こんにちは、こりんです。

 

平成30年6月18日に退院して以降、

就職もせず、家で無為な毎日を送っています。

 

 

診断名は適応障害と統合失調症。

 

現在は精神障害者手帳3級、

障害年金申請中です。

 

 

現在、毎日の過ごし方は↓↓

朝、起床してテレビを点ける

朝昼晩薬飲む

mixiで複数人とメッセのやりとり

amebaの記事閲覧

インターネットサーフィン

(漫画読み、文章書き、DVD鑑賞)

 

 

気分・能力の変調は↓↓

そわそわして落ち着かない

他の人の人生と比べて不安になる

『障害』の受け入れはだいぶできてきた

「わからない」ことが増えた

音楽にトラウマがある

簡単な買い物ができない

公的機関の書類等の手続きが難しい

外に出るのが怖い

それでも癒しをくれる人と関わりたいと思う

 

 

人間って言うのは我儘なものです。

でも何度もトライしてダメだと諦めもつくものです。

 

発達障害の診断も受けています。

ということは、今までの人生全部『障害者』ということです。

 

確かに色々ありました。

穿刺刺激で失神したり

内臓の写真見て失神・失禁したり

球技が苦手だったり

クラスのほとんどから無視されたり

体育祭をサボったり

ピアノを習っていて途中で投げたり

自分の興味のあることだけに夢中になってまわりが見えていなかったり

音痴のくせに合唱団入ったり

躁状態でコンサートに乗ったり

自分の特性まったく考えず仕事決めたり

仕事怖くて5回も逃げて誤魔化したり

病識欠如して服薬2回も放棄して錯乱状態になったり

特定の人にストーカーのようにLINE送り付けたり

ケータイ紛失して連絡先全部台無しになったり

 

今思うと人生ポンコツだらけで、

その中で勉強だけができていたのが不思議なくらいです。

でも今、その『勉強』の知的能力すらも失い、

実際に人と接していて強みが無く、怖い自分が居ます。

 

 

自分がコントロールできなくなる病。

 

いまの私は、自分が信じられません。

 

過去も未来も。

 

だからインターネットの無責任な世界に逃亡しています。

 

許してください。

おはようございます、こりんです。

 

 

頓服を抜いている甲斐あって、

だんだん午前中に起きれるようになってきました。

 

でも将来生活保護になる不安や

周りは仕事しながら結婚して子ども産んで社会に適応していくのになという

気持ちの辛さがあったりします。

 

体力もない、

記憶力も能力もない、

性格も最悪。

ましてや障害者。

 

そんな自分の将来など、明るくなくて当たり前なのに。

 

でも自分が選んでこんな性格や能力に生まれてきたわけじゃないのに。

 

好きで障害者になった訳じゃないのに。

 

 

でも中には薬が効かないで自宅に帰れない人が居るのも事実で。

 

親が死んでて頼る先がない人が居るのも事実で。

 

自分より不幸な人が居ると思わなきゃ、やってられない。

 

 

どうして私なの。

 

どうして私だけ発達障害なの。

 

どうして私だけ統合失調症なの。

 

どうして私だけ無月経なの。

 

 

でも唯一良かったのは、

妹が健康でいい子で

家庭を持って生活していること。

 

皆さんに迷惑はかけたけれど、

皆さん自身が健康で恙なく生活できていること。

 

私のことを時々心配してくださるだけでも、

充分幸せなのに、

ときどき欲張ってしまうのです。

おはようございます、こりんです。

 

 

久しぶりに定期演奏会のCD聴いてました。

 

声は割れてるわ音は取れてないわで本当酷い。

 

本当30点くらいだわ。

 

よくステージに上げてくれたなぁと思わんばかりの出来です。

 

 

また無いものねだりで、

 

同級生たちが仕事で活躍し趣味も私生活も充実していることを思い出していました。

 

私は彼らと同じ学力レベルにありながら、

人間的に何かが欠如しています。

 

その答えが発達障害だったり統合失調症だったりするのでしょうが、

人の人生というのはこうも違うものなのかと

思ってしまいます。

 

 

一方で、精神科入院のなかで、

統合失調症の深淵を見ても来ました。

 

自分がコントロールできなくなる恐怖、

自分の味方が居なくなる恐怖、

自分の視点が移り変わる恐怖。

 

いま私は、『患者』『障害者』『娘』としての地位のみが

確立しているだけで、

『社会人』や『専業主婦』や『親』など、

この年齢の人が通常得ているであろう立場を手にすることが

出来ていません。

 

そしてその機会は、ほぼ永久に失われました。

 

 

今は妄想・幻覚などの陽性症状が落ち着いているため、

自宅療養しています。

 

病院は娯楽が少なく閉塞感もあるため、

自宅で自分専用のテレビがあって

インターネットに常に触れられるだけでも、

私にとっては良い環境です。

 

でも親戚が家に来るたびに居場所がなくなり、

自室に閉じこもっています。

 

 

いまの目標は

23時に寝て9時に起きることと、

なるべく頓服を飲まないようにすることと、

気分転換をうまくすることです。

 

とても小さな目標ですが、

『障害者』だもの、仕方ないよね。

 

こちらは毎日を送るだけで精一杯です。

 

 

皆さん、元気でしょうか。

 

生活に良いことがたくさん起こりますように。

こんばんは、こりんです。

 

統合失調症になって、早10か月経ちました。

というか、いつから発症していたのか解りかねますが。

 

現在、炭酸リチウムとオランザピンを服用しています。

 

もう自分が色々至らなさ過ぎて、

能力・体力その他開き直ってます。

 

 

親子関係は、親が主体で、

婚姻関係は、(妊娠しない、または稼ぐ)夫の方が主体になりがちで、

これらの関係は“契約”です。

 

つまり戸籍上の関係には“扶養義務”が成立します。

 

扶養義務ということは、

「病気になっても面倒見る」

「不健康になった際のリスクを背負う」

ことです。

 

 

しかし多くの人は、青田買いをします。

つまり、

「健康な子どもじゃなければ堕ろす」

「不健康になった時点で離婚する」

もしくは

「健康な人と結婚する」

を、選択します。

 

でも、中にはそのリスクを恐れない

(もしくは誠実に果たし切る)

人が存在します。

 

つまり、人を

儲ける/儲けない

の採算度外視で、視る人間です。

 

 

そして、それらの人は充分に金持ちだったりするかと言うと、

毎回そうではない。

 

自分の身を削りながら、

ギリギリまで人に合わせられ、

時には普通の感覚で愚痴をこぼせる人が、

一定数存在します。

 

飯田史彦「生きがいの創造」という本があります。

読んでみてください。

 

そこまで人に愛情持って接せられたら、

たぶん現世の試験は合格だと思います。

 

 

そして客体となった人物は、

自分ば不健康であること、

少数派になったことに

悲観的にならずに、

自分の特殊性を後世に残し続けることが、

道標になるのです。

 

 

現在、統合失調症は治らない病気ですが、

いつか治る日が来るかも知れません。

 

もしくは、全人類が統合失調症になる日が、

訪れるかも知れません。

 

そしてその日は、神経伝達物質に乗っ取られた、

人類の終末かもしれません。

こんばんは、こりんです。

 

統合失調症がよく分からない人の中には、

文面でよく障害の有り様が伝わってない方もいることと思います。

 

でも、ずっとこのブログの文章を読んでくださっている方の中には、

妄想で亢進状態になっている私の有り様も、

少しは伝わっていることと思います。

 

聴覚・視覚障害と同じく、外面に伝わるものではなく、

自分の内面の障害です。

 

でも思考や行動の異常はずっと付き纏いますし、

疲れやすさもあります。

その中でまともと思われる行動を抜き出して生活しています。

 

孤独な闘いです。

 

そういう私に少しでも支援をしたい、という方がもしいたら、

それは嬉しいことです。

 

寂しいや辛いを言える人がいたら、

それはありがたいことです。

 

もちろん病院で統合失調症の患者さん同士で話せたらそれは素敵なことですが、

たまにかける迷惑を承知で健常者のような生活をしたいと思うこともあります。

 

色々最近は達観してきてますが、

それでも出る症状全部に対応しきれないこともあります。

 

いま、自分を臨床試験にかけています。

 

体力がどれくらい持つのか。

 

いま、応援してくれる人がいたら、

それは至上に大切にしたいもんです。

 

次回も気分更新。

こんばんは、こりんです。

 

仕事、やめようと思います。

 

正確には、求職活動を、やめようと思います。

 

いままで5回、仕事失敗してきました。

 

理由は統合失調症の方だったり、

発達障害の方だったりですが、

高学歴とこれらの障害はとかく相性が悪い。

 

出世や仕事の効率を、暗に、あるいは明確に、

期待されるのです。

 

そし責任感の強い私は、

それに応えようと、

つまり健常者になろうと、

頑張ってしまうのです。

 

人間関係も仕事も不器用なのに。

 

だから、自分に労働力として期待するのをやめます。

 

哀しいですが、現在精神科薬でボロボロで、

21時に寝ているのに、起床も12時頃。

 

もう普通じゃない自分に疲れました。

 

とりあえず現状は、そんな感じです。

退屈です。

毎日テレビ見たり、小説書いたり、本読んだり、

そういう無目的な日々を送っています。

 

 

最近ネット上で出逢いをしまして、

「退屈だから死にたい」

と言う人に出会いました。

 

定職もあって、趣味(自分の世界)もあって、

私からすると手に入れてるものを手に入れてるような人なのに、

「退屈だから死にたい」

 

仕事場と家の往復に疲れたのかな。

手に入ったら入ったでまた違うのかな。

 

そんなことを考えます。

 

私は、自然な生理はほとんど来ません。

精神科薬を飲んでいる今となっては、

もし相手がいたとしても、

出産は望めません。

 

でも子どもが好きです。

だから人の家の子を構っていたりするのですが、

統合失調症の診断受けて初めて、

「子どもは面倒くさい」

と思っている自分に気づきました。

 

とかく何もかも億劫。

 

9時起き21時就寝。

そうしないと体力が持たない。

 

SNSでメッセのやり取りしてても、

定職のある人は昼間返信来ないし、

上記のように暇つぶしするしかない生活。。

 

やっぱり、仕事ができないのはでかいですよ。

 

昼間の時間が多少あっても、

社会貢献や人との交流あるだけで

だいぶ違うと思うのだけど、

家で母と話する毎日。

 

母は専業主婦、

テレビがあれば幸せで、

毎日退屈だから死にたい、

っていう発想にはならないみたい。

 

うちの両親はたとえ何があっても、

「死にたい」とは言わない人種です。

 

人には寂しくなったとき「死にたい」と思う人種と、

寂しくても「一人の時間もらってやったー」と思う人種がいるみたいです。

 

私は友人も財布(親に預けてる)もケータイもなくして、

こんな無為な生活が続くんなら死にたい、と

思う日があるのだけど。

 

まぁ統合失調症なんて患ったら、普通は死にたくなるわな。

 

それでも両親が「見捨てない」と言ったので、

いまは生きています。

 

でも生きることの方が、意外としんどいよ。

 

何かで気を紛らわせるほど、

生きること当たり前じゃないからさ。

こりんです。

 

もう誰も読んでる人いないと思うけど。

 

ふつうじゃない、ということは、かなり自分の存在意義を危うくします。

 

普通の性格、

普通の容姿、

普通の結婚、

普通の仕事。

 

どうか、ふつうであることに甘えず、もっと幸せになってください。

 

私のように普通ではないことによって、

将来をすべて閉ざされ、

友達もすべて失った

不遇な人間がいます。

 

今の私からすれば、例の記事たちは、

何が言いたいのか自分でも分からないくらい支離滅裂で、

傲慢で、貪欲なくせに、

パニック障害で死にそうと騒いでいました。

 

ここで心から言います。

 

いままで私に関わってくれた皆さん、

本当にありがとう。

 

何も恩返しできずごめんなさい。

 

連絡先が詰まったケータイ、

コインロッカーの会社に処分され、

バックアップ取ってませんでした。

 

いまお古のPCのみ与えられてます。

 

Mixiで統合失調症の人や優しい人を見つけ、

ほとんど外出もせず、

メッセをやり取りする毎日です。

 

テレビのみが楽しみです。

 

非難からも賞賛からも遠ざかって、

緩やかな毎日を送りたいと思っています。

 

障害年金、出ると良いな。

こりんです。

昨年12月頃から怒涛の投稿が続き、申し訳ありませんでした。

 

統合失調症でした。

いつの間にかなっていました。

 

某公務員になったはいいものの、

忙しさから通院・服薬できず、

健常者ではないストレスから、

ある日薬を投げ打ち、障害者手帳と自立支援受給者証を切り裂きました。

昨年12月中旬のことです。

 

それでも仕事に行っていたところ、

切迫感や全身の体調不良が出て、

体重が10キロほど激減し、

ベッドから起き上がれなくなりました。

 

当然その過程で仕事は休職。

 

人間ドッグは当然異常なし。

 

そこで休みをもらったのに、

私が行ったのは病院ではなく京都でした。

あと思い出の人に会って来ました。

ただその間当時付き合っていた彼氏に

ストーカーのごとくラインを送り続け、電話をし続けました。

投稿の数もかなり増えてると思います。

 

結果的に救急車を2回、

警察を3回呼びました。

大家さんからは今年2月の段階で出ていってほしいと言われ、

その対応は親がしていたようです。

 

2回目の救急車で精神科閉鎖病棟入院になりました。

 

その時の診断名は身体表現性障害、心気障害です。

 

薬が合わず、妄想がひどかったです。

・過去に付き合った人がHIV感染者であり、自分はキャリアである

・しかもそれを検査を受けていたにも関わらず、告知しなかった

・職場の人に移してしまった

・自分の生活の仕方は感染を最小限にするモデルケースである

・職場の同僚にストーカー、レイプされた。

・彼は警察の取り調べを受けている

・殺人鬼になり、私の愛する人を殺して回っている

・父親が標的になっている

・父親がウェルニッケ脳症で自分のことを思い出せない

・当時付き合っていた彼氏は既婚者で、精神科入院の妻がいる

・私と付き合っていることが露見し、相手の父親とトラブルになっている

・ボケた両親が私を殺そうとしている

・祖母が命を懸けた大手術をしている

・眼鏡、指輪、電卓、時計が通信機器である(通信妄想)

・自分のケータイが誰かに乗っ取られている

 

彼氏からは、入院している1か月の間に別れを告げられました。

本当に申し訳ないことをしたと思っています。

ただこういう状況で謝ると、逆に謝ることがストーカーになるんですよね。

だからある時点から連絡すること自体を止めました。

 

退院後、親と口論になり、殺されると思った私は警察に通報し、

その後一晩別のところに泊まることにして、

そのまま仙台に家出しました。

 

・偉い人の名前を使ってホテルに泊まれる

・自分はHIV患者のモデルケースとして国家から注目されている

・取引でここのホテルに一晩泊まってとある人と関係を持てば、

 自分は要人になれる

・このマンションのこの部屋に、偉い人の息子が住んでいて、

 私に会いたがっている

・HIV患者だが、そのために特別なワクチンを打ってもらえる

・HIV患者なので、服や靴はすべて汚いもの。買い替えなければならない

 

仙台で二晩過ごし、一瞬だけ東京に行きました。

・以前勤めた会社の本社に行けば、自分は雇ってもらえる

 履歴書もスーツも東京で買えばいい

しかし本社の場所が分からず、

地図とスーツが買えない時刻だったのが幸いして、

仙台に戻りました。

 

途中で何度も、警察署に行き、

「親がストーカーだ」と訴えており、

食事はほとんど口にしていません。

 

最後に仙台の警察署に行ったときに、

「家に帰った方が良い」

と言われました。

(そのとき仙台のコインロッカーにケータイを置き去りにし、

後に処分される)

 

何故かそこで私も納得していったんは家に帰ろうとしたのですが、

実際に親に会うと、また妄想がひどくなりました。

 

・以前勤めた会社の会長職に推挙されている

 

親を全力で拒否したら、また精神科閉鎖病棟に逆戻りになりました。

今度は地元の病院です。

以前入院していたところで外来の紹介状を書いてもらっていたので、

そこになったようです。

 

そこでも、通信妄想がひどくて

・レイプ犯の取り調べ

・両親の取り調べ

・役員会議で私を推挙されている

・もと彼氏が私以外の人にストーキングされている

・みんなが私のことを監視している

・私の発言一つ一つが中継されている

・自分はすごくモテる人間である

・歌の才能がある

・経営手腕がある

・偉い人が私を女性として好いてくれている

・ここは病院ではなく殺し合いをする刑務所の前身である

 

…この状況が1ケ月ほど続きました。

つまり独り言をずっと言ったり、

眼鏡に音声と画像を送る機能がついているので

眼鏡の置く場所を気にしたり、

有り得ないことをずっとしゃべったり、

廊下で土下座したり、

といった状況です。

 

この妄想の特徴が、

例え妄想上の他人の行動であっても

「自分が行動しないと事態が進まないんだ」

と思ってしまうことです(強迫行動)。

だから廊下で土下座したり

カーテンを開けたり閉めたり

ベッドの下にもぐってみたり

するのです。

無関係な行動が事態を好転させると思ってしまうのです。

 

 

断薬してから3か月、

元飲んでいた薬が戻ってきて、

(お薬手帳なども破棄してしまったために情報が切れていたので

自分で申告しました)

徐々に妄想がなくなりました。

 

そうなると次に気になるのは

お金、仕事、将来のこと。

 

何度も死にたいと思いました。

 

 

せっかく決まった仕事は6月末日付けで退職になりました。

(その間給料ずっと出ていた)

 

 

とりあえず現状、ケータイは無しです。

連絡先も控え取っていません。

 

将来の展望ですが、

医者から統合失調症で就労不能のお墨付きをもらって、

奨学金をチャラにし、

障害年金を申請して生活の足しにし、

両親が亡くなった時点で、

生活保護を受けて精神科の閉鎖病棟に入院しようと思っています。

グループホームなんかも良いかも知れません。

 

つまり私はあと20年くらい外の世界で生活できるわけです。

そしてそのあと30年くらい内の世界に籠もるわけです。

 

仕事も結婚も望めない生活。

 

これは幸せになりようがないだろう。

 

 

でもひとつ、仕事はすることができますが、

それも一生は続けられないと思います。

理由は色々ありますが。

 

 

この年でケータイなくて親にものを買ってきてもらう生活。

 

出逢いも恋愛もできない生活。

 

想像しなくてもゾッとするでしょう。

 

でもさすがに寂しいので、

Mixiを掘り起こしてやってます。

 

今でもやってる人、結構いるんですね。

 

リア友にはどうせ会えないので、

統合失調症であることも無職であることも

プロフィール上で公表しました。

 

 

皆さん、お幸せにね。

私は私の道を歩むしかないみたいです。

自殺のことを考える日もありますが、

 

私をサポートしようとしてくれようとする人がいるのもまた事実。

 

生かしてくれて、面倒を見てくれようとする人がいるのもまた事実。

 

死んだら悲しんでくれる人がいるかも知れません。

 

連絡をしたら返してくれる人がいるかも知れません。

(まぁ私の場合ケータイを紛失したので、その手段は使えないんだけど)

 

それだけでもじゅうぶん、生きていく希望になるのです。

 

 

仕事がしたいと言いました。

 

私にとって社会貢献と言うのは、

お金を稼ぐ以上の意味を持つからです。

 

たとえ自分が大変な状況であっても、

それを乗り越えて他人の世話をし、

それによって感謝はされなくとも、

社会の一員としていられることが大事だからです。

 

家族の中でお荷物でいるのとは、

圧倒的に違う意味を持つわけです。

 

むしろそれによってお金がもらえたら、

自分で好きなもの買ったり

奨学金返したり

そういう楽しみもあるわけです。

 

統合失調症が難しい病なのは分かっています。

でもそれでも、前向いて進むしかないじゃないですか。

 

できるだけのことするしかないじゃないですか。

 

人が好きな私にとって、

人と接せられない状態で療養、

元気な状態で療養、

と言われても、

正直何をしたらいいのか解りません。

 

でも統合失調症の人の中では、

せめて少しでも明るくありたいといつも思いたいものです。