対学習院戦開閉会式【アフター5編】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

式典編昼食編レセプション編 に続く第4弾であります。対学習院大学定期戦開会式は約3か月前に終えておりますが、忘れないうちに記しておきましょう。


大学内での一連の行事を終えますと、学外のお店にて應援團同士の懇親会が催されます。学習院大学で開催の場合は目白、池袋界隈、我が校の場合ですと本山周辺、三宮辺りで開催される事が多かった様であります。開催校が費用を負担致します。年に2度しかない顔合わせの場でありますが、意外に盛り上がります。

結構、両團の幹部同士が久々の再会で会話が弾み、余り下級生に類が及ばない事が多いせいかと分析されます。

お店の内外何れかで両校の校歌にあたる院歌、学園歌を斉唱しエールを交換し、その後は解散となり学年毎に分かれるのでございます。

【甲南ハイボールでの宴の後(昭和62年)】
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ここからが両團の交流の真骨頂でありましょう。日中の嵐の如く過ぎて行った時間を共有した者同士が分かち合えるものがございます。レセプション、應援團同士の懇親会でしこたま飲んだ筈なのですが、同期同士で飲む酒はまた別物でありまして、さらに杯を重ねます。行く店はその代の顔触れで変わりますが、開催校が全ての支払いを負担致します。

飲んで歌うもよし、女性が沢山いる店で騒ぐもよし、明日の事など考えず、酔い潰れるまで飲み明かすものでございます。


今から思えば非常に濃厚な時間だったのでしょう。4回生は12月の閉会式前に引退しますので、大学4年間で學習院大學應援團の同期とは計7回しか顔を合わす機会がございません。さりながら今も尚、交流を続ける者が決して少なくないのであります。


そう考えますと、我が應援團が存在していないこの10年間、學習院大學應援團リーダー部の方は、先輩方が経験したこれらの体験が出来る場がなかった訳でありますので、大変、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。


早期に我が應援團を復興せしめ、再びこの交流を再開させたいと切に願う今日この頃であります。


甲南大學應援團OB会広報委員会