甲南大學應援團 親衛隊の起源【7】【最終話】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

昭和36年、八代目幹部により内部体制の見直しが行われました。その過程で我がOB会も本多孝雄先輩を会長に戴き発足致しております。

 

これら改革は成功し、本多三代目引退後、1学年5-7名程度で推移していた團員数が、八代目当時、11名の新入團員(後の十一代目幹部)を獲得し、以降、1学年10名以上の團員を得る体制が整いました。

 

九代目を高部行雄團長(後の五代目OB会長)が継承しますと、他校の様に團長は羽織袴を着る様になりました。高部團長の治世では團員数も40名まで回復し、昔日の勢いを取り戻しつつありました。

【9代目幹部】
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当時、関西の應援團では殆ど親衛隊制度が浸透しており、常設の親衛隊がない我が校は少数派でありました。他校に倣い應援團内部に常設の親衛隊組織を結成する動きが急速に進み、遂に十代目岩城團長の時に、應援團内に正式に親衛隊が結成されます。初代親衛隊隊長には古森浩先輩が選出されました。

【古森浩 初代親衛隊隊長】
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古森隊長は下級生の面倒見が良く、非常に慕われておりまして、当時、50名まで膨れ上がった我が應援團の親衛隊隊長として的確な人物でございました。この隊長の為なら…と死地に飛び込んで行く事も厭わない精鋭が揃ったのであります。

 

八代目甲南大學應援團OB会

團史編纂委員会