ニッポン・モダン 日本映画 1920・30年代
  作者 : ミツヨ・ワダ・マルシアーノ

  出版 : 名古屋大学出版会
  作年 : 2009.1



題名の意味するところを引きますと、日本語での<近代>と<モダン>というふたつの言葉は(勿論欧米では意味上の区別はありませんが)前者が政治や歴史、芸術、文化の区分に用いられる言わば重々しい身振りであるとするとはるかに消費的で流行的、風俗的な軽やかさに浮き立つのが<モダン>です。まさにこのモダンの軽佻なたゆたいに乗って映画は時代を映していくわけですから1920年代、30年代の映画から逆に時代の層を浮かび上がらせることを目論んでの、この題名です。これまでも旺盛に為されてきた海外研究者による日本映画の分析が(やはり目に触れ得る作品の限界もあって)作家主義的な取り組みに偏ってそのためにともすれば取り上げる映画監督を時代にひとり例外的な才能と結論しがちであることを諌めてその偏重を見直すためにも本書では年代のなかに考察を置いているというんですから何とも期待が高まるところです。ただまあ何というか志の気高さはそれはそれ、読み進むうちに私の胸に去来するのは映画のことよりも何とも重だるい私たちを取り巻く現実でしてそれを知る意味でも本書と向かい合う価値はあるというものです。ディック・ミネばりのお名前で刊行当時はカナダの大学の先生ということですが(特に訳者もついていませんからマサオ・ミヨシなどと違って)直接日本語で書かれたものと思われます。最近の、とりわけ女性の研究者は生年を記さないことが多く作者にしても大抵は海外研究者の論考を引きつつここぞというときに出てくるのが上野千鶴子や柄谷行人なんですから年齢は言わずともわかります。ただ映画に対するしなやかな構えよりも(私のような市井の者にはわかりませんが学会なり学際なりで当節流行の)知的な枠組みの方がどうも気持ちを先行させている模様で、<小市民映画>の分析に小津の『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(1932年 松竹)を取り上げてあそこに出てくる子供たちの父親である斎藤達雄を<父権社会の権化>などと呼ばれると軽い立ち眩みを覚えます。(挙句にこの<小市民映画>が戦後の<一億総中流>の露払いになったと言われましても1930年代に大卒はパラパラ、職業人口の7割が第一次産業従事者で都市のあそこここに貧民街があっては先触れにせよ一億総中流は些か張り込み過ぎかと。)それもこれも作者に<父権>がきちんと掴まれておらずおそらくカイゼル髭などを生やして厳しく家中に君臨しているイメージのようですがそんなことですから破産をすると妾の家に転がり込んでは体よくそれらに食らいつきさりとて結婚するでなし、また浮かぶ瀬もあればそれらをうっちゃって堅気の世界に出戻るつもりのそんな男どもが渡り歩く溝口健二の『祇園の姉妹』『浪華悲歌』を評して(彼女が抱くマッチョな父権的男性像から遠いそんななよなよとした男たちに)<父権性の再来に対する抵抗ともいえるレヴェルに達して>いると書いていて(これにはさすがの私も眉毛を落っことしそうになり... )、あれなんか<ぼんちとおかあはん>の如何にも大阪的な男社会そのものでしょ。島津保次郎監督『隣の八重ちゃん』でもヒロインの姉で婚家を飛び出した姉の岡田嘉子を(彼女が着物を着ていることを殊更に指差して)新派的と位置づけ(古い女のあり方を表象しているのだとし)てヒロインのモダンさと対比しているのだと言います。しかし作者も引いている通り岡田はヒロインに隣の兄弟まで誘って銀座でカフェに映画にちょっとした料亭の食事まで振る舞って要するにそういう消費生活を存分に身につけていて端的にモガが気持ちの収まりをつけないまま家庭に入ってしまったそんな女性です。ここにあるのはモダンと新派の対比ではなく、モダンにもふたつの顔があるということでしょう。大正モダニズムの日本画から抜け出してきたような制服美少女のモダンもあれば銀ブラに劇場、カフェ、ダンスホールを堪能して世間が眉を顰めるモダンも。ただこういうことのひとつひとつを論うためにこの本を引いたわけではありません、何というかこの素っ頓狂なお仕着せが即ち海外が認識している私たちということなのだろうということです。このひとはたまたま日本語で書いて私たちの目に触れただけのことでこの本に引かれている横文字の先生たちは私たちの知らないところで私たちを裁断し切り刻んで私たちよりも私たちのことをよく知っているような顔をして私たちの知らない私たちを広めながら私たちを見つめている、何とも『菊と刀』の今日。

 

 

 

小津安二郎 大人の見る絵本 生れてはみたけれど 突貫小僧 菅原秀雄 斎藤達雄

 

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島津保次郎 隣の八重ちゃん 岡田嘉子

 

 

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