各地、梅雨の大雨。
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昨日書きましたブログ
茨城県古河市の歴史博物館!
関東の重要な拠点として発展した古河。
いやぁ、、学ぶことの多い博物館でした!
博物館に入って最初の展示が
鷹見泉石ゾーン!
鷹見泉石(タカミセンセキ)、、??誰??
パンフレット右上の方です。
鷹見泉石は、天明5年(1785)古河城下の四軒町の屋敷で誕生しました。のちに古河藩家老となり、安政5年(1858)、74歳で没。ことさら洋楽に関心が高く、オランダ商館長ブロンホフから「ヤン・ヘンドリック・ダップル」という西洋名もつけてもらっていたほどでした。
鷹見泉石がこんにち伝える資料は、幕府政治の中枢にあった藩主、土井利厚・利位の補佐という立場からあつめられたものです。
それらは当時の重要事件を豊富にものがってくれます。ロシア漂流民大黒屋光太夫との関係や、ロシア使節レザノフの来航、間宮林蔵・近藤重蔵の北方探検、ペリー来航、大塩平八郎の乱とその召し捕り、さらに渡辺崋山や蘭学者たちとの交流など枚挙にいとまがありません。
鷹見泉石関連資料約3100点は、国の重要文化財に指定され、定期的に展示替えをして公開しています。
いやはや。濃ぃ人やなぁ
鷹見泉石が書写した海外の情報、地図など
膨大な資料が展示されていて
ほんまに圧倒されます。
さらに3100点もあるんだもの。
海外からの使節が来航する際、
海外の情報を記録した資料を持参するそうで
それを鷹見泉石が書写したようです。
単なる記録ではなく
これまた綺麗に清書されていて
印刷した?って思うほどです。
時代的に
大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一さんとも
繋がりがあったのでは?
と見ていたら
資料の中に渋沢さんの名前もありました。
何かしら接点があったみたいね!
そして
大塩平八郎の召し捕り。
鷹見泉石が仕えていた藩主が
大坂城代として赴任していたときに起きたのが
大塩平八郎の乱。
乱の後、お茶屋に逃げ隠れていた大塩平八郎を
実際に召し捕らえたのが鷹見泉石だったようで
お茶屋に押しかけたときの
リアルなやりとりを記録した報告書などもありました。
大塩平八郎、、大塩平八郎の乱という語感の響きの良さ、そして大塩平八郎が私と同じ誕生日というのもあって、なんとなく気になる人物なのです(笑)
これまでまったく知らなかった偉人を発見
中近世の歴史に疎いので知らないだけかもですが
教科書には出てこない地域の偉人たち。
隠れたナンバー2的な立ち位置、好き
意外と地域発で日本全体を動かしてたりするし。
そうした偉人を学べる地域の資料館!
これだから地域の資料館巡りはやめられない!
先日ブログに書いた、
中1の姪っ子ちゃんがハマってるアニメ
『文豪ストレイドッグス』じゃないけど
いろんな時代の有能な家臣を集めたゲームとか
あったら面白そう(笑)
アニメ・ゲームにも疎いので既にあるかもですが。
大河ドラマにしても面白そうっ!
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茨城県立歴史博物館