何で読んだのだったか、若者のその胸の内を芝居への熱情で焦がしながら当時勤めていたホテルのガラス越しに東京の雑踏を眺めるしかなかった多々良純には同じガラスに映る自分のいまがさぞや置き去りにされているものに思えたことでしょう。昭和十年代はじめのことです。私が見た多々良の最も若い姿はそれからほんの四五年先のことで千葉泰樹監督『彦六なぐらる』(南旺映画 1940年)。本庄克二名義だった東野英治郎がまた若くて(だって将来のご老公もこのときはまだ三十代になったばかり)かち割ったばかりの岩のような身構えで彦六である徳川夢声に子分のようについて歩くのですが、そのことをからかう労務者たちのなかに(丸々としていた頃は何か物問いたげな風貌だった)殿山泰司と並んで多々良の姿が見えます。ひと目見て多々良だとわかりましたからあの、川蟹のような柔らかさと厳しさの混じった顔で四角く凄んで見せていたわけです。

それにしても主人公にまとわりついて調子高く芝居の合いの手を入れながら主人公の、役柄の目を立ててみせるのが多々良の多々良純たる手並みです。ひとつ見てみましょう、加藤泰監督『大江戸の侠児』(東映 1960年)です。香川京子が中老と田舎娘のふた役をこなすなかなか凝った筋立てで主人公であるこそ泥がやがて鼠小僧となる経緯を辿っていきます。(何せ原作が戦前傾いたマキノにあって俄然気を吐いた山上伊太郎ですからからくりの箱のようにぱたぱたと場面を畳むたびに違う絵巻が広がってまさにサイレント映画のケレン味です。)本作では何と言っても青山京子に魅了されます。主人公である橋蔵に岡惚れの小唄だかの師匠でずっと田舎に捨て置いていた小娘に突然ご執心の橋蔵があまつさえ迎えに行くなんて言い出したために焼け火箸を呑み込んだように目を吊り上げてついてきます。この青山と橋蔵の間を幇間よろしく額でポンッと鼓を打って飛び廻るのが多々良でして違う調子のふたつの恋路を撚りながらそれぞれが背負うものを描き出すわけです。しかし橋蔵と娘に目の前で当てられて着物に帯でようやくひとの形に収めてはいますけれど嫉妬はとっくに鬼の形相でついつい腹立ちまぎれに娘に面当てを言います。これに呆然自失してふらふらと辻にさ迷い出たのを最後に娘は行き方知れず、以降橋蔵は悲嘆に悲嘆を重ねるようにして結局泥棒に成り下がります。一方青山の方もふっつりと音沙汰もありませんが、月日を経てひょんな風向きから青山のいまを橋蔵にもたらすのも多々良です。彼によれば自分のひと言で娘に運命を踏み外させたことを気に病んであれからずっと街道という街道、宿場という宿場を飯盛女にまで身を落としながら娘の行方を探して歩いているというのです、蓮っ葉なだけにまっすぐな意地を立てる青山の女の粋。

もうひとつ。なかなか口ほどには実入りのない素寒貧の盗賊が大谷友右衛門です。彼の気のいい相棒が多々良でして、旅籠で侍からあれやこれや頂くと若武者と奴になりすましてふたりで掛け合いも小気味よく道中旅です。稲垣浩監督『旅はそよ風』(東宝 1953年)。それにしても大谷友右衛門、歌舞伎の名門出身ながら後ろ盾だった父を戦時中の巡業先で失い自身も人気を当てにあまりに子役を長く引っ張りすぎたのがたたって低迷中、挙句に頼みにしていた六代目も亡くなると歌舞伎を見限って一転映画デビューするや、子役時代の人気もかくやという空前のヒットで返り咲きます。しかしそれも束の間の夢、以後は映画に出るごとにスターに羽ばたいたはずのわが身がずんっ、ずんっ、と高度を落としていきます。市川崑(『天晴れ一番手柄 青春銭形平次』東宝 1953年)や溝口健二(『噂の女』大映 1954年)への出演もありますが空回りと鬱屈がそのまま芝居にうつっていて(『噂の女』に関してはそれがまた年増の弱みにつけ込む小心者の、引きつった小狡さによく合っていて溝口の非人情に敬服しつつ)大谷友右衛門への、私の大方の見方を形作っていたわけです。しかるに本作の大谷は(役が持った気負いと役者がちょっと芝居に高下駄を履いた感じがうまく重なって)のびやかな余裕に愛嬌を見せて格段の魅力です。それもこれも口あけから歯切れのいい遣り取りをしながら喜劇の弾力を作品に揉み込んでくれる多々良純の存在あったればこそで作品もまた(単なる本当らしさとは違う)フィクションの確からしさを彼によって踏み固めています。

とにかくあのすっとぼけた顔で何でもさらっと引き立てるひとです。内田吐夢監督『たそがれ酒場』(新東宝 1955年)では酒場の夜を飛び廻る廊下鳶のような男で自分も客でありながら他の客と店の間をくるくると風を切って行き交い景気づけに歌を披露しあるときは所望した歌劇『カルメン』の朗唱に思わず立ち上がる小杉勇の闘牛士に角を立てて突進していく牛となって寸劇もこなします。五所平之助監督『大阪の宿』(新東宝 1954年)ではなかなかちょび髭のこすっからしい悪ですが喧嘩腰に座敷をつとめる芸者の乙羽信子に爪弾かせながら下手な浄瑠璃で場を盛り上げ「おはら節」に乗ってははちゃめちゃな素踊りで次の見せ場へ引き渡します。それにしても多々良純の一本となると... 桃源郷のように謳われたその村にやってきてみると度重なる圧政に干涸らびた土くれのようなさまに成り果てていてならばもう一度村に花を咲かせてやろうと立ち上がる気のいい野盗を演じる稲垣浩監督『野盗風の中を走る』(東宝 1961年)も忘れ難いのですが、ここはやはり黒澤明監督『七人の侍』(東宝 1954年)でしょうか。百姓たちが侍を探して都に宿を取るあの、手荒く組んだ板敷きのひと間でひがな博奕をしている馬喰だか人足だか身に着けているものと言えば伸び放題の髭ぐらいでともかく荒くれどもです。笠に着たやつは打ちのめさずにはおきませんが弱いやつにも悪態をつかずにはいられない性分で、それもこれもどうしてやることもできないいじましさへの歯を剥いた愛情ではあるわけです。志村喬はいままでの侍よりはるかに親身にはなっていますが見ているようでも所詮侍の目の高さです。仲間を募るにしても「食わせるというだけではの...」と言い伏せるのを多々良は聞き捨てにはできません。志村にむしゃぶりつくと<食わせるだけ>と見下げたその白い米を侍はさも当たり前に口にするがそれが百姓たちの口に入ったことはなくそうだけにそれは身を切って出す以上の、ありったけであると飯を突きつけます。この多々良のひと言で志村の肚が決まります。名もない百姓のために命を捨てる覚悟をしたのも突き出された椀の上にその百姓たちの命が盛られていることを知ったからです。ここから本当に『七人の侍』が始まります。

 

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