[Amebaグルっぽ]

 

AmebaMeister 丸形170px

 

実母の他界から2ヶ月半が過ぎ、

懸案だった相続問題も何とか片が付きそうです。

 

この間の一連のやり取りを通じて、

若い身内に「人としてこれだけは忘れてはいけない」という、

2つのことを思いました。

本当であれば、少なくとも戸籍上は一番近い年長の身内として、

しっかり伝えなければならない責任が私にはあるのでしょうが、

甘やかされることに慣れて、それが当たり前として育ち、

今もそれを許す大人に囲まれ、自分に厳しいことを言う人間から逃げて生きている

「その人」に直接伝えることはできない。

だから、ここに書いておきます。

誰か、目先の甘やかしでなく、本人の一生をきちんと考えてやれる誰かによって、

いつか届けられることを、わずかに期待しつつ。

 

ひとつ

権利と義務、責任は表裏一体ということ。

権利を主張するなら、その裏にある義務を果たし責任を負うべきである。

何もしないでもらうものだけもらおうと権利の主張をすることは、

さもしく恥ずかしい行為である。少なくとも日本人社会では。

義務と責任が果たせないなら、権利も制限されても仕方ない、

それを肝に銘じるべきです。

例えば未成年は責任を背負えない部分があるから保護者に権利を制限されると

法でも決まっているのです。

権利を主張する前に、まず義務を果たしましょう。

義務が果たせないなら、権利を主張しない、それが信頼にもつながります。

 

ふたつ

してもらったことに対して、感謝の心を持つこと。

自分では何もできない子供のころならいざ知らず、

いや子供であっても感謝の心は持てる、言葉で表現はできるはずです。

世界はあなたを中心に回っているわけではないのです。

周りの人たちが、あなたのために何かしてくれることを当たり前だと思わないこと。

あなたのために無償で、自分を投げ出す責任があるのは、親だけです。

親は、自分の選択で子供を産んだのですからね。

でも、それ以外の人は、あなたに尽くす義務などないのです。

「してもらうこと」を当たり前だと思っているから、

「してくれない」人に対して、不満を抱くのです。

それは間違っています。

他人(たとえ身内でも親以外なら)はしてくれないのが当たり前。

してもらったら心から感謝する。

そして、言葉はもちろん、形で表すことができるなら、

毎回でなくてもいいので、感謝の心を形にすべきです。

気持ちだけで十分、それは「してやった側」が言うことで

「してもらった側」が言うべき言葉ではありません。

 

私にはもうどうすることもできない。

せめて、「その人」のことを思ってくれた人、「その人」のために動いた人、

特にただただその善良さだけで、無償の行為を続けてくれた人達に

今後迷惑がかかることがないように、心から祈ります。

 

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