親の愛は得られないと諦めることでやっとゼロ地点に立てる。


は?

老親にそんなん求めてないし、

いま大人だしさ。


いや相手は親とは限らない。

むしろ大人になってから親そのものにそういうのを求めてる人は少数派だろうと思う。  


じゃなくて

大人同士の人間関係のこと!


いや、そんな親の子への愛情みたい濃いの、求めてないし!

年齢だってそんな離れてない人が多いし。


いやわかりやすいモロコピー愛ではないよ。

“的なもの”。


恋愛が一番露骨なやつだけど。

全肯定を求めたり、全てを受け入れて貰いたいと思ったりね。

自立した大人と大人の関係じゃない。 

そう依存ってのは、相手に(幼な子にとっての)親の愛を求めるもの。 

だから重いんだ。



恋愛以外の関係性もそう。

職場や学校、サークルその他。


「受け入れられたい」とか

「認められたい」とか

「仲間になりたい」とか。


“承認欲求”なんかまさに、親から得られなかったものの補完。



あと個人的には、性善説も、機能不全家庭育ちが唱えるそれはそういう場合もあるかと思ってる。

世の中の人々はいい人だ、とか、みんないい人とか。


性善説が嘘とは思わないけど。 

美化しちゃうような類のやつはそれ入ってるだろうな。

※私は嫌いじゃないけど性善説ニヤリひらめき


機能不全家庭育ちは下手すると親の愛情ほどのデカすぎるものを(でかすぎる見返りを)期待しちまうこともある。


全員じゃないだろうが私はそうだった。

(希望で過去形にした)


求める見返りでかすぎるん。

に、なっちゃうん、気付くと。


職場他コミュニティで


すぐ怒る人とか、

すぐ疑心暗鬼になる人、

ワガママな人、

そして

かまってちゃんおばけくん


って、そういう人多いんじゃないかなって思う。


自分最優先の、

人類愛だって

友情だって

パートナーシップだって

チームだって


十分ありうるのに、


そうされると裏切られた、みたいなね。

見捨てられたような気分になる。勝手に。


それで、あれだよ


気軽に人を信じちゃダメだ。


って思うわけ。

皮肉なことに、疑心暗鬼でいた方が社会性は高まるんさ、実際。

周りともうまく行く。一定以上の親しさにはなれないし、本人の満足感もないけど。


下手に心理界の言う

「もっと人を信用してもいい」

「疑心暗鬼になる必要ない」

とかとかを間に受けるのも危険なんだよなー。

依存になっちまう。



そういう意味で「親の愛を諦める」ことはもんのすごく大事だなと思ったのだ。


それでやっと、ゼロ地点に立てるんだ。

マイナスが精算されるんだ。


他者への依存がなくなるんだ。



依存・依存心の根本は親の愛情を得たい気持ち。


しかし。


親の愛。

それはもう永遠に一生、得られない。

それは紛うことなき事実。

それがリアルな現実。


大人だからだ。


大人になってからの人間関係は、子供の時の養育者との関係と同じ種類のものは、ない。


必ず、ない。

決して、ない。

根本的に違うのだ。



子供と養育者の関係。

それを再現することは無理なんだ。

その関係は、その名の通り子供と、養育者の大人との間でしか成り立たないからだ。


だから大人って時点でムリ


だから諦めなくちゃいけない。




まあ恋愛なら多少は可能かも知れないが。


少しなら残ってる子供の部分(ちょっとばかりの子供時代の思い残し)を受け止めあって、ある程度余裕を持ってやるヨシヨシプレイとかはまあ安全な範囲だろうけど、


自分を丸ごと全部受け入れて欲しいとか、ヤンデレとか、そういうのは親子再現欲じゃないかな。


それこそB'zの「LOVE Phantom」みたいな。。

⬇︎カッコ内はツッコミです


君を探し彷徨うMy Soul

(おまえの魂座り悪そうだもんね)


僕を全部あげよう

(全部もらってもなあ)


万能の君の幻を僕の中に作ってた

(お前と同じ人間さ、万能を押し付けるなよ)


ちょうど風のない海のように

退屈な日々だった

思えば花も色褪せていたよ

君に会うまでは

(恋愛で空虚ごまかすあるあるね)五七五


濡れる体溶けてしまうほど

昼も夜も離れずに

(そんなに密着してんの乳児と養育者くらいだよ)


君の背中に滑り落ちよう

〈そして私は潰される〉

(これ、全て)



本来乳児幼児が養育者に求めるものを恋愛に求めちゃう、それメンヘラあるある!


恋愛に限らずだけど。


私は他者への不満を感じる時、そういうお門違いな期待してそれが満たされないパターン多めだった。

自分を全面肯定してほしい、

自分を認めて欲しい、

仲間に入れて欲しい、

そーゆうの。


人を肯定するしないなんて自由。

認めない権利、ある。

なのにその権利を認められない。


自分は認めて欲しいのに!!

おいおいっ

大笑い照れニコニコよだれ


だから初めから警戒して臨むんだけど。

期待しないように。

必要以上にドライを心がけ。


でも心の奥底では上のような期待。あほ。




その夢を見てる限り未来は来ない。


幻想を追ってる限りスタート地点にも立てない。


自分の事も他人の事もきちんと見えない。


誰とも関係を築けない真顔⚡️


それ。




子供の頃の得るはずだった、

そこにあって然るべき親の愛情とかってものを

取り返すことは

で・き・ま・せ・ん凝視あんぐり驚き


ムリ。

不可能。諦めろ。


そら理不尽だ。

もらってしかるべきものを貰わなかったんだ。


だけど無いものを掴もうとして悪足掻きしても非合理的だ。

無いんだから。

事実は変えられないんだから。



※その際、嘆き、怒り、悲しみやらを感じることはとても健全。十二分に嘆ききることが必要。嘆き足りなければ、未練があればまだ保留がいいって思った。自分に十分感情を感じ切る猶予を与えることは必要って思った。


(↑これが“グリーフワーク”ってやつ?。アダルトチルドレン回復ワークブックで読んでそしてやってみたのは15年以上前だけど、全然やりきれてなかったやなー)



諦める。


切り替える。

そして


立ち上がってそこから動け。


やっとそこから出られるんだな。


潔く諦めて、

何十年もいたその場所から

歩き出せ。


現実を認めて、やっとゼロ地点に立てる。


それは


やっと人生を始めることができる。

ってことだいっっ

て病んでぃっっ


あ変換ミスめ



正) 

てやんでぃっっオエー