映画検閲年報 昭和14年
  作者 : 

  出版 : 内務省警保局
  作年 : 1940年



映画の検閲を司っていましたのは戦前その掌握範囲の広さで最大の官庁であった内務省でその広さは戦後に廃止されて生まれ出た省庁の多さを見ればわかります、自治省、建設省、警察庁、厚生省、公安調査庁、文化庁、神社本庁... 道府県知事も配下に置いて地方行政から国土開発、治安、文化、国民衛生、神道まで収めていたわけです。明治の藩閥政治から逸早く政党政治の招来を推進してまさに政党と二人三脚で省益の拡大に努め(黒澤良『内務省の政治史 集権国家の変容』藤原書店 2013.9)政党政治の華やかりし大正期から昭和初期に警察国家的な強圧や選挙干渉が高まるのもこのふたつの蜜月ぶり故でしょう。やがて政党の凋落とともに選挙から戦争へと省益の確保を方向転換していくわけですが、言わばそのなかでの映画法の制定です。本書でも触れられていますがそもそも映画の検閲はそれまで地方庁で行っていたものを大正14年に内務省管轄に一本化したことで本格化しこの年の映画法実施を画期として以降戦争体制のなかに映画を組み込んでいきます。検閲というとついつい権力の暗部、まさに夜と霧の彼方という感じですが何分官庁がやることですからいまならば差し詰め白書に当たる年次報告を律儀に出版しております。昭和14年の総評がほんの数ページつくと残りの百幾ページはさまざまな表に埋められていて(まあそこから面白いところを摘み喰いしてご紹介しようというんですが)こんな検閲の年報が広く世の耳目を引かないことは私とて承知しております。ただ敢えてこれを取り上げますのも例えばこんなことを思うからでして、レーニンが映画をプロパガンダの最高の武器であると宣したことは誰でも知っています。しかしそれは理論の理解であり言わば冷たい字面としてですが例えばこんな数字を見たらどうでしょう、1913年ロシアの映画館は1500館、ここから2年で1000館の勢いで増加して1916年には4000館を突破して1億8000万人の観客を動員します(ルイーズ・マクレイノルズ『<遊ぶ>ロシア 帝政末期の余暇と商業文化』法政大学出版局 2014.10)。映画以外ではあり得ない数字の怒濤と民衆の欲望のうねりを一身に浴びながらの、レーニンのあの言葉です。さて昭和14年、日本の観客動員は3.8億人、映画館は常設館で2018館、内地6000万の人口でこの数字ですから戦争中とは言えよく見たわけです。検閲の総数は5万6千件、切除された6000フィートのフィルムにはご丁寧にその理由も表にされて見れば皇室、国家に仇なすという時節と照らしてもなかなかの猛者もいますが、やはり一番は<淫靡>、いつの時代も変わりません。例えばトーキーと無声映画の比率はどうでしょう、これが9:1、ほんの4年前にはほぼ半々だったことを思うとトーキーの勢いがわかります。(尤も昭和14年ならば頑固な小津だってとっくにトーキーになっていますから言わば土俵を割ったあとのだめ押しの数字、映画会社の直営館を越えて全国津々浦々までトーキーが行き渡ったということでしょう。)最後にこの年報の冒頭に掲げられるのが内務省推奨の優良映画でして(まさに皆これらを見習えと)題材、表現、技能すべてにおいて内務省の誇らしい合格を受けたのは田坂具隆監督『土と兵隊』、溝口健二監督『残菊物語』、内田吐夢監督『土』、内田吐夢なんてこの<栄誉>をどんな顔で眺めていたものか。しかし彼ら以上の誉れが実はあと一作、検閲は先程の通り5万有余、切除や改変は数知れませんが、審査の拒否にあったのは国内外にあってたった一作です。拒否処分も一覧表にされていますが空欄が積み重なるなかで燦然と1が輝いています。拒否の理由は明らかにされていませんが、その作品は(何と)エルンスト・ルビッチ監督『天使』。ヒトラー躍進で俄然掻き曇るヨーロッパ政治の黄昏に外交官の妻が思わぬ火遊びからいまでは抜き差しならぬ不貞の愛に惑うなかヨーロッパの運命をかなぐり捨てても妻の愛を掻き抱くという本作の一体どこが内務省のとさかに来たものか、何とも味わい深く。

 

 

映画検閲年報 昭和14年 内務省警保局 1940年 映画法

映画検閲年報 昭和14年 内務省警保局 【国立国会図書館デジタルコレクション】

 

こちらをポチっとよろしくお願いいたします♪

 

 

関連記事

右矢印 映画と映るもの : 応答 : 誰にも見えない服

右矢印 映画と映るもの : 応答 : 仕立て屋の手並み

右矢印 映画ひとつ、エルンスト・ルビッチ監督『天使』

 

 

エルンスト・ルビッチ 天使 マレーネ・ディートリッヒ メルヴィン・ダグラス

 

 

前記事 >>>

ひとり、小沢昭一 : さてお立ち会い

 

 


■ フォローよろしくお願いします ■

『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ