皆さま、ごきげんよう
  監督 : オタール・イオセリアーニ
  製作 : フランス・ジョージア
  作年 : 2015年
  出演 : リュファス / アミラン・アミラナシュヴィリ / ピエール・エテックス

 

 

最後にしみじみと(でも噛みしめてみると何とも溌溂と)私たちの手に残るのはパリはやはりそこにあり、パリの毎日は続いていくのだという光景でして、まさに別れこそ始まり、映画が終わったところからいま見た映画の時間が風を孕んだシーツのように大きく寄せ返してきます。それに呑み込まれてみることがオタール・イオセリアーニの映画を見るということなのかもしれません。ふたりの老人を(取り敢えず)主人公に前庭のある、同じアパートに住みともに人生を芸術と日々の愉しみのうちに過ごしてそういう自分の人生をよく馴染んだ外套のようにまとっている如何にもパリの、矍鑠として偏屈な愛すべきひとたち。そのふたりの間にはひとりの女性があって、いまは齢に体も余命も縮こまってしまいましたが美しさは気品となっていまも彼女を支えています。若かりし頃はまさに真珠に唇を寄せるような燦然たる美貌でふたりの、というか彼らを呑み込んだパリの男たちの胸をさぞやときめかせたことでしょう。どのようなロマンスがあったのか、どうもふたりの老人の間には見解の相違があるようです。それにしてもこの映画にはパリを見渡すような視線は出てきません。玄関には街路と敷地を遮断する巨大な木製の扉がそそり立つパリですから石造りの家々も垂直に屹立して上へ上へと視線を誘いますがどこまでも路地の、横へ横へ繋がっていくひとの高さの移動を見据えています。人間にしてからがそうです、ふたりの老人はいくらかこじんまりしていても十分なアパートに暮らす身分ですが路地に出れば浮浪者と交わって生きることに裸ん坊な彼らの仲間です。最近パリでは警察による浮浪者の締め出しが強行されていて蛇腹式の古風なカメラを片手に浮浪者たちと一緒になって果敢な抵抗運動に投じます。一方で彼らは警察の署長に個人的な電話を掛ける社会的な交友も有していて件の、気品ある老嬢にしても大邸宅を構える上流社会のひとです。しかし浮浪者も富豪も権力者もふたりには横に繋がっていて、いやイオセリアーニにとってパリとはひととひとを横に繋いでいく場所なのであって、だからこそかっぱらいの青年はバイオリン弾きの令嬢に恋するのだしコールガールの女性は一個の石から安息の場所を見つけます。小さな子供だって自分の絵を堂々と天下の往来で売って何が悪い!わけで、誰も俯瞰などできないのです。いやただひとり切り立つ上下の意識を愉しむ男がおりました、そうです、警察署長です。上層階の窓際から大層な望遠レンズで階下の人間たちを覗き見ては彼の、脂肪のお腹をさざなみ立てるお愉しみです。フランス革命から続く自由、平等、博愛の(それはそれで残酷な)パリでひとり上下を満喫する彼には飛んだ落とし穴が待っていることでしょう。それではみなさま、ごきげんよう。

 

 

 

こちらをポチっとよろしくお願いいたします♪

 

イオセリアーニ監督『皆さま、ごきげんよう』

 

イオセリアーニ監督『皆さま、ごきげんよう』 イオセリアーニ監督『皆さま、ごきげんよう』

 

イオセリアーニ監督『皆さま、ごきげんよう』

 

 

前記事 >>>

「 映画ひとつ、内田夢監督『たそがれ酒場』 」

<<< 次記事

「 若さと三田佳子 」

 

 


■ フォローよろしくお願いします ■

『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ