音楽に不案内なものでファンキーという言葉がどう定義されるのか覚束ないのですが、語感ではむくむくと掴めるものがあります。私の年齢ではジャケットを腕まくりして日本人なのにまるでお父さんもお母さんも黒人みたいな腰つきで歌い踊っている姿が思い浮かびますが、(何かその、『ストップ! ひばりくん』の、ロカビリーに決めた父とその息子が畳の上で靴の生活をして割烹着のお母さんからこっぴどく怒られているのを思い出さなくもありませんが、)私が思わずファンキーと打ち震えたお二人に比べると ...

ちょうどアメリカのトークショーで最初のゲストのジャニス・ジョプリンがそれこそラリパッパな振る舞いで時代の若者の奔放さを見せつけたあと、次にグロリア・スワンソンがお出ましになるや(オーバーオールだったかヒッピー村からそのままサンダルで来たみたいなジャニスを何か珍しいインコでも見るように微笑んで)ジャニスがどうにも小娘にしか見えなくなったように、そりゃあ桁が違います。

そのひとりは、岡本喜八監督『ジャズ大名』(日本 1986年)の香川良介。城のなかに象徴的な長い長い一本の廊下が走っていて、そこを倒幕、佐幕が血眼になって行き来する幕末の動乱です。敵!味方!の血なまぐさい敵対なんてまっぴらな城主は城を開け放つや自分は地下の座敷牢へと引き篭もります。その座敷牢には流れ着いた黒人たちが入れてありますが、彼らが即興のジャズを奏でるや城主、家臣たち、腰元たちも見よう見まねにリズムに合わせ手に手に楽器を鳴らすうち、座敷牢は外され、ひととひとを隔てていたものがどんどんなくなって、音楽がひとびとをひとつの大きなうねりに変えるのです。床が踏み鳴らされ体と体が共鳴して
どんどん輝きを帯びてきます。僧正の香川良介もその肉体の躍動に身を沈めると金色の法悦となって踊り狂います。香川良介、御年89歳。気が遠くなるような数の映画に出演してその最後をこの黄金の踊りで締めくくる映画人生の眩さ。まさにファンキー。

この香川を次席にファンキーの頂点に立つのが、豊田四郎監督『花のれん』(東宝 1959年)の飯田蝶子。大正から昭和にかけて流入する人口でごった煮のようにぐつぐつと大阪は活気に沸き返っています。そんな時代に素人ながら興行に手を染めたヒロインが一代で全国に名を轟かせる興行会社を築き上げるこの映画、彼女がまず落語や奇術ではない新しい演芸を探して見つけてくるのが安来節です。島根の民謡だった安来節はその後全国津々浦々に響き渡る空前のブームを生むことになりますが、島根から生粋の歌い手を招いて演芸場で披露されると、地鳴りのような安来節のリズムが場内を揺すりひとびとの心を揺すってどうにも沸き立ってくるものを抑えられません。客も立ち上がって演者と一緒に大地を踏み鳴らし音曲を揺すり上げて狭い演芸場どころか、ドンドコドンドコと世のなかをけしかけるような留めようのない高揚感です。そのひとびとのど真ん中でまるで地球をけたたましく笑い飛ばすような大きな鼓動を一身に発しているのが飯田蝶子、これぞまさしくファンキー。
 
岡本喜八監督『ジャズ大名』1986年