いいことでも悪いことでも相手が自分に読み込んでいるものを見越してやや意固地に構えるそんな若さが川口浩にはあります。勿論大映現代劇のトップスターですから二枚目ですが素直にそう呼ぶほど目の覚める美男でもなくて(まあそれは大映東京の男性スターたち、菅原謙二、船越英二、川崎敬三のどれにも言えますけど)、何というか少年が突っ立っているというのが一番ぴったりなように思います。照れとぶっきらぼう、それらは芝居にも反映して器用ではないのに不器用でもなくありのままにそこにあって(ほぼ同年齢で同時期にデビューした石原裕次郎と同じ線上にありながら裕次郎が圧倒さで押し切って行ったとすれば)等身大の若者の、ひ弱さとふてぶてしさが広がっていきます。切り出しの、危なっかしい際の立ち方をしていた市川崑監督『処刑の部屋』(大映 1956年)や増村保造監督『くちづけ』(大映 1957年)は言うに及ばず、それを更に推し進めた愚連隊や六本木族の『不敵な男』(大映 1958年)や『うるさい妹たち』(大映 1961年)は尚更、映画での活動も終わりに近い井上梅次監督『黒蜥蝪』(大映 1962年)でもやはり柔和さと不敵さが映画俳優として川口がずっと持っていたものです。(そして芝居には最後まで不思議なぎこちなさがあり台詞にしても動作にしても何か字足らずに終わるような押し出し損ねた間があってそう通るわけでもない声なのに何か新劇のような滑舌でそのため(言ってみれば口の開閉に舌の打ち叩きがだんだんとずれていって)文字通りに収まらない感じでそういうどこか素人の線を引きずっているところも(50本以上の映画に出演しながら)川口浩には魅力となるわけです。)さてそんな川口の一本、増村保造監督『最高殊勲夫人』(大映 1959年)では兄ふたりがそれぞれ同じ姉妹の姉と妹を妻にして周囲の、(二度あることは三度あると半ばからかいつつ)次は三男と姉妹の下の妹の番だと勝手に思われていることにそれぞれ反発しているのが川口浩と若尾文子です。自分たちの結婚を断固阻止する共同戦線を張りますがお察しの通り反発すればするほど互いに引き寄せられていって... それにしても御成婚のあったこの年、まだまだ軒の低い東京には頭上一杯に青空が広がっていて振り仰ぐ若者ふたりには眩しいくらいに未来がすぐそこにあってそのまま幸福を蹴り上げておりますよ。

 

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さてもうひとり。見事なほど整然と決行された心中です。しかしその見事過ぎるところに人間のやることとして納得いかない刑事が半ば上司の失笑を買いつつ調べれば調べるほどに毛ほどの乱れもなくそうだけにますます怪しみながらどんどん煙に巻かれてすっかり笑い話です。そこに本庁から同じく事件に無骨な疑いを捨てられぬ若い刑事がやってくると俄然色めき立ちますが追い打ちを掛けるように新たに目撃情報が加わり、しかも作為とするにはあまりに紙一重できわどい偶然です。しかしこの事件のあまりによく出来た符合と配置に却って見えざるひとの、緻密な一手一手を確信してその切り崩しに以降刑事としての全身全霊を傾けます(小林恒夫監督『点と線』東映 1958年)。その若手は南廣、ジャズマンから俳優に転じて早くも主演ですから東映の期待のほどもわかります。それに違わぬ二枚目ですが歯が大きいのか美男に歯が収まっていないというか口許から美男が剥けかかっているというかそういう危うさと剛健さが入り混じった男振りです。特筆すべきはその芝居でして勿論ついこの間までドラムを叩いていたわけですから訓練された芝居のあれこれではありません、ただ自分にできることはこれだけしかないときちんと見極めた上でその狭い幅なりにでんと真ん中に居座った堂の入り方に魅力があります。(この時期の、東映東京にあって(ともに巧くはないながら)高倉健が<下手である>魅力とすれば差し詰め南廣は<下手ではない>魅力です。)さてところを大映に移して田中重雄監督『女の賭場』(1966年)。江波杏子が名うての壺振りであることを知らずにいる彼女の恋人が南廣で造船所の技師にしてラガーマンという、おそらく彼の芝居の線の太さからしても(刑事や宇宙基地の隊長といった規律が体に走っている)まさにもってこいの役です。途中で江波に色目を使う渡辺文雄に横恋慕され彼女の渡世を暴かれて周章してしまい最後にはそのことを呑み込む二枚目の度量を見せて見事恋人に返り咲きますが、芝居は相変わらずメディシンボールのように叩きつけてもほとんど弾まずしかしそれが無骨な男の、○△□な愛らしさになっています。
 

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川口浩そして南廣と続けてきたのはともに二枚目ではありますが他を帳消しにできるほどの美男でもなく川口には南よりはそれなりに柔軟な方向にも幅があるとは言ってもどちらも達者というほど芝居がこなれているわけでもありません。それが実際に映画に映っているものであって、しかしふたりともはっきりと魅力があり、ではこの魅力は映画のどこに映っているのかというのが今回のお話になるわけです。私がこんなことを考えるようになったのは川口でも南でもなく(とりわけ川口浩なんて当たり前に魅力を堪能してきましたが改めてその当たり前に立ち止まることになったのも)奥田英二に直面したからでして、藤田敏八監督『もっとしなやかに もっとしたたかに』(にっかつ 1979年)です。何か憔悴といった感じに若さに深くうだつの上がらなさを刻んでいる主人公が奥田英二です。いまに及ぶ彼の俳優人生の、ごくごく始まりで意気込みが体のなかを弾んでいてそれをうまく抑え込めず芝居がずっと息切れしながらそのくせ全体に緩慢で何ともちぐはぐな出来です。ひと皮剥けないどころかつるんと皮を剥いた新豆のつややかさで煮ても焼いても生のまま暗くそしてあっけらかんとこちらを見つめてきます。ただ拙いながら周りの芝居とはよく絡みつきますし(まあ共演が相手の下手さなどものともしない森下愛子や高沢順子、真木洋子も貫禄の芝居を見せて)ふらつきながらも最後まで芝居の張りを見失いません。しかし何より(あんな覚束ない芝居なのに)画面の彼にはっきりと魅力があり惹きつけられ目が離せなくなって改めて役者の魅力というもの(の底知れなさ)を思い知らされます。
 

 


魅力は勿論見る側が抱く印象ですが、美味しいと感じるものが私の口や舌にあるのではなく飽くまでその料理にあるようにやはり映画に映っていると考えたいところです。逆に私たちは映画に何を見ているんでしょう、物語や芝居、スターの美貌がすぐに浮かびますがそういう端的なもののよりも一種の光景ではないかというのが私の勘ぐりです。やがて時間にほぐれていくこの一瞬の光景は言わば感覚の、剥き出しの集合で視覚や聴覚、リズム、折り重なる情感、男性的女性的な高揚、皮膚感触、単純な好悪、慣習との擦過、何か掴み得ないもの... が織りなされそれに魅入られて案外私たちは物語だの芝居の巧拙だのを見ているわけではないのかも知れません、ちょうど料理に料理の蘊蓄が入っていないように。この光景が即ち魅力であり何か突出した理由で(例えばスターが美貌である故)魅力があるというのではなくその役者の個が大きく作用しながら織りなされる偶然に委ねられて映画に映っているのではないか、とあんぐり口を開けた奥田英二の横顔を見つめつつ思うところです。

 

増村保造 最高殊勲夫人 川口浩 若尾文子

 

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南廣

 

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