このブログを開いて下さりありがとうございます。


2020年、母33歳で乳がんになりました。

全摘手術後、ホルモン療法で

治療中です。

当時、娘は3歳。


AYA世代でがんになり、

見える世界は変わってしまったけれど、

それでも日常の中の

つつましくも彩りある出来事に

気づけるように。


日々のこと、子育てのことを

残しておきたいと思って書いています。

お気軽に繋がって頂けたら嬉しいです。





娘と一緒にお風呂に入っていた時のある日のこと。

(乳がん全摘手術から1年経過後)


にっこり「これ、ペン?」

胸の傷を触りながら、娘はそう言った。


「ペン(で描いたん)じゃないよ」


「お医者さんが使えるほそーい針と糸で、

縫ってあるってことだよ」


「おっぱいにできたわるい病気のところだけを

取ることはできなかったから、おっぱいごと切って取ったんだよ」


「それで、開いたままだと、血が出ちゃうから閉じてくれたって、そんな感じかな」


「麻酔っていう眠くなるお薬で、

痛くないようにやってくれたんだ」


そんな話をしました。


5歳になった娘はやっぱり、

ここがないじゃん?と乳頭がないことが未だに

気になるみたいなんですよね。

そんなことを挟みつつ、


にっこり「こっちもなくなったら?」

(健側の胸もなくなったらどうなる?という意味)


「両方ぺっちゃんこになるってことだよぉぉ」

とおどけて答えました。

もうこのままでいたい…


今度は私から質問。


「(娘ちゃんは)、ここ見るとどんな気持ちになるの?」


しばらく考えて沈黙になったので、


「痛そうだな?って思うのかな?」

とだけ言っちゃいました。

待てなかった…。

すると続けて、娘は、

にっこり「かわいそうだなぁって」

と話してくれました。


そうなんだね…



心配してくれて、ありがとう。

でももう痛くはなくなってきたんだよ、

と伝えましたウインク



これまでは、
「手術」「麻酔」とか具体的な言葉で
伝えるのはあえて避けていました。
知らない言葉でいらない不安を掻き立てたくなかったから…。

だけど、
そろそろ理解も捉え方も少し変わってきた今、
事実は事実で、伝えてみることにしました。
術後もぱっと見変わらずに
母として動けているのが大きい。

また1つ進めた(成長できた)気がします。

こんな会話をしながら、
再建の選択肢はどう考えようか。
いつか「癌」ということを伝えるのはいつだろうか。
そんなことを考えました。


5歳になった娘と久々に乳がんのことを会話したら
傷は『可哀想』と返ってきて、
それはきっと、自分が転んでケガをしたときに、
痛いと思う気持ちや周りの人がケガして、
痛くて可哀想、大丈夫かなと思うのと同じで。
母の胸の傷は、
転んだ時よりはだいぶ大きな傷だけどね。

だけど…

いつでもきっとシンプルに捉えてくれるのかも。
伝える事実だって1つだけだし、
そこに相手を想う気持ちがあれば
きっと伝わるべきことは伝わるはず。


いい機会なので、
娘に病気や入院のことを初めて伝えた日から
少し娘の目線からみた母の乳がん全摘手術の記事を
まとめてみました。


①初めて母の病気について伝えた日






②3歳の娘への癌の伝え方と全摘手術の話





③全摘手術を終えて初めて娘が傷をみた日




④全摘手術からしばらく経ってから




⑤娘の思う乳がん全摘手術の疑問は?




そして…
少しホッとしたことが。
②の記事で、混乱の中子どもへの伝え方で悩んだ部分。
癌を、バイ菌とは区別した
病気の元と例えました。
最近、とあるブロガーさんの記事で、
看護師さんとまだまだ小さいお子さんへの伝え方について聞いた時に、
バイ菌は日常的に例えとして使うので、
癌=バイ菌は避けた方が良いとアドバイスをもらったというエピソードを知ることができました。

私の病院は、がんセンターとか
癌治療に特化した病院ではないので、
そういったサポートが整っている病院とは言えないので、自分の説明はこれで良かったのか、
気になってたんです。
間接的にではあったけれど、
あの時、悩んで考えて自分なりに伝えたことが
間違いではなかった、ということが知れて、
ちょっと安心することができました




小さな子どもを抱えて、癌になる。

自分のことより子どもの心の負担を考える…
少し先に経験した、こんな親子のやりとりもあります。たった一例に過ぎませんが、
必要な方に届きますように…