[ お話は 前回 から引き続いて ]

 

1940年代に一見好々爺と見まがうのがハリー・ダヴェンポートです。ウィリアム・A・ウェルマン監督『牛泥棒』(1943年)は懇ろになった酒場の女の甘い誓い言を真に受けて(やっと季節労働が明けるや)いの一番に舞い戻ってみると女はとっくに誰かと町を出ていてその傷心にこの地を去り難くしているのがヘンリー・フォンダです。ただ何とも不揃いな町で時代の変わり目のなかで否が応でもそれに呑み込まれて勝手気儘な西部の昔に心を燻らせながらいつもは午睡をしているような町です。荒くれというより寧ろ大人しい方で重く心の丈に蓋をして足を引きずるように時代の穏健さに従っているのが却って彼らの不承知を感じさせます。そんな午睡を揺るがして横殴りに吹き抜けるのが仲間の牧場主が殺されて牛も奪われたという一報でしかもいま生憎(というか幸いというか)保安官は不在となれば沈殿していた町の荒くれが底から掻き廻され、正義の名の下に昔の滾るような自分を目覚めさせます。それを必死で押し留めようとするのがハリー・ダヴェンポートで町がやっと銃と力の統治から法の下の日常に慣れつつあるときにまたぞろ血で血を洗う昔に引き戻されるのを小さな体で追いすがります。しかし血の臭いを嗅ぎつけたように集まってくる面々は皆々心に松明を燃やしてひた隠した心が残忍な影となって揺れています。もうどうにも止めようもなくそれぞれ心のうちに別の夢を抱きながら一団は血祭りの高揚に駆け出していきます。彼らにいよいよの蛮行をさせないためにダヴェンポートも一団に加わりますがもうひとり、日頃から白人たちの間をからかいに小突かれるようにして暮らす黒人の乞食坊主も付いてきていて... 彼こそダヴェンポートと共に(いやいくらダヴェンポートが町の連中に耳うるさい正論を主張したところで彼自身は白人社会の内側にいてそこに居場所がありどうあれそこに戻れるし戻るしかない存在であるのに対して町の外縁に追いやられて言わば根無し草に吹き晒されているこのひょろりとした黒人こそダヴェンポートよりはるかに)私刑される者の身に寄り添います。いよいよ保安官に引き渡すか私刑かを決する多数決で前者を呼び上げる声に何怯むことなく立ち上がると朝焼けが上がってくるその陽の光のなかにまず立って見せるのがこの黒人でダヴェンポートが続きます。ウェルマンにおけるこういう黒人と(白人社会をややそっ返った)白人という組み合わせは『人生の乞食』(1928年)にも見られて(ステピン・フェチットのような使われ方をよしとしないところは)やはりウェルマンの気骨でしょう。

 

 

ウィリアム・ジェームズウェルマン 牛泥棒 ハリー・ダヴェンポート

 

 

小さい体に皺んで尚不屈の意思を滲ませるダヴェンポートですがただ...  『ノートルダムの傴僂男』(ウィリアム・ディターレ監督 1939年)では鐘楼の鐘撞き男が繰り広げる煽動を(その思うところを慮りながらも夥しい群衆がいまや発火寸前の揉み合いとなって通りを埋め尽くす猥雑なその熱狂に治世の大きな濁流を)見つめる国王であり、『貴方なしでは』(ジョン・クロムウェル監督 1939年)ではジェームズ・スチュワートとキャロル・ロンバート夫妻の赤ん坊の、生死の夜に立ち会う医師、『名犬ラッシー ラッシーの勇気』(フレッド・M・ウィルコックス監督 1946年)では判事と(誠実ではあれ)どこか冷笑を引きずった厳格さであって根にあるのは煮ても焼いても喰えないというところだと思います。では40年代の好々爺は誰かと申せばそれはヘンリー・トラヴァースということになりましょう。彼の名を聞いてすぐにも思い出す通りフランク・キャプラ監督『素晴らしき哉、人生!』(1946年)の、人間社会の悲喜こもごもにくりくりとした目を向けて(不思議な鈍感さで寄り添う)あの微笑みです。相手に向かってというよりもひとりはにかんで自分で自分の影を踏んでいるようなつつましさであ(りやはり思うのはしれっとした鈍感さであ)ってそれは『ミニヴァー夫人』(ウィリアム・ワイラー監督 1941年)でも『教授と美女』(ハワード・ホークス監督 1941年)でも変わらず何か童話から抜け出たような三頭身の体躯に頭でっかちなあの笑顔で主人公やヒロインの傍らに立つと彼らに真実を見つめることを促します。ジェームズ・スチュワートは漆黒の河のうねり(というよりも同じだけ真っ黒に逆巻いていた自分の懊悩)に掻き消されていた彼を思う家族と街のひとびとの声を聞き届けますしのどかな村にもいまやナチスの空爆が及ぶ戦争の現実にグリア・ガースンは目を見開きます。トラヴァースに付き添われて階下で慣れないダンスのステップに四苦八苦する教授たちの姿を見下ろすバーバラ・スタンウィックの胸に去来するのは暗黒街と隣合わせに生きてきた自分が本当に望んでいるのはこんな(微笑ましく滑稽で屈託のない)穏やかさではないかという思いです。

 

 

 

 


ラオール・ウォルシュ監督『ハイシェラ』(1941年)では暗黒街の顔役に腕を見込まれて捕まったところであれこれと保釈に漕ぎ着けるハンフリー・ボガートです。いまもそんなわが身の皮肉を背中に感じながら刑務所を後にします。しかし公園の梢の木漏れ日を見上げても子供たちが釣りの穴場にあれこれ思いを巡らせる姿を見ても自分の人生がどこかで道を分かれそういう分かれ道にもう一度立ち戻ることを密かに思います、一方で自分の顔も名前も字も覚束ないような田舎の親父にまで知れ渡っていてそうと知るやきさくに声を掛けていたそれまでの笑顔をまごつかせ(自分で自分の笑顔を噛み潰し呑み下して)恐怖と侮蔑に青ざめるのが落ちでやはり戻りようのない道であることも知っています。そんな彼の前に現れるのがヘンリー・トラヴァースで足に不自由を抱える孫娘と彼女にまつわる問題を振り払うために新たな土地に向かう道すがら勿論偽名で自己紹介するボガートにも何ら訝しむことなく家に招きます。綱渡りのようなヤマを進めながらそれを無事に済ませたあとの、或いは自由に羽ばたける自分を夢見るのはその孫娘にありふれた家庭のありふれた安らぎを想像しているからで名うてのやくざと堅気の娘という飛び込みようのない輪をそれでも越えようと思わせるのは偏にこのトラヴァースの佇まいです。何というか彼の前にあると自分が許されて在るような気にさせられてボガートに自分の胸の奥にあるものを見つめるように促します。真実がときに夢の苦い終わりに初めて見えてくるものであってもいやそうだからこそトラヴァースの、あのとぼとぼとした笑顔に送り出されればひとは歩き出さねばいけないわけです。

 

 

ヘンリー・トラヴァース Henry Travers

 

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ウィリアム・ワイラー ミニヴァー夫人 ヘンリー・トラヴァース グリア・ガースン

 

 

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