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安らかに、おやすみ



2003年(平成15年) 7月27日死亡

28日午前

乗用車が道路下の小川に転落した事故で

小学教頭、山田◯◯さん(57)が死亡


祖母とたまたま見ていた

ニュースで聞き覚えのある名前を耳にした

そこで父親の事故死を知った


両親が離婚してから

父親とは23年、疎遠だった…


母親から

「父親らしいこと何一つしてくれなかったけど

あんたの父親だし線香あげに行こうか」

と、、、


僕と母は新聞のお悔やみ欄の

住所を頼りに父親の自宅へと

車を走らせた


今思えばあの時、兄はなんで

一緒に行かなかったんだろ、、、


父親の自宅までは

札幌から少し距離があった


途中、道に迷い

母親と大喧嘩した記憶がある(笑)



父親の自宅に着くと

家の前で掃除する男性がいた

父親には新しい家族がいた

おそらくその男性は

奥さんの父親だろう


母「すみません、こちらにお住まいの方ですか?お線香あげにきたのですが宜しいですか?」


男性「どうぞ、どうぞ

今、誰もいないので、ごゆっくり…」


前妻と子だと知っていたのだろうか

特に何も聞こうともせず

止めていた手を動かしはじめた



僕と母親は誰もいない

家へと上がり、部屋を見渡す


テレビの上の写真縦に目が行く

息子(異母兄弟)の学生証らしき写真だった

僕の10才下で

何処か兄に似ていたのを覚えている


仏壇には父親の写真と

祖父、祖母の写真があった


手を合わせる…

こんな顔してたんだ…


悲しみはなかった

でも、やっと会えたねって

気持ちになったのを覚えている


4歳から疎遠だった父

これといって父との思い出もなかった

母親をいびり虐めていた祖父と

僕が生まれる前に他界していた祖母を前に

あの時、母親は何を思い

手を合わせたのだろう…



父や祖父母と過ごした記憶はない…


寂しい思いもしたし

色々、大変だったけど

今、こうしていられるのも

父や祖父母がいたからなんだと

そう思いたい…


父よ、祖父母よ

いつかまた会ったら

そん時は、たくさん話ししよう


ありがとうは言わない

安らかに、おやすみ…


居場所


居場所はなかった…


精神的にも疲れきり

僕は一日中、眠る日が続いていた



ある日、実家近くにある精神科に

母親と一緒に受診した

担当医から

息子の現状を聞かされていた母親だったが

病気への理解はできていなかった

いや、受け入れたくなかったのかもしれない



「仕事もしないで、一日中、寝腐って!」


「うつ病?何が、うつ病よ!

だったらこっちが、とっくにうつ病になってるわ

ほんと、甘えてるだけなんだわっ!」



そんな母親からの小言に

僕は母親に心を閉ざしてしまった




母親には理解してもらいたかった

うつ病になり、支えが必要だった

一人で生きていくのが

あの時は無理だったから…



何処にも居場所はない

心のやり場もどうしたらいいのかさえも

わからないまま

僕は闇の中を彷徨い

当てもない光を探していた…



精神科の待合室


僕は衝動的に

カバンからカッターを取り出し左腕を切る

※ 肘窩(ちゅうか)

肘の内側にある浅い窪みの所



衝動的な怒りの矛先が自傷行為だった

怒りの理由もわからなかった

何が切っ掛けで自らを傷つけてしまうのか

わからなかった


大量の出血

直ぐに傷を数針縫われ、処置される



正気じゃないとはいえ

うつ病の自分を受け入れられていなかったのは

自分自身だったのかもしれない…








甘えで身勝手で…



通院帰り


踏切の音、人混み…


呼吸が荒くなる

何かが襲ってくるような

強い恐怖を感じた


僕は初めてパニック発作を起こした

その場から動けなくなり

泣きながら宮澤だったか

誰かに助けてと電話した記憶がある


そのまま気を失った僕は

近くの病院に救急搬送されていて

目を覚ました時には

誰かが迎えに来てくれていたっけ…




病んでた時の記憶が

曖昧になってるとこもあるけど

僕は日に日に悪くなり

新たに起こる症状に困惑していた…




下校前の静かな施設

受付には僕、一人だった


消えていなくなりたかった

僕はカッターを手に取り

手首を切る…


事情を知る

職員に見つかり怒ることもせず

ただ僕を慰め、手当をしてくれた


今思えば…

あの時の僕は

リストカットする場所を

わざと選んで行動したんじゃないかと思う

すぐに誰かに見つけて欲しかった

気づいて欲しかったんじゃないかと…

甘えで身勝手な行動だった


あの時の僕は

とにかく正気じゃなかった

何が苦しくて、何に辛いのか、、、


自分自身を見失い

心のやり場も

何もかも、わからなかった…




携帯電話が頻繁に鳴る…



クレジットカード

消費者金融の支払いと

バイクのローンも重なって

催促の電話が

頻繁に掛かってきていたのだ



支払い困難だった



僕は法律扶助協会に連絡した

そして、自己破産することにした…



バイクも売り払い

非常勤の契約が終わると同時に

僕は地元札幌にある

実家に戻ることにした

27歳だった…