やはり役者の風向きが変わったのは1960年、『不知火検校』を引き当てたことだとは誰しも勝新太郎に思うところです。翌年には『悪名』、翌々年にはいよいよ『座頭市物語』となって目の見えないこの世を生きながらまさに節穴から腕まで捻じ入れて世を攫う底なしの悪党を演じてみせた役者の賭けを見事に引き寄せたと言えるでしょう。悪と背中合わせに道をはみ出す型破りの主人公たちがそれまで白塗りの二枚目の下で燻っていた勝本来の奔放さを引き出したとはよく言われることでまさしく当たり役ですが、ただ当たり役とはつまるところ当たった役でしかないことを思えば幾分同語反復な話です。白塗りの二枚目と言いますが当時の大映にあってそれは長谷川一夫をなぞるということであって品川隆二が言うには声色まで長谷川に似せるため撮影所ではさすがに眉を顰められていたとか(谷川建司『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』森話社 2021.1)、後年になっても例えば空威張りに構えたところを女性や若造、子供にひと言をやりこめられるような場面で勝がぶつくさと腹に響かせて声を低くくぐもらせる台詞回しは明らかに長谷川のそれで、一度付けた癖はなかなか抜けないものです。だいたい勝の芝居それ自体は(春日太一が<天才>と持ち上げるほどに)突飛でも肌理細やかでもなく無難か(まあありていに申して)大味といったところでそれを逆手に自分の愛嬌でほれこの通り芝居をご覧にいれますと大見得を切ってみせる千両役者の風格に引き上げています。だからこそ例えば『鉄砲安の生涯』(木村恵吾監督 1962年)のように車夫ながらたまたま暴漢に組み付いてロシア皇太子の危難を救ったために下されたありあまる報酬に村では下には置かない扱いながらすべてはこの金目当て、そのしたり顔の下では車夫風情と侮る心が透けていて金で横っ面を張れば張るほど思う壺という境遇にふらつき頭をぶつけむしゃぶりつくひとり芝居を見ても、『鬼の棲む館』(三隅研次監督 1969年)で愛妾に魅入られて荒れ果てた寺で戸を閉ざした日がな夜の生活に酔い痴れているところに捨てたはずの女房が訪ねてくる場面では高峰秀子相手に婦道の取り澄ました良妻ぶりに癇癪を起こしてひとり罵る芝居を見ても、はたまた『やくざ絶唱』(増村保造監督 1970年)では妹へ恋愛とも崇拝とも付かない感情を抱くやくざ者の兄が家に引っ張り込んだ愛人に図星を指されて彼女の髪をひっつかんではくんずほぐれつの取っ組み合いをする場面でも、そういう(愛嬌ではどうにもならない)芝居の地金を問われるところで勝の芝居は画面を支え続けることができません、(大の男が地団駄踏んでいる、それがただ地団駄踏んでいるままぽろぽろと遮二無二にやっている鍍金の下が見えてきて... )最後など愛人役の太地喜和子が勝をひっつかんで芝居の沸き立つところまでずり上げていて彼女の器量に脱帽させられます。要するに勝新太郎は田崎潤でも加東大介でも有島一郎でもないということです。彼がいれば10分でも15分でもひとりで画面を支えて誰かに引き渡すまで芝居の張りを弛ませないでいるそんな役者ではない、おそらく1960年のあの時期に勝が自覚したのはそういうことだと思うわけです。

 

 

 

 

私たちが勝を語るときについつい『悪名』や『座頭市』、『兵隊やくざ』が当たり役だと思うのは勝新太郎という役者の人柄(というか生きざま)に引きずられて役と役者を重ね合わせてしまうからで端的に出来事を逆さに見ているということでしょう。確かに1958年の『弁天小僧』(伊藤大輔監督)と1962年の『女と三悪人』(井上梅次監督)を見比べると前者は白浪五人男を向こうに廻して役こそ遠山金四郎ですが主役の雷蔵と切り結ぶには役に役者が吊られている感じで、ところが後者になると三人吉三を下地に両脇に雷蔵と大木実を従えて頭ひとつに抜きん出る役者の貫禄に翻っています。もはや大映のトップスターとして雷蔵と遜色ない自分への漲る自信を見せつけられる思いですが、それを『不知火検校』を当てた、『悪名』を当てたことにその理由を求めるのではなくそれらを当てるまでに勝に自分を見切らせたものに分け入って今回のお話です。戦中には剣聖と謳われる阪妻、右太衛門、千恵蔵、アラカンを擁した大映もいまやそのひとりもなく(アラカンは新東宝、阪妻は松竹、右太衛門、千恵蔵は東横映画に移ってしまって)、なかなかに因縁の絡みつく永田雅一に懇請されて大映に来るや屋台骨をひとり背負ってきたのが長谷川一夫です。その長谷川に自分のあとを襲うと目されたのが雷蔵でまさしく白塗りの二枚目は雷蔵が引き継ぐわけです。そうだけに立って水も滴る一座の花形という見かけを越えて白塗りの二枚目を生きることの意味が雷蔵の生きざまに見えて、例えば『若親分』(池広一夫監督1965年)。海軍の士官ながら闇討ちに散った親父の跡目を継いで渡世の世界に一陣の風となって吹き渡る見目涼やかな雷蔵です。遺された姐さんが(まあ母ですが)彼の後見となって手厚い町のひとたちとも気心を通わせている... まったく『日本侠客伝』(マキノ雅弘監督 1964年)をなぞりつつ彼らの人気に自分こそ真打ちという気構えで当てていった雷蔵の任侠映画ですが(そうだけに両者を見比べて)一見した違いはとにかく雷蔵が出ずっぱりであるということです。任侠映画ですから子分たちがずらりと控えて芸者のあれこれも若親分の消息に胸をやきもきさせる入れ込みよう、勿論鎬を削る敵役とは命を的にやがては匕首を交える運命です。そういうひとと綾を幾重にも折り畳んでいくのが任侠映画ですが大出入りから賭場の小さな諍い、それがこじれて引くに引けない差しの勝負、何度か持ち上がる横車にもその度雷蔵がひとりで乗り込んでいって、大団円の斬り込みも子分たちが駆けつけたときには雷蔵がとんと方をつけてるんですから三下の山田吾一どころか若頭の成田三樹夫ですら若親分の無鉄砲さと鮮やかな手並みにただ呆然とするだけの役廻り、見せ場という見せ場を雷蔵がひとり掻っ攫っていきます。

 

 

 

 


もう一作見てみましょう、『沓掛時次郎』(池広一夫監督 1961年)はよく知られた長谷川伸の戯曲ですが雷蔵版が特異なのは渡世の義理で已むなく手を掛けたために芝居全体を、何より腹の底では引かれつつ(ましてや女の腹にはそのひとの子があることが)思いをおくびにも出せない主人公とヒロインを縛りつける六ッ田の三蔵殺しがなくて、腕一本を落とすと雷蔵は三蔵を見逃してやります。結局悪党に殺されはするんですが自分が命懸けで落ち延びさせる母子に敵と罵られる呪縛からそもそも逃れているため雷蔵は晴れ晴れと人助けに飛び回ってやはり見せ場は独り占め。最後も母を亡くした子供を里に引き合わせて去る道々を大きく仰ぎ見る子供が声の限りに<おじちゃん、おじちゃん>と叫ぶ果てに<おとっちゃん>と口にして(まあ言うまでもありませんが『シェーン』を引き写しつつ)後ろ姿の雷蔵を引き立てるんですが、何年も一緒に暮らしたんならともかく本当の父親が斬り殺されてひと月経つか経たずでそりゃないだろうの仕立てです。お芝居をどこまでも自分本位に束ねるこの強欲さは(のちに『新選組始末記』(三隅研次監督 1963年)ではそもそも配役されていないにも拘わらず脚本の出来に居ても立ってもおられず撮影現場に押しかけるまでの底知れなさで)即ちそれが白塗りの二枚目を生きるということなのだと思います。それは何も雷蔵に限ったことではなく同じところに立つ市川右太衛門にしても大川橋蔵にしても(共演者は事件に血相を変えて彼らの許に馳せ参じるか手の上で踊らさせるか果ては一網打尽に懲らしめられるか)残らず見せ場は頂くわけでそれもこれも年10本90分出ずっぱりに雀躍して観客を見飽きさせないだけの芝居を打ててこそであり、雷蔵の先の二作にしても場面で押しと引きを加減しつつ出ずっぱりを単調にしないだけの雷蔵の力量と目算こそ感嘆させられます。1960年に勝新太郎が白塗りの二枚目を捨てたと言われるその内側はこういうことなのであり、捨てたのは白く塗った二枚目の顔なのではなく見せ場をすべて取るスターの生き方ということです。

 

 

 

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増村保造 やくざ絶唱 太地喜和子 勝新太郎

 

 

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