製作 : アメリカ
作年 : 1943年
出演 : ヘンリー・フォンダ / ダナ・アンドリュース / ハリー・ダベンポート
西部劇と言えばひた走る駅馬車を羽飾りの勇壮な裸んぼたちが襲い掛かって追う者も追われる者もダダダダと大地を蹴立てるその猛烈な速度のなかを手に手にライフル銃を撃ち合い追いすがるひとりまたひとりを撃ち落としていって手に汗握ります。或いは牧場や砂の吹き荒ぶ町の通りで横一列になった男たちが血塗られた因縁に決着をつけようと待ち受ける相手との撃ち合いの火蓋へ一歩一歩近づいていって... これらは華やかな西部劇の顔です。しかしジャンルの底流に流れる西部劇の主題はそれらとは違うものでふたつあるように思います。ひとつは鉄道や電信の敷設によって自らが切り開いた豊かな辺境としての西部が終わるというものです。そして(そのことと結びつきながら)強い暴力で秩序を築いてきた西部に私闘私刑による決着を止めさせ犯人(ではなく飽くまで容疑者である彼)に裁判を受ける権利を認めて法の裁きに委ねるというものです。例え犯行の現場を目撃し明々白々たる証拠もあり捕まえた者がどうあれ犯人であってもそのまま自分たちで判決を下し制裁するのではなく自分たちの生活とは関わりもなく会ったこともない人間に事の是否と刑の妥当性何より犯人の身柄を譲り渡すというのは(まあ今日では当たり前であり同時にこの当たり前が何やら今日では揺らいでいるようにも見えますが)大きな心情の抵抗を乗り越えなければなりません。その乗り越えが自治の風土が残る土地では(容疑者を間に住民と保安官及び判事が)ぎりぎりの鬩ぎ合いをすることになります。(鬩ぎ合いが住民側の不充足感に発火してしまうと押し寄せる暴徒となって容疑者を留置する保安官事務所が襲撃され或いはそれを察知して保安官が軍隊の出動を要請する駆け引きはやはり西部劇でよく見るところです。)ただ住民の心中もわからないでもありません、ただただ闇雲に広大である土地を切り開きそこにひとが住み続けられる秩序を共に守ってきた仲間が殺されその犯人を自分たちの手で(場合によっては遠方にまで追い詰めて)捕まえて自分たちの手で犯人に罰を下して失った仲間に報いたいというのは深く土地に根ざしています。しかし警官と裁判官(そして往々に弁護人まで)を一方が兼ねてしまうことの危険は言わずともわかります... 寂れたこの町にふたりの青年がやってきます。流れ者ですが満更知らない仲でもありません。彼らは酒場にいる美女に約束がありますが約束は男の方には胸に焼き印のように熱く押されて半年の苦役を耐えさせましたが女には水に浮かんだ文字のようにすぐに掻き消えてとっくに姿を消しています。そんな落胆の酒を煽っているところに血相を変えた住人が飛び込んできます、牧場主が殺され牛泥棒はいまも逃げている! ウィスキーをぶちまけたように住人たちの頭越しに見る見る火の波が走っていきます。手に手に銃を持ちそしてそれぞれの住人に責任と無責任の、酒瓶の酒のような揺り返しも抱え何より裁判について信念の相違を辛うじて差し挟んで自警団が出発していきます。
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