たそがれ酒場
  監督 : 内田吐夢
  製作 : 新東宝
  作年 : 1955年
  出演 : 小杉 勇 / 野添ひとみ / 津島恵子

 

 

居並ぶ木椅子はテーブルに上げられたまま酒場はまだ眠っています。そんな酒の匂いも冷え切ったがらんどうの酒場に何とも場違いな、玲玲たるテノールがゆったりと事物の間を縫っていきます。追いかけ畳み掛けるピアノの連打に鼓舞されて歌のなかの運命がこの青年を呑み込み噴き上がって彼の才能と未来とを押し上げていくようです。青年の歌に誘い出されるように刳り貫きの階段から小杉勇が姿を現わすと静かに片隅に腰を下ろします。青年は彼を見出し育ててくれた老ピアニストとともに酒場の夜番をしながら誰もいないこのときをクラシックの練習に使っていて毎日毎日一番客の小杉はまだ店の者もいないこの片隅で彼の歌を聴いているのです。未来は青年のものだ、と小杉はしみじみと呟かずにはいられません。自分のふしくれて皺んだ右手そして左手、毎日をパチンコの景品稼ぎでしのいでいる老いた身の上です。戦争から十年、世の中は青年の息吹きに沸き返っています。一方で小杉には自分たち老人がこの十年をひと知れぬ過去を背負って生きていまやだんだんと体を地中にめり込ませながらやがてその過去とともに眠りにつくこともわかっています。十年前自分が何をしていたか、自分が誰なのか、この酒場で知るひとはいません。この老ピアニストにしてからがすっかり呑んだくれの、いまでは場末の夜に埋もれていますが輝ける才能を自ら砕けるままに打ち据えたその過去のことは青年も知らないのです。まだまだ頂きを仰いで自らの栄耀を登りつめようとしたときにひとりの男がこのピアニストの未来を引き千切って... いやピアニストにしてもあのときの、その男が今晩またもや自分の大切なひとを奪いに来ることをいまはまだ知りません。今晩起こることをまだ誰も知らないのです。店のかわいい給仕である野添ひとみは貧乏がひとの形をして覆い被さったまま恋人の力強い腕が自分をそこから連れ去ってくれることを夢見ていますし、誰もに惜しまれるクラシックバレエの素養を今宵も客の間を練り歩いては酒臭い喝采に嬲りものにする津島恵子はストリップのダンサーでただただ生活に掻き消された自分の若さの、そのいまを思ってもテノールの青年が一日も早くこんな酒場から羽ばたいていくことを祈っています。おや、だんだんと店のひとたちが集まり始めたようです。世の中は夕暮れどき、しかるに酒場はこれからようやく今日を迎えます。歌は歌っています、若者たちは体を鍛えておかねばなりません、いつか来るそのときのために、そして老人は若者の苦悩に寄り添って道の確かな石となるのです。

 

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内田吐夢監督『たそがれ酒場』

 

 

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