばゆいばかりの曳っかわせが繰り広げられるはずだった。
・・・が、緊急事態が発生。
先の状況を見定めに駆けていた先触が息せき切って帰って宰領に報告する。
「本川越、山車がないです。。。」
なんということでしょう。駅前交差点に山車が一台も来ていないのだという。。。確かに、目を凝らして前方を見ても、山車らしき灯りが全く見えない。一台でも居れば曳っかわせができるが、これでは。。。
しかし、道灌の山車は本川越駅を目指すことを変えない。行けば、どこかから他の町内の山車がやって来るかもしれない、それに希望を託し山車を曳き続けるのだった。


本川越駅前交差点では、北から勇壮にやって来る道灌の山車を確かめ、待ち構えている観衆が埋め尽くしていた。曳っかわせの期待のボルテージがどこまでも高まっていく。
交差点の中央で拍子木が打たれ、山車が停められる。
確かに・・・四方を見てもどこにも山車の影も形も見えない。本川越駅前交差点で他の山車に遭遇しないなんてこんなことは初めてだ、と現場の祭り人たちも戸惑いの声を挙げる。

 

 


先触二人が現場を駆け回り、各方面の情報を搔き集めてくる。どうやら他の町内は、本川越駅から北上するルートではなく、川越街道から北に向かっているらしいことが分かった。
それでも先触がキャッチした情報で、先ほどの新富町一丁目の家光の山車が本川越駅へ向かって来ていることを掴んだ。
「それならここで曳っかわせだ!」
道灌の山車を交差点ど真ん中に留め、家光の山車を待ち構える。
出発から30分の午後7時。盟友盟友、連雀町と新富町一丁目は、交差点で大勢が見守る中、二回目の曳っかわせを魅せました。


ここでどうするか。
先触の情報だと・・・本川越駅に向かう山車が現段階で一台もないことが判明した。このままここに居ても時間が勿体ない。。。いや、もちろんずっと待ち続けていればいずれ南下して来る町内があるので、いつかは合わせることができるだろう。しかし、川越まつりの時間は無限ではなく、交通規制が解除される22時までと有限なのだ。
待つか。進むか。
先が読みにくい雨中曳行というイレギュラーな中で運行しているのはどこの町内でも同じこと。この雨の中で山車を曳く決断をした町内の現場はみな、どこの町内も蜂の巣をつついたような騒動になっているに違いなかった。
ここではタイミングが合わなかっただけ、肩を落としているわけにはいかない。
そうと分かれば、すぐに次の手を打っていかねばならない。
いさ、今度は中央通りを北へ向けて進路をとるのみ。綱を北に向けて張り、祭り人たちが反対側に移動する。
拍子木が打たれて、ゆらりと山車は来た道を今度は北上していくのだった。
ここでも通り沿いの各所で山車を停め、正面を向けて挨拶していくことに変わりはない。どちらの方角から来ても通るごとの仕来たりなのだ。


「ソーレー!!」「ソーレー!!」
雨に打たれながら祭り人たちの掛け声は弱まることなく、むしろ益々高まっていくばかり。これが川越まつり、提灯を掲げて誇らしげに綱を曳くのだった。
山車を曳けて嬉しい、夜の山車の何という煌びやかなこと、うっとりと誇らしい気持ちで綱を曳き続ける。

 

 

 


連雀町交差点を越え、ずんずん進んで行く道灌の山車。前方に見えてきたのが、六軒町の三番叟の山車。六軒町も雨の中、山車を出していたのだ。中央通り上で曳っかわせを行う。中央通りには山車が集まっていた状況で、南通町の納曾利の山車、新富町二丁目の鏡獅子の山車とも曳っかわせを行った。南通町や新富町二丁目はこの雨の中で最も遠くから曳いて来た町内だったろう。ここから距離があるため、雨中無理をせずこのまま会所へ帰る行程をとっただろうか。。。

 

 

 

 

 



隣町の仲町の羅陵王の山車。日中の曳行で山車とすれ違い、会所にも挨拶に訪れたが、本格的な曳っかわせはこれが初めて。山車同士がゆっくりと近づけられ、両囃子連の囃子が入り乱れてまるでカオスの場に、町衆たちが間に入って提灯が乱舞させる。神秘的な幻想的でうっとりするくらい美しい川越まつりの曳っかわせだった。
その後も中央通りで志多町の弁慶の山車、宮下町の日本武尊の山車と曳っかわせ。

 

 

 


ここまで来て、雨中曳行している町内が意外に多いことに驚く。
そこにはきっと葛藤、ジレンマ、様々な感情、事情が渦巻いていたに違いない。
神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になり、午前・午後と山車曳きを控えていた数多くの町内、ここまま一日中、中止にしていいのか、夜の曳っかわせを魅せなくていいのか、と。この小雨が続くなら、行けるんじゃないか、少しの時間でも山車を出そう、そんな話し合いが目に浮かぶよう。日中から溜まりに溜まった川越まつり熱が、今、ついに爆発したのだ。これまでの鬱憤を晴らすように、どの町内もいつも以上の熱い曳っかわせを魅せるのだった。

一番街を進む道灌の山車。、末広町 髙砂の山車、幸町の山車と合わせたものの、中央通りで行き違った山車が次々と南へ進んで行くことから分かる通り、やはり、このタイミングで一番街には他町内の山車の姿が見えなかった。。。

 

 

 

現場の状況から考えると、おそらく、連雀町がすれ違った山車たちは一番街に溜まって複数台による曳っかわせを魅せていたのではないか。その後に南へ進み、連雀町とすれ違っていったのだ。もう少し早くここに着いていれば、道灌の山車もそこに・・・と悔やまれるも、曳っかわせのタイミングは本当に難しい。


一番街を北に進みつつも、先触が前方の状況を掴んでくる。どうやら札の辻には一台の山車も来ていないらしい。このまま札の辻まで行っても、本川越駅の二の舞になるだけ。そう判断した宰領は、一番街の途上でUターンすることを決断。
そして、反対側からもUターンしてきたのが、先ほど合わせた志多町 弁慶の山車。弁慶の山車もあれから南へ進んだ後に深入りせず、仲町交差点ですぐに戻って来たのだろう。このまま会所に帰っていくはず。今年の祭り最終日は雨中でどこの町内も無理はせず、早めに会所に戻る安全運行を肝に銘じているようだった。レトロ建物の埼玉りそな銀行を背景に、二台の山車が一番街上で曳っかわせを魅せる。

 

 

さらに続いて元町二丁目の山王の山車も南からやって来て合わせていった。
時間は午後8時半、結果的に、2017年川越まつり連雀町の太田道灌の山車の曳っかわせは、これが最後となったのでした。


連雀町もあとは一番街に別れを告げ、このまま道を真っ直ぐ進んで会所に戻っていくのみ。
通り沿いで居囃子に合わせながら、最後の直線コースである中央通りを意気揚々と山車を曳いていく。最後の力を振り絞って声を張り上げる一同。
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」

この雨の中、午後6時20分に会所を出発して以来、2時間半。全身ずぶ濡れになりながらも、川越まつりをやっているんだという意地とプライドだけで山車を曳き続けた面々。
お気づきでしょうか、祭り人たちの多くは夜の部は合羽を着ることも避けていた。
これが川越まつり、骨の髄までしみ込んだ祭り人としての魂。
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」

 

 


この日のための、この一年があった。
昨年の祭りが終わって今年の祭りの準備が始まり、定期的に懇親会を開催しては絆を深め、春の親睦旅行では群馬県にBBQにも行った。夏の盆踊り大会では八木節に踊り狂い、暑気払い、総会を経て、いよいよ迎えた2017年10月14日、15日の一年ぶりの川越まつりだった。
川越まつりのこうした一年のサイクルがこれまでずっとあり、これからもずっと続いていく。
こうした循環が360年以上続いてきた、川越まつり。

「ソーレー!!」
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」

 


午後9時過ぎ、会所に辿り着いた道灌の山車は、静かに山車を収める、のではなく、実は連雀町の川越まつりはここが大団円で最後のフィナーレとなる。
祭り人たちは何度も提灯を上下に乱舞させ、雄たけびを挙げる。
町内が一つになり、祭り人たちの心が一つになり、祭りはここで、最高潮に達したのだった。
川越まつりの余韻に浸りながら、何度も何度も提灯乱舞を繰り返すのだった。。。
川越は、川越まつりの街。

 


2017年の川越まつりは、ユネスコ無形文化遺産登録後初めての開催ということもあって大きな注目を集めた今年は、生憎の天気など関係ない賑わいとなった二日間でした。
初日はなんとか天気がもち、二日目は結局朝から晩まで雨が降り続きました。
二日目の雨の中でも多数の町内が山車を曳いたところは、驚きであり、川越人の意地とプライドを見せたと言える。
雨の中で山車を曳くのは色んな面で負担も大きいわけですが、神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になった現実、溜まったマグマのような祭り熱の放出がそうさせたのかもしれません。現場の祭り人たちは、山車を曳きたくて仕方ないのだ。
しかし、二日目の雨は微妙なところで、あれ以上強かったら(強くなる予報になっていたら)どこの町内も山車は出していなかったでしょう。
なんとも寂しい川越まつりになっていたはず。。。
小雨が続くという予報で雨中曳き廻しという決断を下した多数の町内でした。本当にギリギリの線、微妙で絶妙な天気の采配でした。
二日間、川越に住まうほとんどの人が祭り仕様の対応をしていて、それぞれの川越まつりの関わり、それぞれの川越まつりがあったと思います。
あまりにもたくさんのドラマがあり過ぎて壮大過ぎる川越まつりは、一つ一つを書き記すことはできませんが、逆に、川越の皆さんお疲れ様でした!という総括的一言で伝わるところに、壮大だがシンプルに街が一つになる川越まつりの神髄が伝わるでしょう。
川越まつり、お疲れ様でした。また来年。



2017年10月14日、15日
「川越まつり」
川越まつり参加山車一覧 
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
大手町 鈿女の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
六軒町 三番叟の山車
松江町一丁目 龍神の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
宮下町 日本武尊の山車
末広町 髙砂の山車
連雀町 道灌の山車
脇田町 徳川家康の山車
通町 鍾馗の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
新富町一丁目 家光の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道真の山車
南通町 納曾利の山車
旭町三丁目 信綱の山車
川越市 猩々の山車

川越まつり奇跡のサイドストーリーとして。

川越まつりの二日間予定された催しが全て終わり、詰所に集まってお互いの労をねぎらっていた連々会の祭り人たち。
中締めとして祝い酒で乾杯し、雨中曳行の一日を振り返っていたその時、一人の男性が促されて椅子の上に立った。
一体何事か・・・?周りにひしめく祭り人が見上げる。
男性は、ここで大事な話しがしたいのだとみなに伝える。
一体何の話し??と見上げる一同。
そして、一人の女性の名を告げて、近くに呼び寄せました。
え!え!?まさか!?
この展開は・・・!まさか・・・!
一同すぐに察しがついてあっという間に興奮に包まれる。
男性は女性の目をじっと見つめ、伝えたのだった。
結婚して欲しい、と。
泣き崩れる女性は、涙ながらに答えたのだった。
よろしくお願いします、と。
そして指輪を左手の薬指にはめ、周りの祭り人に囃され誓いのキスを見せたのでした。
川越まつりの夜にプロポーズするなんて、なんという展開なんでしょう。
最後にこんなドラマが待っていたなんて。

川越まつりの前夜、事前に伝えていたことを憶えているでしょうか。
雨は単なる川越まつりのスパイスでしかない、と。
案の定、雨が絶妙なピリリとしたスパイスを効かせてくれ、普段以上に熱く盛り上がった祭りとなった二日間。

あの雨はあるいは、二人に与えた試練であったのかもしれない。
小雨で降り続けるという心憎い采配を見せた天は、二人の愛を確かめたかったのだろう。
この試練をどう乗り越えるのか、と。その愛は本当なのか、と。
二人は降り続ける雨もなんのその、雨でじっとりと重くなった綱を握りしめ、声を張り上げ続けて山車を曳き続けていたのだった。神様が与えた雨の試練を見事に乗り越えていた。
これを見て天は、安心したようにこれ以上強く降ることを控えたのだった。

そしてもう一つ、事前に書いたことを憶えているでしょうか。
川越まつりは常にかつてないことが起こるのだ、と。
一体誰が、川越まつりの夜にプロポーズする祭り人のことを想像し得たでしょうか。
これ以上川越的ドラマチックなプロポーズが、かつてあったでしょうか。
単に川越まつりの夜にプロポーズしたのではない。二人とも同じ川越まつりの会に所属し祭りに参加し続け、この日共に雨の試練を乗り越えた末の、最後の最後にプロポーズ、なのです。
川越まつりの数々の筋書きを書いた神様でさえ、このサプライズプロポーズにはきっと驚いている。
川越まつりの夜の川越ラブストーリー。一生忘れられない川越まつりになったことでしょう。

まさに太田道灌の山車が運命の赤い糸。
赤い糸?いやいや、太田道灌の綱という太く強力な運命の綱が、二人の縁を大事に結び続けるに違いない。
末永くお幸せに。。。!

川越まつりは、また新たな伝説を創りました。