【弥生時代の稲作の北限】本州の端っこにデンする旅4 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

9月の晩夏、初秋の東北旅。

愛車のキャンピングカーテントむし君

初の青森上陸キラキラ


道の駅いなかだて弥生の里にて車中泊。

ちょうど開催されていた

田んぼアートと岩木山の美しさに圧倒されました。

そしてそしてもうひとつ

たまたま避難がてらにやって来たこの道の駅に

併設されているのが



なんともりっぱな
埋蔵文化財センターーー!

遺跡巡り好きにとっては

なんというご縁でしょうラブ

ありがたきかなキラキラ



埋蔵文化財、、

遺跡や遺跡から出土した土器などなどのことね。



なんと

来てみてビックリびっくり


弥生時代に朝鮮半島から北部九州に伝わったとされる稲作



グングンと日本各地に広がって

日本海に沿ってこの青森まで伝播したとのこと。

諸説ありますが

ここは

その北限の地とのことでした。


しかしね、

弥生時代にあっという間に伝わったものの

しばらくして稲作は廃れて

またまた縄文生活へ戻ってしまいます。

稲作が定着しなかった地域なのですチュー



その後の調査で

北限の稲作は少し北の弘前市、、となったそうですが


ハキハキニコニコ笑顔素敵な

文化財センターのスタッフさんの説明では

『見学できる遺跡としてはここが北限!!

ということでした。 


そうか

弥生時代の稲作の北限の地ということで

古代米を使った田んぼアートやってるのか!!

爆笑キラキラ



この文化財センターでは

すぐ近くの垂柳遺跡に残っていた

弥生人の足跡が移築されていて見学できます!


さらに

実物の田んぼの遺跡も見学できます!

田んぼの用水路も

綺麗に残っています。

水路の水は今でも地下から湧き出てるそうです。

日本各地に田んぼの遺跡はあれど

なんとここは、、

触れます!!

クリームパン形の手が

弥生時代の畔に触れていますクマムシくん


田んぼは

今の田んぼと違って小さめです。

段々畑くらいの大きさかな。


大きさを伝えるべく

自撮りしてみた、、が、


自撮り慣れてない人ーーー!!!
チューチューチューチューチューもやもやアセアセ

スケール感もいまいち伝わらんしね(笑)


たまには顔出し(笑)。


これまで

福岡県の板付遺跡や

我が町枚方市のお隣、高槻市の安満遺跡でも

弥生人の足跡を見学したことがあります。




安満遺跡もこの垂柳遺跡もそうですが

なぜ足跡が残ったか!?


それは

足跡がついた直後に

田んぼを洪水が襲ったからなのですガーンアセアセ

洪水の泥や砂、粘土で足跡が蓋をされ

現代まで保存されたとのこと。

この垂柳遺跡は

さらに火山灰が覆ったそうですびっくり


昨今の自然災害を思うと

弥生時代からね

ずっーーと

自然災害と付き合ってきたんだなぁとチュー


そして

安満遺跡も垂柳遺跡も

足跡は1人分ではなく

大人と子供、、家族の足跡だったのねおねがい


2000年の

日本を想うみちのくの秋の日。


続く。