『℃LUTCH』
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

拒絶感



それから僕はTさん、Kさんと

某市役所の生活援護課に行き

今の状況や心境を話した

でも、あの時の僕は抑うつが酷く

放心状態で何を質問されたのか

どう答えたのかは覚えていない…


うっすら頭の片隅にある記憶は

Kさんが職員を怒鳴っていたこと

多分、職員の対応に怒鳴っていたのかな?


それから僕は某市の

生活保護を受けることになり

S区にある精神科の隔離病棟に任意入院した


そこは凄まじい場所だった

奇声をあげる者、動き回る人

一点を見つめ動かぬ人

ブツブツ何かを言っては自分自身を殴る人

僕はその光景を目の当たりにした

「僕もこの人たちと同じなの?」

と、その光景と自分に拒絶感を抱いた…


それから数日間

僕は隔離された病室で

過剰に眠り

病室から出ることもほぼなかった


入院して1週間くらいだっただろうか

ふと「こんなとこはもう嫌だ!」

「俺はもう正気だ!」

「俺はもう大丈夫」

「あの人たちとは違う!」

と、自分にいい聞かせ

退院を希望した数日後

S区の精神病院を退院


そのまま、某市の担当職員に連れられ

向かった場所は

生活困窮者支援施設だった


僕の入所が決まっていた…



施設内を案内され、同室の人を紹介され

担当職員が帰った直後

僕は人に見つからないように

荷物を持って施設を飛び出した!


そう、逃げ出したのだ!


無我夢中に走った!

右も左もわからない場所を

僕はとにかく走った!


そして電車に飛び乗り

僕が向かった先は

Kさんの元だった…












優しく包み込む安堵感


Tさんとの初めまして…


あの時の僕の中では

Tさんはmixi友達の数百人の一人で

ほとんど認識もしてない人の一人だった


実際、会ってみると

穏やかな雰囲気の

優しい表情を時より見せる

5才年上の人だった


僕はこれまであったことを話した

Tさんは親身に聞いてくれている

それが伝わる眼差しと表情をしていたのを

今でも記憶の片隅に残る


Tさんもまたアルコール依存症で苦しみ

克服する為に自身と向き合い

乗り越えようとしていた


Tさんは八王子のある場所に

一緒に来て欲しいと言い

僕はTさんとそこへと向かった…


そこはマンションの一室で営業している

民家っぽい飲み屋(ゲイバー)だった


Tさんは、そこのマスターKさんに

事情を話していたのか

紹介されてすぐに

Kさん「しばらくここに居ればいいよ」

と、言ってくれた


Kさんは恰幅のいい白髪混じりの短髪で

甚平姿、年は40代半くらいだったかな…


そしてTさん、Kさんが会話している中

僕のことを話しているのにも関わらず

僕は無気力に、そのまま眠ってしまった…


目が覚めると、賑やかな声が

居間の方から聞こえてくる…


僕はそっと襖(ふすま)を開ける

Kさん「おっ、起きたか?お腹空いただろ?

ご飯たべるかい?こっちおいで」

と、僕を手招きした

そこには数人のお客さんがいたが

Tさんの姿はなかった…


年下の子や30代、40代

飲み屋なのか、駆け込み寺?バー?

そんな場所のようだった

何かに悩んでる人、居場所がない人

病気を抱えてる人たち

様々な事情をもつ人の憩いの場所だと

後々僕は知った


数日、そこで生活し

ある日、Tさんが会いに来た

Tさん「明日、市役所に一緒に行こう!

これから貢士くんが、どうしたら

一番いいのか色々考えたんだ」


僕「えっ?どういうことですか?」


Tさん「生活援護課に相談に行くんだよ」


僕「何ですか?それ」


Tさん「うつ状態が続いて働けないし、住む家もないでしょ?だから生活保護の申請をして受理されたら部屋も借りられるはずだから、取り敢えず明日、一緒に行こう」


心の中「この人、何でここまで俺のことを一生懸命、考えてくれるの?俺、死のうとしてたのに、生きる術を導いてくれてる?」


僕はTさんの真っ直ぐな熱心な情に

優しく包み込んでもらってるかのような

安堵感で視界が涙でぼやけていった…


僕「ありがとうございます」



死にたいは「助けて!」の心の悲鳴


Mと別れ、ぼっかり穴があいてしまった

まるで4才の頃、母親に置いてかれたことを

重ね合わすかのようだった…


愛する人が僕を残し

僕から離れてしまったと…

札幌にはもう僕の居場所はない

そう、心の居場所は何処にもなかった


そんな時だった

兄が東京で働いていて東京に来るなら

家にくればいいと言ってくれた

僕は兄を頼りに東京に戻ることを決め

働かせてもらっていたバーを辞め

ネットの誹謗中傷から逃げるように

東京へと向かった


※某掲示板のスレッド

スナック子牛@(実家の地名)は

相変わらず荒れていた

敵は味方にありじゃないけど

こういうのって身近な人の確率が

高かった時代だった気がする


でも、今は不特定多数の人が

ネット上で誰かを誹謗中傷し

傷つけ、追い込み、命まで奪ってしまう

昔から変わらないネットでの誹謗中傷

人を傷つける行為(いじめ)は

いつになったら、なくなるんだろう…

このまま一生続くのかな…


誰かの存在に支えられ、時に支え

人の優しさや愛を感じて

生きているはずなのに、、、


「人は強がり、時に装って生きている


それが憶測を呼び攻撃される

嫉妬もあるだろう

誰かがしてるから自分もするって人もいるだろう

自分は叩かれる側にはならない?


実際、その立場にならないと

辞めることはないのかな、、、、。



東京に着き、兄に連絡


兄「ごめん、やっぱ家、無理だわ」

僕「どうゆうこと?行く場所ないんだけど!」

兄「ごめん、他探して」


そんなやり取りだったか

僕は兄の言動に怒りと同時に落胆した


行き場を失くしてしまった


僕は大きなスーツケースを引き

ただ宛もなく東京の街を歩き続け

行き着いた場所は新宿二丁目だった


そして僕は

カフェバーで働いていた頃の

お客さんだった

売り専のオーナーに連絡

僕はそこで働くことを決め

ボーイの寮に入ることにした…


行き場を失くし

身も心もボロボロで

どうせ死ぬから

もうどうでもいいやって

気持ちになっていたのだ…


ボーイの寮の2段ベット

周りには知らないボーイ達がいる中

僕はmixiの日記をアップした


「生きているの

もう疲れちゃった、さようなら…」


そこに1通のメッセージが届く


T「はじめましてTと申します

日記見ました、もし良かったら

死ぬ前に会って話しでもしませんか?」

僕「どうせ死ぬし話すくらい、いいですよ」


僕は、ここにはもう戻ることはないと

スーツケースに荷物をまとめ

誰にも何も言わずボーイの寮を出た…


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>