お題に引いたのは千葉泰樹監督の1961年の東宝映画で(思えば主演の宝田明も『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』(筑摩書房2018.5)でヒロインである尤敏[ユウミン]の美貌を懐かしみつつ何やらおのろけもあって... )夜空に星と浮かべて百万弗と謳われた旧き良き香港の夜に溜め息が出ますが、今日のお話はそんな艶めく夜景の夢ではなく闇夜の底に切って落とされた香港のいまです。本年よりオンラインでの上映を開始した山形国際ドキュメンタリー映画祭で(初年度の使い勝手の悪さは今後改良されていくのでしょうがオンラインでありながら上映を曜日も時間も指定するとはせっかくの機会を窮屈にしています。通し券がないのも同様、協力する地元との兼ね合いもありましょうがそこは双方の利点を見切ってほしいところで)とまれご祝儀に一作選んだのが『理大囲城』(香港 2020年)です。監督名が香港ドキュメンタリー映画工作者などと曖昧(どころかほぼ一般名詞)になっているのも何かと自国の方針にそぐわないものを国家安全の名の下に摘発する当局を恐れてのことでそれもそのはず2019年の市街戦と思しき武装闘争を追ってデモ隊が逃げ込んだ香港理工大学にキャメラも行動を共にします。然るに闘争の拠点にするつもりだった大学を警察が徹底して包囲したために籠城どころかほとんど押し込められたまま果敢な脱出を試みては分厚く跳ね返されだんだんと(最初の威勢が濡れ鼠のように重く体を引きずって)悲愴感に押し潰されていく十余日を映し出します。歴史的というにはまだあまりに生々しい現場にキャメラを持ち込みその場所、そのときの息遣いを映像に残すこと、そのことでその現場が歴史的であり同時にのちの世にもここにあるいまとして反復され得ること、ドキュメンタリーというもののひとつの意義であろうと思います。近年も1969年といういまでは遠く過ぎ去った時間のそのとき、その場所を映して三島由紀夫が東大全共闘と(彼の言葉で言えば<諸君と対話をしに来たのではない>)言葉と論理で決闘する幾時間がドキュメンタリー映画として掘り起こされるのもそこにキャメラを持ち込み撮影という意思を発揮した故です。かつて三次に及んだ東宝争議を論じて大島渚はストを決行した映画人に怒りを顕にするのも彼らが立て混もったバリケードの内側を、会社側と繰り返された交渉を、新東宝設立の契機となったスト内部での人民裁判を、何より占領軍まで押し寄せた対峙する暴力の生々しさをどうして撮影していないのだというわけです、まさに撮影の専門職が犇めいていながら(『大島渚著作集 第2巻』現代思潮新社 2008.11)。この虚を衝かれる指摘を前にすると争議に共産党オルグを引き込んでは映画人の待遇改善運動を大々的な政治闘争に拡大させのちに天皇とも謳われたキャメラマン宮島義勇の威厳など何とも間が抜けて見えます。

 

 

 

 

敗者は映像を持たないというのが大島渚を貫く危機感で(以前太平洋戦争を描き起こす番組を作りながら戦争当初こそ日本側に映像がありますが戦局が暗転した頃から残るのは米軍が撮影したものばかり、青い目の向こうで密林に潜んだ日本兵のいまを私たちに伝えるものがないことに痛哭させられたからで)その意味でこの香港のドキュメンタリーの意義は未来に受け継がれるのでしょうが、ではそこに映し出される運動そのものに大いに同調し得るかと言えば日本の新左翼の失敗を何も学んでいないというのが私が思うところです。連日連夜10万人のデモが国会を十重二十重と取り囲みジグザグデモに夜空を引き裂く安保反対の絶叫、時に国会突入も試み(その際死者まで出し)ながら法案は通ってしまう、このときが戦後の甘やかな革新の夢が終わったときでしょう。デモでは法案ひとつ潰せない、その虚無が60年代の学生運動を武装闘争へ向かわせるわけでヘルメットにゲバ棒、火炎瓶、まさしく<都市ゲリラ教程>の訓育が開けます。とは言え軍隊がいる国で警官隊と鍔迫り合いを繰り返す先に革命が招来するはずもなく新宿騒乱のどさくさに防衛庁を丸太ん棒で突破して自衛隊を引きずり出すなどと平岡正明が息巻くことにもなります。藤田敏八が1968年に撮影しながら日活がお蔵にしていたドキュメンタリー映画『にっぽん零年』では大学解体と永久革命に翻るまばゆいばかりの学生運動家が現れますがその熱情とご高説を賜ったあと彼をインタヴューする佐藤忠男に<では、あなたは職業革命家になるんですか>と問われたとき、それまで饒舌だった彼の一瞬呆けたようなあの間。そりゃそうでしょ、ずっと大学生がやれるわけじゃなし、永久に革命をするのなら佐藤が言うように職業革命家になるのかということになりますが、彼が怯んだのは日本で職業革命家と言うことの何とも言えない戯画ぶりです。まあこの辺りが背伸びをした頭でっかちがぶつかる天井で...  理念と運動と現実がガタゴトと脱輪していって(どんどん運動は追い込まれながら世界同時革命などと目標ばかりが大きくなって)より暴力を先鋭化させて革命兵士たるべく軍事教練まで展開させるようになっては大衆運動をとっくに越えてしまっています。

 

 

 

今回の香港騒擾は逃亡犯条例の改正が発端ですが、これ自体は香港市民が台湾で事件を起こしたときの引き渡しとその逆という現実的な要請によります。台湾が親中政権のときには問題になりませんが現在のように中国と距離を置くようになるとなあなあでは行かずさりとて香港政府が台湾と何らかの協定を結ぶとなると台湾を一国として扱うことにもなってしまって中国本土が乗り出してきます。然るに香港市民にすればこの改正によって香港の政治犯がそのまま北京に移送される疑念が逆巻くわけで大規模な条例撤回のデモとなります(益満雄一郎『香港危機の700日全記録』筑摩書房 2021.6)。警察が強制排除したために規模が更に拡大するとともに建物の破壊など穏健派を越えた暴走が顕著になっていくのは勇武派と言われる武装闘争路線を少なくない市民が支持しているためです。その背景はさまざま論者の教えてくれるところであの狭い香港はそもそも住宅難ですがいまや高騰する家賃に2DKを三部屋に分割するなんて恵まれている方で小部屋に6人が寝泊まりするタコ部屋の日常、加えて増え続ける大卒にあって<大学は出たけれど>の先行きのなさ、追い打ちを掛けるように中国本土からは1日150人の移民が強行されていて民主主義に育った香港人の比重を均している(阿古智子『香港あなたはどこへ向かうのか』出版舎ジグ 2020.9)とあっては数を頼りにした穏健デモではなく権力に破壊と暴力で立ち向かう勢力に市民の日頃の憤懣が上乗せされているわけです。勇武派と彼らに呼応する若者たちが黒シャツに黒マスクで市街を威圧的に跋扈し(紛れ込む本土のスパイに血眼になりつつ)警察の強圧に対抗して破壊をゲリラ化させていきます。いよいよ戒厳令が宣告され封鎖された道路を睨み合う警察と武装派がゴム弾に催涙弾、放水に投石、火炎瓶で市街戦を日常化させますが物量で立ちはだかる警察に追い込まれるとそれがドキュメンタリー映画にある大学籠城となってデモは壊滅します。(余談ですが最初こそ威勢のよかった彼ら若者が警察が手加減なく徹底して自分たちを叩きのめすつもりであることを知り抜け道もすべて押さえられていることがわかって負け戦の上に自分たちの逮捕或いは極刑ばかりが頭によぎるそんな状況に押し込められた集団というのは(大東亜戦争で負け戦をずるずると引き伸ばした日本の特殊性が云々されますが)結局どこも同じで、戦況が絶望的になるほど空想的な起死回生に縋るようになり壮大な理想ばかりが絶叫され彼らを案じて仲介に入った教育関係者や議員を敵の廻し者と罵倒し拒絶してしかしそれに代わる策があるわけではなく時間よ止まってくれと天を睨むばかりで脱出の決行はずるずると先延ばしにされて...  ひとは負け戦にしがみつくということです。)2019年だけで逮捕者は9千人に上がったと言いますが今回の騒擾に引き返させるところがあったすればデモの頑強さに香港政府が逃亡犯条例改正を撤回したときでそれはつまり権力側からの目配せということであって近日に迫る建国70周年の祭典をつつがなく終えることと引き換えです。いつもならデモは撤回を戦果として解散していますが今回は逆に撤回を譲歩と煽って(およそ実現し得ない香港独立という勇壮な旗を振りかざし)勇武派は祭典のその日に騒乱を激化させて香港政府、延いては習近平の面目を潰します。ここが中国本土にして国家安全法の施行まで加速させた分節点であったでしょうが、先達ては(まあこのドキュメンタリー映画の国際映画祭大賞も何がしか作用したのか)香港政府は映画の検閲を更に強化することを明らかにして事態は条例改正の撤回を大きく折り返すと一国二制度それ自体を反故にされてすっかり中国本土に呑み込まれた香港の夜です。デモでは法案ひとつ潰せず、さりとて武装闘争に及べばますます権力の思う壺となるとき私たちのいまを守る途はどこにあるのか、今度は私たちの方が香港の失敗に学ぶときです。

 

 

 

 

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香港ドキュメンタリー映画工作者 理大囲城

 

 

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