私の今⬇︎
「損を認める」を本格的にやる時期が来た〜っ
※「損」とは、親ガチャはずれた損、機能不全家庭で育って精神的にまっすぐ育つことができなかったことの損のこと。
って気付いたきっかけは、自分の中で「損した分補填されたいと思ってる」って言葉が出てきたから。
そう、損した分補填されたい、いや「補填されてしかるべき」って、思ってるらしい!自分は。
あ、『べき思考』笑
「これ以上損したくない」もある。
これはケチ根性に近い。
「こんだけ大損したんだからもういいだろーがー!ちくしょうめ」
これは八つ当たりに近い。
で。
補填されてしかるべき、てのは具体的には
「一生分損したんだから、この先は免除されていいよね!!と〜ぜん!!!(畳みかけ)」
みたい感じ。
更には
「他の人よりちょっとサービスされていいよね!」
「優遇されてもいいよね!」
悪い時は
「多少奪ってもいいよねーーー!!!」
てのもある。あった。勿論言語化はされてない
10代からある。
ずっと水面下で怒ってる。
そしてそれが長じて
「もう我慢なんかしなくていーよね?」
ってのもある。
不健康な我慢じゃなくて一般的な“我慢”ができなくなる。「これ以上奪われるなんて」って嘆きが出てくるから。
我慢させられるとすごく「抑えつけられてる感」がして被害意識が爆発しそうになるのだ。
多くの人がそんなに気にならないような我慢でも。
そうその心は“嘆き”なのだ。
“怒り”が勿論あって、それを更に掘ると“嘆き”がある。更に掘ると“悲しみ”がある?かもだけど。
“怒り”については小6〜中学生くらいの時にやり切った感。
だから今あんまり怒りは出そうとしても出てこないのか?その代わりに嘆きは出てくる。嘆き混じりの怒りとか怒り混じりの嘆きもあるけどさ。
無理して怒んなくてもいーんかもな?
そもそも怒りは二時的感情とはよく言われてるし。その奥の一次感情は悲しみや不安だとかって。
なかなか自分「発散」苦手だなーと思ってたけど、発散は「怒り」だけじゃないからいーのか?て気もしてきてる。怒りは思春期に随分やったんだなあ。知らずにクソノートもしてたんかも、日記で。笑
とにかく、損を取り返せないってことを理解できてない段階なんだなあ。って実感して、
今の課題は「取り返せない」を理解し切って納得してムキになるのを終わらせること。って痛感した。
ムダ韻
「損したこと」を知る、は小6でクリアした。
が、その後が長かった。実に30年以上。
11歳で損したことを知った後「それに怒ってる期間」が30年。バランス悪くね?
「『損した』を知る」
は早い段階でできたのに、
「『それは取り返せない』を知る」
までずーーーーっと辿り着けないでいるんだなー。
へんな状態で止まってたなー。
(。。結局、怒りきってるのか現役で怒ってんのかよくわかんない内容になったなー。まあいいか、そこは今後に期待!)
?
関連自分記事⬇︎具体的な話。
(だいぶ前からけっこういい線行ってたんだけどな〜🙄そっから先行けなかった)
今回参考にした記事、の一部。
これ貼った後も「損を ナリ心理学」のワードでいっぱい検索して読んで、貼りきらなくて(てより読むので忙しく整理までできてなく)とりあえずこんだけ⬇︎