映画ひとつ(づり)、澤田隆治『永田キング』
  作者 : 澤田隆治

  出版 : 鳥影社
  作年 : 2020.6.17

 


澤田隆治 永田キング 鳥影社


よもや私が生きているうちに(いやいやいまであり難きことが時代を隔絶する死後の末永きにさらに現れるとも思えず言わば悠久の幽暗から忽然と出来する思いで)永田キングについての新刊にまみえるなどまさしく天恵、演芸に気骨を見せて澤田隆治、御年八十七歳、畏敬の念を深くするばかりです。デビューするや瞬くに当時吉本興業トップのエンタツ・アチャコと肩を並べ(本中にもエンタツ・アチャコに金語楼、川田義雄と五人で収まった写真の何と前途頼もしく翻っていることか)戦前の数年を旋風の如く駆け抜けながら戦争と敗戦という国民ひとりひとりの命運を無造作にもぎ捨てられるまま表舞台に返り咲くことのなかったこの稀代の喜劇人を逐って... しかも澤田の執念は永田キングを語って総論めいた芸談にも回顧談にもすることなく編年でしかも戦前は一年一年(どころかその年をひと月ひと月)と辿って歴史に埋もれた彼の躍動を掘り起こしていきます。戦後にストリップの幕間に野球コントを演じる永田キングを実物で見てその笑いの超絶ぶりに心をときめかせながら程なく入った演芸の世界では永田を知るあのひとこのひとと身近に接しながらそのことに気を留めることなく月日を送ります。やがて舞台にテレビに煌めきわたるその芸をかりそめの炎にしてあとは歴史の闇に没していく芸人たちの息吹きを書き残そうと思い立ったときにはあのひともこのひともすでに物故、いま以て心のうちを湧き立つのはもし自分にいまひと押しの思い入れがあってあのとき聞き書きをしていればという慚愧で明かされぬまま無明の底なしに沈んでいった芸人のあの話この話が澤田を奮い立たせます。その澤田を助けたのがもはや手蔓というには年月に細く細く引き伸ばされた永田の縁故者の所在で生糸を指でなぞるようにその地を自ら訪ねては次の糸、その次の糸と手繰ってまさか永田キングの遺児へと辿り着きます。見れば自分と同年輩(私としては長寿のこの国を喜ぶばかりですが)、やはり糸の上に乗った綱渡り、かろうじて永田キングの手のなかに飛び込んだわけです。ここから吉本に残された膨大な出番表、松竹が社史に刻む劇場の演目一覧、かろうじて残ったチラシに戦前には数多あった新聞の小さな囲いの広告、劇評に回顧録と活字の海から永田キングの名前を探していきます。それから明かされた永田の活動で私に嬉しいのはいまや大東亜戦争に突入して当時新興キネマの演芸部にあった永田の周りには森川信、有島一郎、藤尾純、森健二があって永田、森川、有島はそれぞれ一座を構えますが時節柄合同公演となって三人が劇を共にしていたという事実には何ともうずうずとした気にさせられます。最後にもうひとつ、澤田の卓見に自分のなかの映画史が大きく息を吹き込まれるようだったのが昭和14年に行われた新興キネマによる吉本興業への大掛かりな引き抜きについてです。新興キネマの親会社には松竹があり吉本と提携関係にある東宝ですから松竹と東宝という戦前の二大映画会社にして同じく劇場経営においても鎬を削る二社のいよいよここに至った対立であるわけです。互いに引き抜きや妨害を繰り返しながら長谷川一夫の移籍(とそれによる顔切り事件)によってのっぴきならない緊張に高まった両者の、意趣返しに意趣返しを重ねるなれの果てと言われますがそれはそうとしても芸人を引き抜く松竹側の、もうひとつ深い肚のうちへ澤田は踏み込みます。同年に施行される映画法を見据えていたというのです、松竹は外国映画の輸入も行っていますが映画法によって今後は輸入に大きな制限が掛けられるとなるとその穴を埋めるべく増産する娯楽映画に大量の芸人を必要としたのだと、げにまっこと。

 

 

 

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