[ お話は 前回 から引き続いて ]

 

それでも小沢昭一の芝居にあらぬ思いを抱くこともなくあの、役の意気込みが内側で身悶えたまま出口もなく小沢の毛穴ばかりが膨らんでいる姿を見ても言葉にならない自分の視線の覚束なさを感じながら芝居の熱に押し切られていた次第です。その迂闊さにまさに天から銅鑼声のひと振りを打ち下ろしたのが加藤武であり彼の聞き書きにある一節ですが(市川安紀『加藤武 芝居語り』筑摩書房 2019.7)開陳かたがた折角ですから名高い文学座の分裂騒動からゆるゆると紐解いて参りましょう。戦前岩田豊雄に名づけられたこの劇団で発足当初彼ら支援者たちの大いなる期待が寄せられていたのは田村秋子であり文学座は紛れもなく彼女の劇団です。しかし程なく夫の友田恭助が中国戦線で戦死すると(残された子供たちの養育に専心する形で)芝居を第一とする田村の人生は終わりを告げます。(戦後に散発的に女優業を再開する田村の一作に市川崑監督『こころ』(日活1955年)があります。漱石の原作のままに下宿の隣部屋で友人が自殺していることにおののきつつ日本家屋の朧な闇のなかで主人公である森雅之にそのことを知らされる田村明子はこの下宿の未亡人であり思わぬことに一瞬目をぎらっと廻し... 下手をすると取ってつけたようなこの芝居がまったく簡素にして芝居の煌めきさえ無明に放ってこれが世に謳われた田村の天性かと瞠目させられます。)となると言わば主人のいない劇団を牽引しそれに息吹きを注ぎ込み続けたのが杉村春子でいまや特高も治安維持法もなく戦後に吹きこぼれた数々の新劇の華やぎは俳優座、民芸、文化座、薔薇座、青俳、東京芸術座...  と数知れずそんななか杉村を座頭に重鎮から若手まで多士済々が揃う盤石の文学座に底知れぬ地割れがた走るのが昭和38年です。

 

 


この騒動は何につけよく触れられますが私が加藤の本で知ったのは騒動の口火が劇団を脱退していく者たちによる声明なり記者会見ではなく分裂の画策を嗅ぎつけた新聞の暴露であったことで勿論双方に寝耳に水、しかも本公演の期間中とあって劇団を割ると報じられた者たちと杉村は舞台では親子になり仲間になって(笑いさんざめき泣いて腕を絡めながら)一旦袖に入るとひと言も目も口も合わせぬ重い二週間が残されます。この辺り騒動の内側にいた加藤の言葉ですから唾を呑み込むのも憚れる生々しさでして実のところ加藤もこの画策を知っており知ってはいても仲間を売ることもできないまま杉村の顔を見ては苦しい胸のうちを抱えていたと言います、ただ本人も言うように脱退に声を掛けられたのではありません。映画での活躍はそれとして当時劇団では鳴かず飛ばずの加藤に誘いの声は掛からず逆に劇団では抜擢と言える取り立てに見事役者の華を咲かせていた北村和夫は何にせよ胸に仕舞っておけないひとで勿論彼などいの一番に参加の声を掛けられて(しかし引き上げて貰った杉村への恩義を思えば)煩悶限りなくついつい加藤に漏らしたわけです。この騒動はいくつかの悲しい結末を生みますがそのひとつが北村和夫で脱退者には夫婦で劇団に所属していたひとたちも少なくありませんが皆行動を共にするなか北村は夫婦を割って劇団に残る決心をします。また杉村をして自分の後継者と可愛がった文野朋子も脱退側とわかり加藤に言わせるとこれから杉村はひとを信用しなくなった、もう自分のあとを継がせるなどという期待を持たずそれはあれだけ目を掛けた太地喜和子にしてもそうでひとはひと、自分は自分だけ見ていればいいという生き方に徹したと。脱退の顔ぶれを見廻すとついつい役者の格から首謀者は芥川比呂志と思われがちですが加藤によると(芥川はいよいよ最後の最後に声を掛けられただけで)絵図面を引いたのは仲谷昇、一刻者の加藤としては例え麻布中学からの親友とは言え以降仲谷とは口を利かず。

 

 

 

脱退は29名に上って(この数字も杉村には見えていなかった座員の不満の実のところを突きつけていて)何より芝居を支える中堅をごっそり失ったんですからこれからの公演を思えばいっかな杉村とて目の前が真っ暗になったことでしょう。このときでしょ、騒動発覚で(駆けつけた記者たちも入り乱れる)足の踏み場もない喧騒に一通の電報、気落ちしているだろう杉村に<オレガツイテルゾ サトミトン ボクモツイテルヨ オヅヤスジロウ>、何とも頼もしい文士と映画監督です。そしてもうひとり頼もしい男が名乗りを挙げます、屋台骨のぐらつく文学座に三島由紀夫が満面の笑みで登場します。座員とともに脱退した福田恆存の穴を埋めるどころか溢れ返そうという意気込みです。ところが次の騒動の引き金を引くのがこの三島でして... と言いますのは台風一過で去る者は去り残る者は残った言わば清々しい残骸に立ってここを演劇のもっと生々しい現場として再建したい三島はあからさまな政治劇を持ち込んできます。頭ばかり大きな胃弱の青年からまさに<太陽と鉄>の鋼の男へと変貌していく時期で三島はこれからあの後半生へと突き進んでいくわけですが言わばそのような先触れに杉村が怯んだわけです。自作の上演中止を潔しとしない三島に呼応して前回に準ずる数の座員が何と脱退を表明してしまい(まあ大量脱退劇は当然残ったひとりひとりにも何らかの思惑を生えつけるわけでそれらを抱えたまま船出した途端に嵐に呑まれたんですから言わば纜の切れた心は風に吹かれるまま見果てぬ未来に自分たちの姿を追って)賀原夏子や丹阿弥谷津子の名前もありますが加藤曰く杉村に痛手だったのは前回の騒動でも微動だにしなかった中村伸郎がそのなかにあったことで、世の中のことをいつもくしゃくしゃと下顎で持て余しているような中村はやがて三島の主催する浪漫劇場に参加すると三島の死まで寄り添います、さてもどう馬が合ったものか。このふたつの分裂騒動は昭和38年の一年のうちに起こったことで(ちょうど三島の件が一年のだめ押しに杉村を押し流しているときにやってくるのが小津の訃報とは何ともはや)しかしそんなこんながあっても揺るがないものがあるとするとそれが加藤武の、杉村春子への尊崇です。

 

 

田村秋子 AkikoTamura

 

こちらをポチっとよろしくお願いいたします♪

  

 

杉村春子 HarukoSugimura

 

 

関連記事

右矢印 ひとり、小沢昭一 : さてお立ち会い

右矢印 ひとつ軽い

 

 

前記事 >>>

「 映画ひとつ(づり)、ミツヨ・ワダ・マルシアーノ『ニッポン・モダン 日本映画 1920・30年代』 」

 

 


■ フォローよろしくお願いします ■

『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ