隣の八重ちゃん
  監督 : 島津保次郎

  製作 : 松竹
  作年 : 1934年
  出演 : 大日方 傳 / 逢初夢子 / 磯野秋雄 / 岡田嘉子 / 飯田蝶子

 

 

島津保次郎 隣の八重ちゃん 岡田嘉子 大日方傳 逢初夢子
 

 

電車の音が聞こえますから、この辺りも沿線開発の一画なのでしょう、見渡すと野放図な丘陵を押し開いたまだまだ藪に呑み込まれそうな風景にこじんまりとふたつの家が並び立っています。出入りは何かと庭先で済ませますから覗けるのは縁側に日本間ですが正面に廻るとなかなかモダンな洋風の造りをしています。(こういうところも人気分譲地の夢と(結局長く住む)使い勝手が折衷していて微笑ましく(実際母親たちは割烹着、会社から帰ると父親たちも兵児帯を締めてすっかり寛いでおります)、実際上がってみるとなかなか間取りもゆったりです。)さてそんなまだ日の高い夕暮れに兄弟が熱心に投球練習をしています。兄のミットに弟の速球が投げ込まれるたびにパーン、パーンという音が二軒の家とそれを取り囲む現在に響き渡ります。弟は甲子園出場の掛かった地区の一戦を控えていますから弥が上にも熱が入りますが(往々にしてあることですが)大学生の兄の方はその上を行く打ち込みようです。弟が根を上げます。(最初に言っておくと冒頭の、このキャッチボールの音の高まりが結末にはむくむくと湧き上がる積乱雲となって雷鳴の予感を白昼へ吹き渡らせます。たっぷりと日を湛えた昼下がりです。隣の可憐なヒロインを巡って映画は爪先立ちでやっと息をできるようなくすぐったい幸福感に満たされています。しかし雷鳴の予感はまるで降り出した雨のようにわれわれ観客を打ち据えます。1934年という時代に島津保次郎が感じていた何か、それはおそらく島津自身にもどう形にできるものではなくていまある幸福とそれを幸福に思えるいまの間をどんどん追い越していく何かです。それがあの音になって1934年にそしてそれから85年が経ったいまに響き渡ります。大東亜戦争どころか日中戦争もまだ先のことですが国内でのテロは早まる鼓動のように何かに向かっているようですし中国との間にはすでに上海事変も起こっています(、後に熊谷久虎によってこの上海事変を描いた『上海陸戦隊』(東宝 1939年)においてあの壮烈なる隊長を演ずるのが奇しくも本作ののんきな大学生である大日方傳ですが)。この映画が素晴らしいのは若者たちの瑞々しい幸福の手探りを軽やかに織り成してまさにそれだけの(それだけで終わっているはずの)映画をまだ見えない不安の向こうに滲ませてみせたことにあります。ひとが(未来をどれほど間近に描いたとしても)いまのなかでしか生きられないということが幸福にも哀切にも迫ってきて... )おっとっと弟への返球が逸れて隣の家のガラスを割ってしまいましたよ、その戸を開けておやおや隣の八重ちゃんも呆れ顔です。  

 

 

 

 

島津保次郎 隣の八重ちゃん 逢初夢子

 

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島津保次郎 隣の八重ちゃん 岡田嘉子

 

 

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