どたんば
  監督 : 内田吐夢

  製作 : 東映
  作年 : 1957年
  出演 : 東野英治郎 / 岡田英次 / 山本麟一 / 神田 隆 / 加藤 嘉 / 高堂国典 / 志村 喬 / 波島 進

 

 

何せ加藤嘉の芸がこまかくて... お芝居の肌理もそうですが(ケチで鳴らした役柄ですから現場に出張ってハッパ掛けがてら煙草をすぱすぱっと吹かしたあと壁で擦り消した吸い殻をちゃっかりポケットにしまってそんなことを画面の隅っこでしているぐらいで)小さな炭鉱会社の叩き上げ社長でいまも急な入用で窯元がどうしても都合してほしいと頼むのを一度は体よく断り彼らがこんな雨のなかを仕方なく他のヤマに廻っていくのを見越してあらかじめ電話で問い合わせますと今日はどこも余剰はなし、ほくほくでもう一度ここに頼みに来るのを待っていればあとはこちらのいい値を呑むしかありません、本人曰く<ここが芸のこまかいところでの>、要は小さな利鞘も逃さないということです。まあそんなことになるのも財力で掘り下げる大会社と違っていま掘っている場所の見切りどきを見極めそれまでに次のヤマの権利だの設備だの、事務所の移転だのの目処を立てるのに資金を綱渡りでやっていくしかないからです。炭鉱というと険峻に切り立った岩場に飯場を連ねトロッコのレールを敷いた遠い山間を思い浮かべますがここは(少し驚かされますが)うらうらと青田棚引く農村の真ん中で田舎ではありますがひとびとの生活圏にぽつんと木造の家屋が建つとそこから縦に下って地を這うように掘っています。坑道の上を列車が走り通勤の自転車が行き交っているわけです。そしてヤマも古くなってくると検査も駆け引きでして(失格になったら元も子もありませんがさりとて余命の見えた現場に物入りは極力抑えたく)今回は立坑の補強を1/3だけ作り変えて(まさに場当たり的な検査逃れで)何とか乗り切りましたがその出費にいまも加藤のぶつくさ煩いこと。ただ古い材に新しいのを継いだ強度の差に繋ぎ目が撓んで水が漏れてくるのが坑夫長の危惧するところでそれを急き立てるようにしのつく雨が連日降り止みません。いやそれは加藤とて同じでふと目をやった窓の向こうを見る見る水嵩をのたうたせた川が田んぼを呑み込むを見たとき轟音とともに立坑が決壊し地面押し出された濁流が坑内に流れ込みます。一瞬の出来事に取り乱す暇もなくひとつの秩序は崩壊しいまも自分の足許のはるか下を坑道を押し破って破壊が突き進んでいきます。坑内に取り残されたのは五人、おそらく浸水を逃れて小さな切羽に身を寄せていると思われますが何分空気に限りのあることであれば救出は一刻を争います。駆けつけた総勢300人を越える救助隊の決死の作業が続きますが垂直に埋もれた難所はどうにも越え難く、刻一刻と人命が重く伸し掛かる自分たちの無力さに現場も指揮する役人たちも貼りついたマスコミも親族も野次馬もそれぞれが苛立ちを手近にこづき上げるうち救助に集まったときの、取るものも取らぬ心のありかを失っていって...  まさにいま私たちを取り囲む危難を描いているかのような本作で内田吐夢が私たちに告げようとするのは押し寄せる困難を前にひとびとが不安に押し潰されるとき何より大切なのは安心を求めることなのか、信頼を結ぶことなのか、とくと目に焼き付けられます。

 

内田吐夢 どたんば 江原真二郎 志村喬

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