映画を彩るというよりも主人公の手傷のような心にそっと手を添える穏やかな風貌でその手の温かみがじわじわと画面へ広がっていくようなひとを世の中では好々爺と呼ぶのでしょう。人生のそれなりの辛苦を掻い潜って(偏屈にもならず因循にもならずに)おおらかな心の構えに至ってうまくいくにしても悪くなるにしても人生とはそんなものだと見据えている小さいながら頼もしい物語の指針です。そういう役廻りを年代ごとに辿ってみようというのが今回のお話なのですが、最初に申しますと40年代はすぐに思い当たり50年代もあのひとこのひとと思い浮かびますのにさて30年代となると思案する眉間はぽっかりと開いたまま... やや苦し紛れにジョージ・バービアを挙げてみますが私が思い浮かべるのはエルンスト・ルビッチ監督『陽気な中尉さん』(1931年)で娘であり王女であるミリアム・ホプキンスといまや大国オーストリアからの招きでお召し列車に揚々と乗り込んでおりますがともすれば小国のわが身を思うともぞもぞとお尻の落ち着きが悪くなってそんな心境を見透かすように車窓に鼻をこすりつけるように牛を詰め込んだ車両が通り過ぎていきます。溌溂と笑いさんざめくかと思えばちょっと世知辛い風が胸許を吹いてもへなへなと萎れてしまう本作のバービアは愛らしいんですが、好々爺というには生きることのいかつさがまだまだ残っている感じ、『陽気な街』(ルイス・デル・ルース監督 1937年)ではヴォードヴィリアンたちに物笑いの種にされる大富豪で劇場の入り口で地団駄を踏むのにもがっちりした威厳があります。ならば『周遊する蒸気船』や『プリースト判事』(ジョン・フォード監督)のウィル・ロジャースを思い浮かべますと小柄で飄々とした佇まいは申し分ありませんが、老いてますます快刀乱麻を断つロジャースは好々爺という受け身の妙とはやはり趣きを異にする力強さです。では『チップス先生さようなら』(サム・ウッド監督)はどうでしょう、熱情はありながら不器用な性質から心の扉に隠れてばかりだった学校の先生が妻に迎えた女性の溌溂さに導かれて生徒のなかで生徒とともに生きていくことに改めて目覚めるそんな物語です。老年の現在から語られて若かりし日々を回想しながら(まさに多くの悲しみを携えて)また老いたいまへ返ってくると生き生きとした世界の片隅でこれから人生の未知に立ち向かおうとする子供たちの不安と輝きを見守っている...  んですが80歳になんなんとするこの温和な老人は何とロバート・ドーナット(御年34歳の)渾身の老けメイク。

 

 

サム・ウッド チップス先生さようなら ロバート・ドーナット

 

 

1930年代のハリウッド映画を(好々爺を探せど探せど)思い返していて改めて気づかされるのは30年代が(少なくとも映画にあっては)圧倒的に若者たちの時代であったということです。ハリウッドスターとしていまなお私たちの記憶に輝くゲーリー・クーパーもクラーク・ゲーブルもケーリー・グラントもジョン・ウェインもジェームズ・キャグニーもキャサリン・ヘップバーンもいや他の誰彼も30年代にハリウッドの頂点に上りつめた若者たちで大恐慌とトーキーというふたつの大波が20年代のハリウッドを押し流したあとの、とどめようのない感じが伝わってきます。その彼らをして例えば『新婚道中記』(レオ・マッケリー監督)のグラント、『ダンシング・レディ』(ロバート・Z・レオナード監督)のフランチョット・トーン、『桑港』『男の世界』(W・S・ヴァン・ダイク監督)のゲーブル...  彼らは若くして圧倒的に裕福な生活を満喫している青年たちで世の中が大恐慌に揉みくちゃにされ20年代の繁栄をなぎ倒していく見霽かす荒廃に立たされてニューディールが推し進めるダム工事や集団農場にほそぼそと明日の糧を求めている時節に何とも浮き世離れした光景です、グラントなんて大理石を切り出した博物館のような邸宅で働く姿なんて一度たり見せることもなくただただ優雅な痴話喧嘩に明け暮れて何ら揺らぐことのない暮らしぶりですものね。そう見ると『赤ちゃん教育』から『フィラデルフィア物語』に続くキャサリン・ヘップバーンにしても『或る夜の出来事』のクローデット・コルベールにしてもメイ・ウエストの、自分のヒップの下に世の男たちをかしづかせる一連の映画にしてもいや30年代ミュージカル映画のあの荘厳な舞台装置の数々にしてもどこにも巷の素寒貧の風は吹いていないわけです。

 

 

 


まあ現実が現実であるからこそ映画のなかに貧しく不安な自分たちの姿など見たくないというのは観客と映画製作者との間で了解されたことであって考えてみればこの当たり前に(それも桁違いに)富豪の若者たちというのはサイレント映画が(言わば)浮浪者と市井のひととローマの英雄で成り立っていたのを吹き払って30年代に生まれた新たな主人公なのかもしれません。(そんな流れの只中で戦争の不運な後遺症を引きずって横ざまに人生を蹴り転がされるような男を主人公に失業の身をデモに投じて袋叩きに合うやまさにアメリカの底辺と裏道を渡り歩いていくウィリアム・A・ウェルマン監督『飢ゆるアメリカ』なんか撮りも撮ったりということであって改めてウェルマンをわが胸に抱く思いです。)そんな若さ(と映画のなかの虚栄)の30年代に好々爺は見当たらず若者が逃れ難い運命に自分が吊り下げられ(ただそれにゆらゆらと揺れながら)いつか見えない銃弾に撃ち抜かれるという寒々と命を宙吊りにするような時代でなければ老人のかさついた温かみは伝わらないのかもしれません、好々爺とは或いは戦争の時代の慈愛かとも。話の序でにこの富豪の主人公ということを本邦に引き継いで見ますと案外ハリウッドの流れを反映させているのが松竹です。松竹と言えば市井のひとびとを描く等身大の家庭劇の印象ですが(実際小津を見ても半分浮浪者のような流れ流れてきたひとたちのなけなしの生きざまを追っていたのは『出来ごころ』『東京の宿』『一人息子』までで『淑女は何を忘れたか』では山手の裕福な有閑マダムの持て余した情実となって(まずはざます風にパーマネントをした飯田蝶子に下っ腹を揺すられる思いがしますが)それからしても)30年代中盤以降の松竹映画の多くにブルジョワ一家が欣然と流れ込みます。財閥批判が世に闌となっていた頃であれば或いはそういう世論を背景に彼らの生活の内側をぐっと映画に引き寄せたとも言えて戦後になって解体する華族や財閥一家を映画に描いたことを民主国家の曙光のように申しますが私のような者には寧ろ戦前の続きを見るようで何とも神妙な心持ちにさせられます。いやはや好々爺を巡る旅は40年代に続きます。

 

 

 

 

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