鬼滅の刃から学ぶ「子育て」観

 

こんにちは☺

ご訪問ありがとうございます!

 

突然ですが

みなさんは「鬼滅の刃」はお好きですか。

 

我が家は、息子がアニメを見たことがきっかけですっかりはまり、

今では児童書を読んでいます。

 

↑こちらのシリーズです!

 

お子さんが小さいお家では、

「こどもたちにはあまり見てほしくない」と思う方もいらっしゃるかもしれない

鬼滅の刃。

 

実際、言葉使いや、戦闘シーンの描写など、

大人でもみていて目を反らしたくなることがあったりしますよね💦

 

一方で、大人が涙したり、はまってしまう世界観があり、

海外でも映画が公開される人気作でもあります。

 

今日は、そんな鬼滅の刃を読んでわたしが感じたこと、学んだことの一部を

「子育て」という視点から書いてみたいと思います。

 

 

最初に、鬼滅の刃をご存知ないかたへ簡単に内容をお伝えすると...

 

時代設定は、大正時代。

人間と、その人間を食べる鬼がいる世界。

主人公の炭治郎は、留守中鬼に家族を襲われてしまう。

唯一生き残った妹のねずこは、鬼となってしまう。

 

炭治郎は、仲間とともに妹を人間に戻す方法を探すため、

人々を守りながら鬼たちとの戦いに身を投じる。

 

といった、こんな感じのストーリーです。

 

まず、ここで補足なんですが、登場する鬼たちは

もともと鬼ではなく、人間なんです。

 

鬼滅の刃作品で、特に強く描かれてる鬼たち(十二鬼月)

彼らがどうして鬼になってしまったかの理由が、ものすごく人間味あふれるというか

葛藤や挫折、、憎悪、裏切りなど人間の心の弱い部分が影響していると感じています。

 

 

 

 

鬼はもともと人間で、人間時代の弱い部分や悪いとされている部分だけ

切り取ってしまったのが鬼だとしたら、誰にでも鬼になってしまう可能性はあるし、

例えば教室で(この言葉はあまり使いたくないのですが例えとして)

問題行動をしているように見えるこどもがいたとしたら、それは

その子の鬼の部分しか見ていない状態なのかもしれません。

 

 

それぞれの鬼が鬼になってしまった理由の部分には、

毎回心がぎゅっとつままれるような気持ちになります。

 

鬼になる理由、引き金となる出来事や感情は何だったのか。

 

問題行動を点ではなく、線でとらえる視点でみると、対応は違ってくるのではないかと💦

 

 

 

 

余談ですが、わたしが目を反らしたくなるのは、

鬼との戦いのシーンなんですが

これは敢えての描写なのかもしれません。

 

いろんなことに葛藤したり悲しんだり、妬んだり羨んだり、卑下したりといった

感情に打ち勝つことが、あの戦いのシーンで描写されているのではないかと。

 

子供向け番組では、頭のなかに「天使」と「悪魔」が出てくることもありますが

あんな感じて誰にでも、鬼になる気持ちはあるのではないかと💦

 

 

話を戻して..

 

炭治郎や彼の仲間や入隊した「鬼殺隊」のメンバーは

それぞれが自分の呼吸をもっています。

 

物語に出てくる最初の呼吸は「日の呼吸」とのことですが、

それぞれが自分の思いや信念、バックグラウンドから「日の呼吸」では

ない呼吸の使い手となっています。

 

ここから思ったのが、「日の呼吸」といったお手本的なものにあこがれて

それをそっくり真似しようとしても、その人によってなれるものが変わっていく。

 

つまりそれは、「個性がある、ユニークさがある」からで

子育てでも、あこがれる子育てに寄せようとしても、そのようにならないのが

普通というか、それでいいんだと思います。

 

 

 

ママ・パパだけでなく、こどもに関わる方もみんなが「日の呼吸」である必要はなく

いろんな呼吸の使い手になれば、それぞれがそれぞれの強みをいかしていくことになりますね!

 

 

そして、「頭でわかる」感覚と「体がわかる」感覚は違っていて、

「身に付ける」というのは、気持ちや身体といった知識以外の部分の影響も大きいのかなと。

 

 

 

鬼滅の刃から学ぶ「子育て」観

読んでくださりありがとうございます。

 

こんなふうに子育てとは直接関係がない本を皮切りに

子育てについて、自分について向き合う時間といえば!!

 

『視点ずらしカフェ』

 

 

今年も様々なジャンルの課題図書から、毎月1回、子育てについてアウトプット

しています!

 

今回は視点ずらしカフェの課題図書ではないのですが、

個人的に鬼滅の刃について話す機会があったので、すごく簡単にですが書いてみました。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます✨