灰皿と灰とけむ猫(10)続き
「君いくつ?兄弟はいる?」
「えっ、一人っ子だよ。ジジしろはハゲだからみんなハゲ先生って呼んでるの。優しいんだけどね。先生達からは裏でやかんって呼ばれてる」
まだ編入して間もないだろうに。この子の過剰な情報収集能力はシングルマザーで一人っ子の故か。そんな思いともう一つの質問を無視されたことに一抹の侘びしさを感じる尚であった。
「それは、凄いね」
尚のわけのわからない相槌にけむねこが、にゃあ。しっかりと胴輪をはめ直し、けむねこを自由にしてやった。もう女の子がけむねこに飽きてきたらしかったからだ。急がなければ。
「ミナミ先生はきっと」
「ああ、ごめん。君いくつ?」
独り言に近い女の子の言葉を遮る尚。大人気ないがしょうがない。
「うん?こんだけ」
女の子は尚に向けて目一杯手の平を広げ体をくねらせた。
「へぇ。た、誕生日ってのはいつかな?」
誕生日が同じなら良いのか違う方が良いのか、尚にはよくわからなかった。どちらも望み、どちらも怖い。娘に会いたい、それは確かだ。しかし、娘に会って何が出来る。何も出来やしない。何も出来やしないどころか尚はいない方が良いのだ。元妻は娘に尚は死んだと教えている筈である。それが生きていたとなれば娘が人間不信に陥ることは十分考えられる。母親との、唯一の肉親との仲も悪くなってしまうことだってあるだろう。それに元妻に断りもなく娘に会えば彼女に怒られるだけでなく法的にも怒られる。
「三月六日だよ」
ああ、しかし、出逢ってしまったならどうすれば良いのだ。いや、まだだ、まだ、まだ早い。まだ確信に至ってはならない。高鳴る鼓動を抑えなければならない。最終確認を。初めに聞けと言うべからず。
「へ、へぇ。じゃあさ。君の名前は」その時、尚の声にかぶさって、
「あかりちゃーん!何やってるのぉ!」女の子の後方から保母さんの声。
「あ、ミナミ先生が呼んでる。じゃあね、けむねこもじゃあね」
ダッシュで去る女の子に尚は声をかけられなかった。ちなみにけむねこも。結局名前は聞けず終い。だが、名前を知れないならば知らない方がいいのだ。出逢わなければ出逢わない方がいいのだ。もう二度とあの子には会わないだろう、尚はそう思った。あの女の子はあの女の子、娘ではない。そして娘には会わない。それで良い。
「さて、と」
尚はけむねこをペット持ち運び用バッグに詰め、伊那荘へと歩を進めた。気持ちが揺れた分掃き溜めがふるい落とされたのか、来た時よりも足取り軽く。にゃにゃにゃにゃにゃ。
「あの子は“今日の天使”だったのかな。ふふん。あかりちゃんかぁ。ってあかりは娘の名前だよ。ったく。あれ」
がびーん。独り言呟き、記憶整理、真っ逆さま。
あかりという名前、“理想的な”夫婦だった時の妻には周りの人を照らす明かりになるよう、光輝く人生を歩むよう、と、云った具合に提案し、見事採用されたのだが、実はウアカリという猿から頂戴した名前である。冗談半分でぽつりと提案したのだが予想以上に彼女が気に入ってしまい退くに退けなくなってしまったのだ。あかり。あの子も、いや、もう確信していい。間違いなく、あの子があかり。直感は正しかった。
こんな時、尚が取る行動は一つ。
がちこん。
「…」
尚の耳に新しい痛みと新しいピアスがひとつ。尚は消毒液を耳に吹きかけるとタバコをくゆらせ原稿用紙に向かう。煙で顔をしかめるけむねこ。ふにふに。灰皿に溜まる灰の量だけ今日の出来事を思い返す。
「えっ、一人っ子だよ。ジジしろはハゲだからみんなハゲ先生って呼んでるの。優しいんだけどね。先生達からは裏でやかんって呼ばれてる」
まだ編入して間もないだろうに。この子の過剰な情報収集能力はシングルマザーで一人っ子の故か。そんな思いともう一つの質問を無視されたことに一抹の侘びしさを感じる尚であった。
「それは、凄いね」
尚のわけのわからない相槌にけむねこが、にゃあ。しっかりと胴輪をはめ直し、けむねこを自由にしてやった。もう女の子がけむねこに飽きてきたらしかったからだ。急がなければ。
「ミナミ先生はきっと」
「ああ、ごめん。君いくつ?」
独り言に近い女の子の言葉を遮る尚。大人気ないがしょうがない。
「うん?こんだけ」
女の子は尚に向けて目一杯手の平を広げ体をくねらせた。
「へぇ。た、誕生日ってのはいつかな?」
誕生日が同じなら良いのか違う方が良いのか、尚にはよくわからなかった。どちらも望み、どちらも怖い。娘に会いたい、それは確かだ。しかし、娘に会って何が出来る。何も出来やしない。何も出来やしないどころか尚はいない方が良いのだ。元妻は娘に尚は死んだと教えている筈である。それが生きていたとなれば娘が人間不信に陥ることは十分考えられる。母親との、唯一の肉親との仲も悪くなってしまうことだってあるだろう。それに元妻に断りもなく娘に会えば彼女に怒られるだけでなく法的にも怒られる。
「三月六日だよ」
ああ、しかし、出逢ってしまったならどうすれば良いのだ。いや、まだだ、まだ、まだ早い。まだ確信に至ってはならない。高鳴る鼓動を抑えなければならない。最終確認を。初めに聞けと言うべからず。
「へ、へぇ。じゃあさ。君の名前は」その時、尚の声にかぶさって、
「あかりちゃーん!何やってるのぉ!」女の子の後方から保母さんの声。
「あ、ミナミ先生が呼んでる。じゃあね、けむねこもじゃあね」
ダッシュで去る女の子に尚は声をかけられなかった。ちなみにけむねこも。結局名前は聞けず終い。だが、名前を知れないならば知らない方がいいのだ。出逢わなければ出逢わない方がいいのだ。もう二度とあの子には会わないだろう、尚はそう思った。あの女の子はあの女の子、娘ではない。そして娘には会わない。それで良い。
「さて、と」
尚はけむねこをペット持ち運び用バッグに詰め、伊那荘へと歩を進めた。気持ちが揺れた分掃き溜めがふるい落とされたのか、来た時よりも足取り軽く。にゃにゃにゃにゃにゃ。
「あの子は“今日の天使”だったのかな。ふふん。あかりちゃんかぁ。ってあかりは娘の名前だよ。ったく。あれ」
がびーん。独り言呟き、記憶整理、真っ逆さま。
あかりという名前、“理想的な”夫婦だった時の妻には周りの人を照らす明かりになるよう、光輝く人生を歩むよう、と、云った具合に提案し、見事採用されたのだが、実はウアカリという猿から頂戴した名前である。冗談半分でぽつりと提案したのだが予想以上に彼女が気に入ってしまい退くに退けなくなってしまったのだ。あかり。あの子も、いや、もう確信していい。間違いなく、あの子があかり。直感は正しかった。
こんな時、尚が取る行動は一つ。
がちこん。
「…」
尚の耳に新しい痛みと新しいピアスがひとつ。尚は消毒液を耳に吹きかけるとタバコをくゆらせ原稿用紙に向かう。煙で顔をしかめるけむねこ。ふにふに。灰皿に溜まる灰の量だけ今日の出来事を思い返す。
灰皿と灰とけむ猫(10)
最近、雨野川尚はけむねこと散歩をすることが、うまくいかない執筆活動とバイトの日々の息抜きだ。けむねこが伊那荘に来てから一年ばかりは完全伊那荘内飼育に徹していたのだが、尚と蜂谷のおっさんの愛情を一身に受け止めすくすく元気に成長したけむねこは、力と知恵をつけ何かにつけ伊那荘から脱出しようと、テリトリーを拡げようとした。けむねこの階段を駆け上る駆け下りる速さは尋常ではなく、とてもじゃないが人間に対抗出来るものではない。階段を駆ける音と相まって、伊那荘の白い稲妻、と、蜂谷のおっさんに言われる程で、不意の来客時などはもとより、二人が伊那荘を出ようとしようものならば敏感にその行動を察知し玄関に駆けつけてくる。すっかり参ってしまった二人。そしてけむねこが伊那荘を脱出するのは時間の問題であった。で、あるならば、いざ伊那荘からけむねこが逃げ出した時に、車等街の危険なものを教えてやろうと、むしろ、外は怖いのだ、と、けむねこに植え付ける為にけむねこをペット用バッグに詰め込んだのがきっかけだった。肩掛けカバンの中にはティッシュとビニール袋。
ひとまず、けむねこの脱出本能は満たされているようで、散歩をするようになってから執拗に玄関を狙うことは無くなった。が、尚が伊那荘に居ると、今日は外に出てないにゃあ、と、尚の脚を、顔を狙う。子猫の頃はただただ可愛く、“体の柔らかい部分”を除けば爪による被害は皆無だったので人間登りを許容していたのだが、今では、伊那荘の切り裂きジャック、と、蜂谷のおっさんに言われる程で、しゃれにならないじゃれだ。犬と違い叱ろうが閉じ込めようが何食わぬ顔で香箱を作り、ふわぁあ、あくび。娘の教育を間違えた、そう言っても後の祭り。時に嫌になる程甘えん坊なけむねこは、やはり捨て猫のトラウマというやつが関係しているのかもしれない。ただ尚が甘やかしただけかもしれない。甘やかした程だからやっぱりけむねこが可愛い。散歩だって、蜂谷のおっさんには「参っちゃいますよ」と言っているものの表情はうきうき感を隠し切れていない。眉毛の繋がりかけた三十一歳の男の本音と建て前。気持ち悪い。
この日も、ファミレスのバイトが終わると伊那荘に帰りピアス装着お散歩。四月中旬。午前十一時。半袖で十分な快晴。そう言えば伊那荘に大家の甥っ子の新大学生が来るという話があったが立ち消えたようだ。
天気とは裏腹にどんより厚い雲に覆われ光を閉ざしているこの日の尚の精神。別段何かあったわけではないのだが、いや、何もないからこそどんよりしているのだ。狂っているようで単調な生活のリズム。つまらなくはない世の中。執筆活動とは逆にうまくいっているアルバイト。加齢。弱音。誰かに助けて欲しい。自分で選んだ道なのに。結局助けを叫べず、相変わらず外面が良くて周りに気を遣いびくびく怯えている。世の中からフェードアウトしていく自分。街から追い出されていく自分。見て見ぬフリされる自分。見て見ぬフリする自分。運命が決まっているのならどんなにいいだろう。自分が機械だったらどんなにいいだろう。考えぬ葦だったらどんなにいいだろう。生きて死ぬだけだったらどんなにいいだろう。誰かに助けて欲しい。誰かに一言、「いいんだよ」と言って欲しい。自分で選んだ道なのに。死にたい。死ねない。生きたい。生きていたい。滑らかで心地よく回る歯車。くるくる回る尚の精神。
尚は歩く。ゆらりゆらゆら。ふらふら。ぽてぽて。けむねこは時折にゃあと鳴く。尚はより一層けむねこに気を遣いながら慎重に歩く。いつもの、マンションの向かいにある小さな公園を通過、歩きたかった。歩いて歩いてどこかに行ってしまいたかった。
「でも、どうせおれは帰るんだろ。帰れる範囲にしか行かないんだろ」
呟き、少し涙ぐむ。
案の定、すぐに疲れた。
東京ドーム二個分程の割合大きな公園にたどり着いた。池がある。広場もある。小さな丘もある。メタセコイアの並木道もある。桜もある。孔雀だって三羽いる。もちろん始めて来た公園ではない。けむねこを連れて来るのは始めてだが。尚は孔雀小屋正面のベンチに座り、けむねこを出した。当然胴輪のリードを繋いでいる。だが、あまり引っ張ることはない。けむねこは尚の膝の上や頭の上にいることが多いからだ。とはいえ、孔雀には驚いた?ようだ、運が良いと言っていいのか、極彩色の羽を広げる一羽の孔雀。頭の上で香箱を作り、驚きつつも目で追い、狙うけむねこ。
「ちゃさすあ」
檻の金網に飛びついたけむねこ。一服するのも忘れぼんやりしていた尚はけむねこの構えに気付かず、爪が頭皮に食い込み言葉にならぬ悲鳴を上げた。みんな死んじゃえばいいのに、などと考えていた尚に下った天罰か。
懸垂するよう、垂直の金網にしがみつくけむねこ。向こう側にはみ出る肉球。尻尾は振り子よりゆっくりと左右にふわふわ揺れる。
「あまりプレッシャーかけるなよ。見ろ。怯えているだろ。綺麗な、いや、気色悪いあの緑がかった羽が抜けちゃうだろ。お前だってストレスで毛が抜けることぐらいあらぁな。駄目だよ。駄目」
尚の言葉を聞くけむねこではない。金網から落ちると身を伏せる。
「ほらほら」
尚はそう言うとけむねこを膝の上へ。そんなこと関係ないとばかりに膝から飛び出るけむねこ。そんな動作を三回ばかり繰り返した時、
「はにわっテクノぉ」
と、近くで声がした。けむねこを拾おうとした尚の動きが止まる。はにわテクノ?はにわテクノ?どんなジャンルだそのテクノ。尚が淡い疑問を抱きつつ振り向くと、そこには体操着を着た女の子の幼稚園児がいた。その後方に園児の群れが見える。これからこの公園でお昼でも食べるのだろう。
「ねぇ、なにやってるの?」
ああ、なにやってるの?か。はにわテクノってなんだよなぁ。尚は大人のマナーとしてニッコリ笑顔を作り、
「ああ、これはね、猫が孔雀を」
と、そこまで言った時、尚が女の子の顔を見た時、尚は手にしていたリードを落とした。落としたといってもちゃんと先端の輪っかを手首に通していたのでなんら問題は無いし、幸いなことに、尚が受けた痛烈な衝撃を伝えるリアクションにはなっていない。
「孔雀?」
クエスチョンマークみたく頭を傾け、疑問を前面に押し出す女の子。あどけない表情とはまさにこのことだろう。
「く、孔雀を、猫が、狙っていてね」
狼狽しながらもなんとか意味の通る言葉で状況を伝える尚。頭の中で時間が飛ぶ。過去へ。一年と数ヶ月ばかり前へ。「そこはかとなくあんたに似ている」木根信子の言葉が検索ワード。あの母娘はその後店にやって来たとは聞いていないが。しかし、見よ、この女の子の顔を、ああ、そこはかとなく、そこはかとなく尚に似たこの顔を。そしてそこはかとなく元妻に似ていないこともない。
この子だ。あの日店に来た女の子はこの子だ。尚の狼狽ぶりも窺い知ることが出来よう。突然目の前に現れた女の子が自分の娘であるのかも知れないのだから。かも知れない、ではない。尚はこの子は自分の娘だと直感した。それは親と子の血の繋がりの為せる業であろうか。思い込みの為せる業か。電気ウナギにやられて食われてしまうような衝撃の中、保育器に入ったしわくちゃな娘の顔とこの子がリンクする。五年に渡る空白の時間が一気に埋められていく。
「ふぅん。オス?メス?」
体操着に帽子を被った“娘”が言う。
「…あ、ああ、メスだよ」
平静を装わなければならない。“娘”にとって俺は産まれる前に死んでいる存在なのだ。尚は強く念じた。下品な話でなんだが、今の尚の思考はエロビデオを選ぶ時勃起をしないよう気を鎮めることに大変似ている。そしてそうすることにより少し倫理的思考を取り戻した。これもエロビデオを選ぶ時と同様だ。飛躍があってはならない。尚はそう念じ感情を抑える。作家にあるまじき言葉だが、尚も直感はすれどまだ確信したわけではない。今のところこの子の存在以外の証拠はないのだ。考えてもみろ。この広い地球、日本、首都圏の中でこんな都合のいい話があろうか。たまたま普段あまり行かない公園に行き、たまたま幼稚園の行事か何かに出くわし、たまたまけむねこに興味を惹かれて話かけてきたその幼稚園に通うこの女の子が俺の娘だと?普通に考えてそんなことあり得ないじゃないか。正解は近所に偶然そこはかとなく俺に似た幼稚園児がいた、だ。俺の顔だってそんな物珍しい顔じゃない。仮に近所に千人ばかしの幼稚園児が入れば五十人ぐらいは俺に似た子って言えるさ。
「触ってもいい?」
“女の子”は触ることを前提に凄まじく生命力に満ちた笑顔で言った。
「いいよ。でも優しくね」
少し落ち着いた尚は周りをきょろり。園児の群れの中に保母さんと母親達がいる。一瞬、騒ぎになるかも、と、思ったが、なに別にやましいことはしてないしこっちには猫がいる、と冷静に判断した。両膝を曲げ腰を落とす女の子。躊躇うことなく伸ばした手に、けむねこは少し不機嫌そう、にゃ、と、鳴いて尚の足下へすたこら。そんなことぐらいで諦める筈もなく女の子も尚の足下に。
「にゃあちゃん。にゃあにゃあにゃあにゃ。この猫名前なんてぇの?」
尚は女の子の帽子の頂点にある通称“ボン乳首”に向かって、
「けむねこだよ」
と、言った。
「フナムシ?」
「ええ、けむねこだよ、けむねこ。なんでフナムシ?ありゃ、なんか凄いデジャヴュ…」
「けむねこね。けむねこ、はいお手」
女の子が差し出した手にけむねこは一瞥もくれない。
「お手はしないよ」
「ふぅん。変な猫」
「いや、どちらかといえばお手をする猫が変な猫なのではないかい」
「けむねこってなんて種類の猫?」
「まあ、普通の猫だよ。日本の猫だね。雑種だろうけど」
「ふぅん」
女の子はけむねこの鼻の奥まで覗き込むよう観察する。尚はけむねこが女の子に猫パンチを食らわせないか心配になり、けむねこを抱き上げて胴輪を緩め、ずらした。
「ほら、胸の辺りの毛が変だろ?だからけむねこって名前なんだ」
我ながらスムーズな行動だ、と、尚は心の中で膝を手でポンと叩いた。
「ああ、ねじねじだぁ」
女の子は人差し指でけむねこの胸毛をくりくり。けむねこの抵抗力をひしひし感じる尚。やはり女の子の顔は…。
「ところで、今日は何だい?遠足かい?」
尚は情報収集を始めた。
「外でお弁当食べるだけだよ」
くりくり。むにゃあ。
「お母さんも来てるのかい?」
「お母さん仕事だよ。お弁当はミナミ先生と食べるんだ」
「ああ、お仕事かぁ。そいつぁ大変だ。じゃあ、その、お父さんは?」
けむねこを持つ手に力がこもる。みにゃあ。
「お父さんはいないよ」
「い、いない?」
震える手とけむねこ。
「うん、ずっと前に死んじゃったってさ」
天真爛漫に女の子は言う。その瞳は濁りのない、真っ白で真っ黒で、この日の尚のような人間には直視出来ない清らかなる瞳だ。
「そ、そうかい。それはぁなんだ、それはぁ」
「いいよぉ、ずっと前だし。産まれる前だもん」
偶然で済まして良いことなのだろうか。この出逢いは必然ではなかろうか。あまりに、あまりに一致するインフォメーション。何を以て必然なのか。親子、だから?しかし、まさか。とはいえ、やはり。
よくわからないものとよくわからないものの狭間で揺れ動く尚(笑)。何が笑だ。ふざけるな。
「ねえ、おじさん。面白いんだよ」
「…えっ面白い?何が」
「新しい幼稚園にはね、しろうが三人もいるの」
「しろうって名前?」
「うん、けむねこと同じでさ」
「何が?」
「名前」
「はぁ、新しい幼稚園って引っ越して来たの?」
「うん、でさぁ」
「ちょっといいかい?引っ越して来たのっていつ?」
「えっ、この前だよ。でさぁ。一人は子供で一人は子供でもう一人は園長先生、とってもジジイだからジジしろって呼んでるの」
この前ってことは普通に考えれば節目の三月、春休み中だよな。ということは一年前に来た客はこの子じゃないのか?いや、一年前に一度来たきりなんだ、むしろ筋が通っている。三月?そうだ、大事な事を忘れていた。
ひとまず、けむねこの脱出本能は満たされているようで、散歩をするようになってから執拗に玄関を狙うことは無くなった。が、尚が伊那荘に居ると、今日は外に出てないにゃあ、と、尚の脚を、顔を狙う。子猫の頃はただただ可愛く、“体の柔らかい部分”を除けば爪による被害は皆無だったので人間登りを許容していたのだが、今では、伊那荘の切り裂きジャック、と、蜂谷のおっさんに言われる程で、しゃれにならないじゃれだ。犬と違い叱ろうが閉じ込めようが何食わぬ顔で香箱を作り、ふわぁあ、あくび。娘の教育を間違えた、そう言っても後の祭り。時に嫌になる程甘えん坊なけむねこは、やはり捨て猫のトラウマというやつが関係しているのかもしれない。ただ尚が甘やかしただけかもしれない。甘やかした程だからやっぱりけむねこが可愛い。散歩だって、蜂谷のおっさんには「参っちゃいますよ」と言っているものの表情はうきうき感を隠し切れていない。眉毛の繋がりかけた三十一歳の男の本音と建て前。気持ち悪い。
この日も、ファミレスのバイトが終わると伊那荘に帰りピアス装着お散歩。四月中旬。午前十一時。半袖で十分な快晴。そう言えば伊那荘に大家の甥っ子の新大学生が来るという話があったが立ち消えたようだ。
天気とは裏腹にどんより厚い雲に覆われ光を閉ざしているこの日の尚の精神。別段何かあったわけではないのだが、いや、何もないからこそどんよりしているのだ。狂っているようで単調な生活のリズム。つまらなくはない世の中。執筆活動とは逆にうまくいっているアルバイト。加齢。弱音。誰かに助けて欲しい。自分で選んだ道なのに。結局助けを叫べず、相変わらず外面が良くて周りに気を遣いびくびく怯えている。世の中からフェードアウトしていく自分。街から追い出されていく自分。見て見ぬフリされる自分。見て見ぬフリする自分。運命が決まっているのならどんなにいいだろう。自分が機械だったらどんなにいいだろう。考えぬ葦だったらどんなにいいだろう。生きて死ぬだけだったらどんなにいいだろう。誰かに助けて欲しい。誰かに一言、「いいんだよ」と言って欲しい。自分で選んだ道なのに。死にたい。死ねない。生きたい。生きていたい。滑らかで心地よく回る歯車。くるくる回る尚の精神。
尚は歩く。ゆらりゆらゆら。ふらふら。ぽてぽて。けむねこは時折にゃあと鳴く。尚はより一層けむねこに気を遣いながら慎重に歩く。いつもの、マンションの向かいにある小さな公園を通過、歩きたかった。歩いて歩いてどこかに行ってしまいたかった。
「でも、どうせおれは帰るんだろ。帰れる範囲にしか行かないんだろ」
呟き、少し涙ぐむ。
案の定、すぐに疲れた。
東京ドーム二個分程の割合大きな公園にたどり着いた。池がある。広場もある。小さな丘もある。メタセコイアの並木道もある。桜もある。孔雀だって三羽いる。もちろん始めて来た公園ではない。けむねこを連れて来るのは始めてだが。尚は孔雀小屋正面のベンチに座り、けむねこを出した。当然胴輪のリードを繋いでいる。だが、あまり引っ張ることはない。けむねこは尚の膝の上や頭の上にいることが多いからだ。とはいえ、孔雀には驚いた?ようだ、運が良いと言っていいのか、極彩色の羽を広げる一羽の孔雀。頭の上で香箱を作り、驚きつつも目で追い、狙うけむねこ。
「ちゃさすあ」
檻の金網に飛びついたけむねこ。一服するのも忘れぼんやりしていた尚はけむねこの構えに気付かず、爪が頭皮に食い込み言葉にならぬ悲鳴を上げた。みんな死んじゃえばいいのに、などと考えていた尚に下った天罰か。
懸垂するよう、垂直の金網にしがみつくけむねこ。向こう側にはみ出る肉球。尻尾は振り子よりゆっくりと左右にふわふわ揺れる。
「あまりプレッシャーかけるなよ。見ろ。怯えているだろ。綺麗な、いや、気色悪いあの緑がかった羽が抜けちゃうだろ。お前だってストレスで毛が抜けることぐらいあらぁな。駄目だよ。駄目」
尚の言葉を聞くけむねこではない。金網から落ちると身を伏せる。
「ほらほら」
尚はそう言うとけむねこを膝の上へ。そんなこと関係ないとばかりに膝から飛び出るけむねこ。そんな動作を三回ばかり繰り返した時、
「はにわっテクノぉ」
と、近くで声がした。けむねこを拾おうとした尚の動きが止まる。はにわテクノ?はにわテクノ?どんなジャンルだそのテクノ。尚が淡い疑問を抱きつつ振り向くと、そこには体操着を着た女の子の幼稚園児がいた。その後方に園児の群れが見える。これからこの公園でお昼でも食べるのだろう。
「ねぇ、なにやってるの?」
ああ、なにやってるの?か。はにわテクノってなんだよなぁ。尚は大人のマナーとしてニッコリ笑顔を作り、
「ああ、これはね、猫が孔雀を」
と、そこまで言った時、尚が女の子の顔を見た時、尚は手にしていたリードを落とした。落としたといってもちゃんと先端の輪っかを手首に通していたのでなんら問題は無いし、幸いなことに、尚が受けた痛烈な衝撃を伝えるリアクションにはなっていない。
「孔雀?」
クエスチョンマークみたく頭を傾け、疑問を前面に押し出す女の子。あどけない表情とはまさにこのことだろう。
「く、孔雀を、猫が、狙っていてね」
狼狽しながらもなんとか意味の通る言葉で状況を伝える尚。頭の中で時間が飛ぶ。過去へ。一年と数ヶ月ばかり前へ。「そこはかとなくあんたに似ている」木根信子の言葉が検索ワード。あの母娘はその後店にやって来たとは聞いていないが。しかし、見よ、この女の子の顔を、ああ、そこはかとなく、そこはかとなく尚に似たこの顔を。そしてそこはかとなく元妻に似ていないこともない。
この子だ。あの日店に来た女の子はこの子だ。尚の狼狽ぶりも窺い知ることが出来よう。突然目の前に現れた女の子が自分の娘であるのかも知れないのだから。かも知れない、ではない。尚はこの子は自分の娘だと直感した。それは親と子の血の繋がりの為せる業であろうか。思い込みの為せる業か。電気ウナギにやられて食われてしまうような衝撃の中、保育器に入ったしわくちゃな娘の顔とこの子がリンクする。五年に渡る空白の時間が一気に埋められていく。
「ふぅん。オス?メス?」
体操着に帽子を被った“娘”が言う。
「…あ、ああ、メスだよ」
平静を装わなければならない。“娘”にとって俺は産まれる前に死んでいる存在なのだ。尚は強く念じた。下品な話でなんだが、今の尚の思考はエロビデオを選ぶ時勃起をしないよう気を鎮めることに大変似ている。そしてそうすることにより少し倫理的思考を取り戻した。これもエロビデオを選ぶ時と同様だ。飛躍があってはならない。尚はそう念じ感情を抑える。作家にあるまじき言葉だが、尚も直感はすれどまだ確信したわけではない。今のところこの子の存在以外の証拠はないのだ。考えてもみろ。この広い地球、日本、首都圏の中でこんな都合のいい話があろうか。たまたま普段あまり行かない公園に行き、たまたま幼稚園の行事か何かに出くわし、たまたまけむねこに興味を惹かれて話かけてきたその幼稚園に通うこの女の子が俺の娘だと?普通に考えてそんなことあり得ないじゃないか。正解は近所に偶然そこはかとなく俺に似た幼稚園児がいた、だ。俺の顔だってそんな物珍しい顔じゃない。仮に近所に千人ばかしの幼稚園児が入れば五十人ぐらいは俺に似た子って言えるさ。
「触ってもいい?」
“女の子”は触ることを前提に凄まじく生命力に満ちた笑顔で言った。
「いいよ。でも優しくね」
少し落ち着いた尚は周りをきょろり。園児の群れの中に保母さんと母親達がいる。一瞬、騒ぎになるかも、と、思ったが、なに別にやましいことはしてないしこっちには猫がいる、と冷静に判断した。両膝を曲げ腰を落とす女の子。躊躇うことなく伸ばした手に、けむねこは少し不機嫌そう、にゃ、と、鳴いて尚の足下へすたこら。そんなことぐらいで諦める筈もなく女の子も尚の足下に。
「にゃあちゃん。にゃあにゃあにゃあにゃ。この猫名前なんてぇの?」
尚は女の子の帽子の頂点にある通称“ボン乳首”に向かって、
「けむねこだよ」
と、言った。
「フナムシ?」
「ええ、けむねこだよ、けむねこ。なんでフナムシ?ありゃ、なんか凄いデジャヴュ…」
「けむねこね。けむねこ、はいお手」
女の子が差し出した手にけむねこは一瞥もくれない。
「お手はしないよ」
「ふぅん。変な猫」
「いや、どちらかといえばお手をする猫が変な猫なのではないかい」
「けむねこってなんて種類の猫?」
「まあ、普通の猫だよ。日本の猫だね。雑種だろうけど」
「ふぅん」
女の子はけむねこの鼻の奥まで覗き込むよう観察する。尚はけむねこが女の子に猫パンチを食らわせないか心配になり、けむねこを抱き上げて胴輪を緩め、ずらした。
「ほら、胸の辺りの毛が変だろ?だからけむねこって名前なんだ」
我ながらスムーズな行動だ、と、尚は心の中で膝を手でポンと叩いた。
「ああ、ねじねじだぁ」
女の子は人差し指でけむねこの胸毛をくりくり。けむねこの抵抗力をひしひし感じる尚。やはり女の子の顔は…。
「ところで、今日は何だい?遠足かい?」
尚は情報収集を始めた。
「外でお弁当食べるだけだよ」
くりくり。むにゃあ。
「お母さんも来てるのかい?」
「お母さん仕事だよ。お弁当はミナミ先生と食べるんだ」
「ああ、お仕事かぁ。そいつぁ大変だ。じゃあ、その、お父さんは?」
けむねこを持つ手に力がこもる。みにゃあ。
「お父さんはいないよ」
「い、いない?」
震える手とけむねこ。
「うん、ずっと前に死んじゃったってさ」
天真爛漫に女の子は言う。その瞳は濁りのない、真っ白で真っ黒で、この日の尚のような人間には直視出来ない清らかなる瞳だ。
「そ、そうかい。それはぁなんだ、それはぁ」
「いいよぉ、ずっと前だし。産まれる前だもん」
偶然で済まして良いことなのだろうか。この出逢いは必然ではなかろうか。あまりに、あまりに一致するインフォメーション。何を以て必然なのか。親子、だから?しかし、まさか。とはいえ、やはり。
よくわからないものとよくわからないものの狭間で揺れ動く尚(笑)。何が笑だ。ふざけるな。
「ねえ、おじさん。面白いんだよ」
「…えっ面白い?何が」
「新しい幼稚園にはね、しろうが三人もいるの」
「しろうって名前?」
「うん、けむねこと同じでさ」
「何が?」
「名前」
「はぁ、新しい幼稚園って引っ越して来たの?」
「うん、でさぁ」
「ちょっといいかい?引っ越して来たのっていつ?」
「えっ、この前だよ。でさぁ。一人は子供で一人は子供でもう一人は園長先生、とってもジジイだからジジしろって呼んでるの」
この前ってことは普通に考えれば節目の三月、春休み中だよな。ということは一年前に来た客はこの子じゃないのか?いや、一年前に一度来たきりなんだ、むしろ筋が通っている。三月?そうだ、大事な事を忘れていた。
別に
月曜日にあれの続き書かなきゃならん理由なんてないんだからね。なんてことを一々書いてみる。一文字も打ってないよぉ。でも内容はもう決まってんだよぉ。打つの面倒くさいんだよぉ。どうせ誰も見ちゃいねえしよぉ。今週違うの書いたしよぉ。いいじゃねえか今日は打たなくてよぉ。長いんだよぉ。長いだけなんだよぉ。携帯じゃ字が出ねえしよぉ。そのくせ誰も見ちゃいねえしよぉ。…今こうやって現実逃避してんだ☆現実っつっても仮想だけど。はぁ打つかポチポチと。今日中は無理かも。
唄います
ええ、中学時代のノートから。
女に惚れるな
惚れたら負けよ
ここは涙の男坂
嫁に惚れるな
惚れたら一途
港近くの男坂
酒に惚れるな
呑むなら乗るな
死に物狂いの男坂
犬に吠えるな
噛まれて泣くな
野良犬だらけの男坂
終わり いやぁ、変わってないね。まさしく成長性E(超にがて)!たくさん古ぼけたノートが出てきてさ。色々書いてる。内容なんか覚えちゃいないから逆に新鮮です。ほぼパクリだけどさ。たまにいい散文詩なんかあったりして…
女に惚れるな
惚れたら負けよ
ここは涙の男坂
嫁に惚れるな
惚れたら一途
港近くの男坂
酒に惚れるな
呑むなら乗るな
死に物狂いの男坂
犬に吠えるな
噛まれて泣くな
野良犬だらけの男坂
終わり いやぁ、変わってないね。まさしく成長性E(超にがて)!たくさん古ぼけたノートが出てきてさ。色々書いてる。内容なんか覚えちゃいないから逆に新鮮です。ほぼパクリだけどさ。たまにいい散文詩なんかあったりして…
ザリガニ売りと俺。
ブログネタ:【MVP選出ネタ】500円しかなかったら何を食べる?
参加中ふと思い出した。俺が子供の頃、小学校低学年ぐらいまで世の中はバブルだった。ことあるごとに大人からお小遣いを貰っていた。お年玉なんか知らないおっさんからも貰った。一月中なら道行く大人に挨拶しただけで貰えたと言っても決して過言ではない。その証拠、と云うには大袈裟だが、子供の頃、夏休みなどになるとザリガニやカエルを捕まえては家の前で“売って”いたのだが、ある程度売れた記憶がある。言っておくが俺の家は東京23区の下町にあり、中華街とかではない。百円程度の売値だったはずであるが、今の不景気と言われる状況からすると、ガキの遊びに現金を出す程いかれた世の中だったのだろう。買い主がザリガニやカエルをどうしたかは知らない。たまに大量に買っていく人がいたが多分食ったのだと思う。そんな当時たまに祖母の兄、大伯父が家に泊まりにやってきた。酔っ払って自宅に帰るのが面倒くさくなるとうちに泊まるのだ。今、さらに思い出したが、大伯父は俺達家族と同居していた爺さんが死んでからうちに泊まりに来るようになった。うーむ、自己完結で悪いが納得だ。大伯父は食品会社を経営していて、中小企業だがやはり羽振りが良かったらしく、泊まりに来る度に酒と爺臭い息を吐きながら俺達兄弟にお小遣いをくれた。三人兄弟の俺達に、兄に一万、姉に五千、俺に千円、時には一万円を兄弟三人に一枚づつくれたりした。当然、結局は親の懐に消えるのだが。そんなある日、この日も夜中に突然大伯父がやって来た。腐った畳みたいな臭いがプンプンする。愛想笑いを浮かべて大伯父の支離滅裂な話に付き合う俺達。この時、なんでか忘れたが兄は居なくて姉と俺で相手をしていた。案の定お小遣いをくれた。今日はこれしかねえな、大伯父は財布から五千円札を出すと、二人で分けろ、と言った。俺は、わかった、と言うとすぐに行動を起こした。いつも親に持っていかれるのがお決まりで、そのパターンを崩してやりたかった。俺は姉から五千円札をふんだくると、折れ目のついた札の真ん中から一気に真っ二つにし、はい半分、と言って片方を姉に渡した。その場にいた母親や大伯父はびっくりしてたなぁ。大丈夫かこいつ、みたいな目でさ。そんなどうでもいい話を500円という文字を見てたら思い出した。大伯父はいつの間にやらうちに来なくなり、多分もう死んでるんじゃないかな。あ、500円あったらコンビニでトリス(ウィスキー)買います。残りは道でザリガニを買う為にとって置きます。