2009年2月29日
わたしは、この日をキッカケに自分の内面を見つめる作業に入りました。
いろ~んなことがありすぎて、順番には何にも書けませんが、
少しずつ、思い出しながら書いていきます。
今日は、自分の内側から出てきたものに抵抗しないとうこと。
わたしは、もともと、自分でも「直感」で動く、「直感人間」だと思っていたのですが、
その「直感」が気が付いたらドンドンなくなっていってました。
* わたしだけではなく、本当はみんな「直感人間」ですけど。。。
自分から、こんなものを持っていても世間では生きにくくなるだけ・・だったらいらない・・
という風にも思っていたので、自ら閉じていた。。というふうにも思います。
でも、この「直感」を取り戻そう。。
自分の中から浮かび上がるものは、否定せずに感じよう。。。
ということを始めました。
それは、自分の中から起こってくる『感情』に関してもです。
恐いなら、恐いという感情をしっかり感じる。。。
そう、頭で恐いを理解するのではなく、身体で感じるんです。
わたしの場合は、「恐い」や「怒り」「痛み」は、心臓、胸にキューンと痛みがくるんですが、
胸の辺りがモヤモヤしたり、頭がカーっと熱くなったり、
たぶん、人によって色々あると思います。
面白い経験をしました。
ある嵐の夕方、もの凄い雨と風、そして雷。
雷が落ちて停電になったらどうしよう。
それよりも、この雷さっきからどこか近くに落ちてるんじゃないの?
だって、凄まじい稲妻と雷音絶対、近くに落ちてる~
1人暮らしをしていた時だったので、余計に「恐怖」が募ってきます。
その時、
今までの何倍もの雷音と稲光と地響きが・・・・。
その瞬間、ビックリと恐怖で、わたしの心臓がドッキンと激しく痛み、(本当に痛かったです。)
「イタ~」と胸を押さえたのですが・・・・・・・・・・、
瞬時に
「この痛みを味わおう」
と思って、(チャンスと捕らえたのです。)その痛みに意識を集中させました。
そうしたら、
「衝撃」が大きいと良く分かりますね。
その痛みが、胸の奥へ奥へと伝わって行き、スーっと吸い込まれて、溶けてなくなったんです。
そのなくなる瞬間まで、じっくりと味わいました。嵐の中で
不思議な感覚でした。痛みが固形物のようにも思えました。
そのゴツゴツした固形物が、本当にスーッと溶けて胸の奥で無くなったんです。
その後のわたしの胸の奥の空間は、
さっきまでの衝撃とは一転、シーンと静まり返っていました。
「恐怖」が無くなった瞬間です。
この受け取り方が、本当に「感情を味わう」方法だと思いました。
それから、何年か経っていますが、それ以来、
わたし、不思議なことに雷に恐怖を感じたことがないんです。
あれ以上大きな雷を経験していないからなのかもしれませんが、
一度、しっかりと経験したものは、もう、経験する必要がないんですね、きっと。
だから、
「怒り」を押さえる方法や「怒り」を出さないようにする方法を模索中の方に出会うと、
絶対にそんなことしないで・・・って思ってしまいます。
出てきた感情を途中で止める行為は、トゲトゲした不快な固形物を固形物のまま
また、胸の奥に押し込める行為。
胸の奥にある
昇華させたい感情が何かの『衝撃』によって、せっかく顔を出してくれるんだから、
そのチャンスを逃さないでって思うんです。
その感情は、
「もういらないよ。だから、しっかり感じて溶かしちゃって。」って言って顔を出しているんです。
そして、その顔を出すのに必要な「衝撃」が、色んな形でやってきます。
人間関係、仕事、家庭、お金、恋愛・・・
でも、この「衝撃」がなければ、わたしたち気づかないんですよね。
もう、手放していい感情にいつまでも翻弄されるんです。
だから、この忌々しい「衝撃」は、わたしたちに気づきを運んでくれる「愛」なんです。
いつも、わたしに嫌なことを言ってくるあの人も
問題だらけの生活も
病気やケガも
「全てが愛」なんです。だから、「全てに感謝」なんです。
そして、「愛」は、惜しみなくわたし達のために尽くしてくれるので、
その「衝撃」に、「チャンス」に気が付かなければ、何度でも繰り返し繰り返しやってくるんです。
そして、どうしたら気づいてくれるだろう?って考えて、さらに大きな、トゲトゲ、ゴツゴツの
嫌な固形物が現れるような「衝撃」を用意してくれるんです。
わたし達のために。。。
もう一度、書きますが、
感情を「頭」で解決しようとしても消えてくれません。
身体で感じるんです。
でも、感情はココロで感じるんじゃないの?って思う方もいますよね。
何だか変な感じでしょうけど、身体とココロは一心同体。
身体で感じることは、自然とココロで感じることになっているので、よろしかったらやってみて下さい。
「全ては愛」「全てに感謝」。。。