こどもの『パニック』どうしてる!?

 

こんにちは☺

ご訪問ありがとうございます!

 

我が家の息子は、大人からみると

「こんなことで!?」と感じてしまうようなことでパニックになることがあります。

 

みなさんのおうちではどうでしょうか。

 

今日は、息子のパニックとそれに対してのわたしの付き合い方を書こうと思います!

 

 

 

さて、息子がパニックになるのはどんなときかというと...

 

幼児期から

①自分の思い通りにならなかったとき

⇒やりたいようにできないといった、気持ちの思い通りにならない

というのも含みますが、だんだんとそれは、予測や見立て通りにならなかったとき

のほうが強く表れるようになりました。

 

②何か怖い気持ちになったとき

⇒雷や強風、大雨といった自然のものや、

突然猫がこっちに向かってきたとき(苦笑)

 

③こだわりからの気持ちの折り合いがつけられないとき

例えば、①と同じといえるかもしれませんが

どうしても勝ちたい、負けたくないのに負けてしまうとき

 

④言語化できない気持ちの整理がつかないとき

⇒学校やおうち以外から持ち帰ってきた、いろんな気持ちへ対処できない

 

大きく分けるとこんな感じです。

 

 

今回、パニックに関してのわたしの向き合い方の例として、

去年、家族で行った花火大会でのパニックについて書きますね。

 

 

 

去年、車で10分かからないダムの下にある河原での花火大会に行ったとき

(コロナあけで数年ぶりの開催ということでか!?)

普段は全然車がいない場所に、車、車、車!!!

田舎の狭い道なのでよけいに、車が渋滞していました💦

 

 

ここは抜け道だから、と田んぼ道(田んぼへ行くための農業用の車専用の道)

に入ったとき、前から逆走してくる車が!!

 

後ろからの車にはさまれてしまい

(田舎の田んぼ道なので)真っ暗な中、全く動けなくなったわたしたち。

 

 

 

渋滞していることにハラハラ、メソメソ

していた息子は逆走してくる車たちに気付いた瞬間、大パニックを起こしました。

「花火なんて大嫌い」と何度も叫び

それからは、テレビなどの花火の映像をかたくなに拒否していました。

 

 

 

それからの1年の間、学校以外のことで

なにか息子が怖いと思うことがあると

「怖いって思うんだね(感じるんだね)」

「どんなことがこわいか言える?」

「怖くなった、嫌だと思ったけど

(今普通に過ごせているね)大丈夫だったよね」

のような言葉かけを小さく重ねてきました。

 

 

息子がパニックになっている動画を

一緒にみながら、自分の姿をみてどう感じるかを話しました。

 

 

 

パニックになってもいいし、なっても大丈夫。

でもこれを恥ずかしいと思うなら

大丈夫だったことを思い出すことで

少し安心できるかな など話をしてきました。

相撲大会の後にもこんな話をしていました。

(相撲大会についてはこちらです)

 

 

そして迎えた花火大会当日。

 

 

 

息子は去年のことを思い出して行くことにあまり乗り気ではありませんでしたが、

車は(離れますが)渋滞のない場所に停めて

いつもより不安げな表情をうかべながら会場へ向かいました。

 

最初の花火が打ち上がる前までは

(excitedではなくanxiousの)ソワソワ、ドキドキでしたか

花火の打ち上げがはじまるにつれとても楽しそうにしていました。

 

 

見終わったあとには、

「あ〜楽しかった」とbefore afterの差がすごい笑。

 

 

わたしは息子に

「ドキドキしたかもしれないけど大丈夫だったね。」

とつぶやきました。

 

(何か伝えるときは、わたしが独り言のようにつぶやく感じのほうが

聞いてくれているなと思うことが今はあるので、このようにしています)

 

 

去年パニックになったのは

「家にもう帰れないと思ったから」とのことですが

パニックは、何かしらの感情による、起こしてしまう理由がある

 

その感情に対し、

「そんなこと思わなくてもいいよ。大丈夫だって!」

と言ってしまいたくなりますが、

それでは、その感情を感じたことをダメと否定されている

と息子は感じてしまうかもしれないので、そこはぐっと飲み込んで

(心の中でパニックのあまりのすごさに笑ってしまうこともありますが笑)

 

 

 

「気持ちを感じてもオッケイ。でも大丈夫だったよね」

 

の積み重ねです。

 

そして「大丈夫だったとき」はどうして大丈夫だったのか

自分で分析してもらうような話をします。

 

 

自分との対話や自分で分析することで、自分で課題(不安、懸念要素)をみつけ、

自己解決できるようになっていけたらと思っていて、今回の花火大会はその積み重ねからの変化もあったのかなと。

 

 

 

パニックになる気持ちを言語化することは、息子にはまだ難しいですが

そんな幼さが残る今だからこそ、わたし(母)との関わりが密で、わたしの声が届く間は

そのサポートが自然にできる貴重な時間だと思って過ごしたいです。

 

パニックになって暴れるような姿の息子に

×を出すのではなく、「信じる」気持ちで見守っていけたらと思っています。

 

あっ、「信じる」は、パニックに限らずですね!

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございます☺