女神性開花
内面美+外見美で、誰もが憧れるレディに
愛と豊かさを引き寄せその咲きのあなたへ
我慢や無理から解放
自分軸喪失・カサンドラ症候群から脱却して手に入れたメソッド
自分を整える×女神性 大人淑女コンシェルジュ
紺 よう子
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自分の心を満たして潤い、幸せな人生を掴む方法
カウンセリングや執筆、お役に立つ情報発信をしています
河原日出子さんをご存じですか?
河原日出子さんは、昭和10年横浜生まれ。
20歳でモデルとしてデビューし、その後トップモデルとして50年以上現役で活躍した日本のモデルの草分け的存在です。
2013年に78歳で亡くなりましたが、77歳まで現役モデルとして活躍されていました。
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーーーー
◆河原さんの半生
1935(昭和10)年 横浜生まれ
オペラ歌手を夢みて音楽学校に通っていたが、17歳のとき父親が死去
幼い兄弟のいる家計を支えるため夢をあきらめ、アルバイトに励む
1952(昭和27)年 準ミス タチカワエアベースに(米軍基地のミスコンテスト)
仕事(収入)になるかもと受けたコンテストをきっかけに20歳でモデルの世界に
河原さんの容姿をねたむ先輩からのいじめを受ける
「見返すには一流になるしかない」という思いから、
昭和30年、当時、ただ綺麗に歩くだけのモデルたちに対抗するため、
雰囲気をだして、お客さんと目線を合わせ駆け引きをしながら歩くスタイルのモデルへ
この斬新な姿が評判をよび、モデルの依頼が急増
1960(昭和35)年 25歳でトップモデルに
1970(昭和45)年 35歳で新たな自分をみつけるため引退
(38歳で子宮がんの手術)
1975(昭和50)年 40歳でモデル復帰(収入のため)
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河原さんについては詳しい記事がこちらにとても上手にまとまっていたので、こちらから引用させていただきました。
わたしが彼女に出会ったのは2012年のこと。
計算してみたら、なんとこの時77歳!!
わたしは、喫茶店に置かれた最後の一枚のチラシの「77歳の現役モデル講演会」という言葉に惹かれて、一人会場まで足を運んだのでした。
お恥ずかしながら、その時は河原さんのことは存じ上げませんでしたが、
この時から親交が始まろうとは夢にも思いませんでした…。
その講演会の写真がこちら。
季節柄、黄色い菜の花がたっぷり飾られたステージで初めて見た河原さんは本当に女神のように美しい方でした。
神々しく、透明感があり、凛と背筋の伸びた、まさに大人の貴婦人でした。
三宅一生のランウェイモデルでしたので、
この日は黒と黄色の衣装を披露してくださいました。
(残念ながら黄色い衣装の写真は見当たりません)
外見が美しいのはもちろんのこと、存在そのものが美しく控えめでいて輝くようで、
わたしは周りが気にならないくらい夢中になってしまいました。
まさに「女神降臨」ってこういうことなのかと感じていました。
講演会が終わった後、来場者(殆ど年配女性でした)たちが殆ど帰ってしまってから、
どうしても河原さんとお話ししてみたかったわたしは、スタッフに話しかけてみました。
(このあたりの直感と行動力はわたしの十八番です(笑))
当時はいい時代で、なんと!
河原さんが出てきてくださって、わたしは直接言葉を交わすことができました。
とは言え、わたしはすっかりポーッとなってしまって、何を話したか覚えてはいませんが。
河原さんはその時を振り返って
「講演会が終わって話しかけてくる方は珍しい。
きれいな人。そして変わった人!」
と思ったそうです(笑)
そんな風に、河原日出子さんとわたしは初対面をするわけですが、
下の写真のように、一体なぜ我が家のリビングでトップモデルの女神がお茶を飲むようになったのか?
それは次回お伝えしたいと思います。
行動が減ると、運気が下がります。
現実を変えて、人生を好転させていくのは、行動することが不可欠です。
頭の中でどんなに考えて妄想していても、行動しなかったら変わりません。
1月から、自分を確立して悩みから脱却し、
さらにその咲きの素敵な大人淑女になれる講座を行います。
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