今回は以前お話した太陽の塔に関係する場所の思い出についてお話したい。
以前のお話で太陽の塔をぐるりとめぐっていた大屋根が大阪万博(EXPO70)開催時にあったことをお伝えしました。
その大屋根(幅(東西)108m、長さ(南北)290m)の下、太陽の塔の後ろ側にお祭り広場がありました。
まずはお祭り広場に通ずる通路からご紹介したい。
大阪万博(EXPO70)を訪れた人の多くが入場していた中央口を抜けるとすぐに太陽の塔の胴の部分とお祭り広場へ通ずるエスカレーターと階段が見えてきます。
当時の画像がこちらである。
(こちらの画像は万博記念公園にあるEXPO70パビリオン一階に展示されている画像を当館のご好意で撮影させていただいた)
「お祭り広場」はこの階段(エスカレーター)を登った先の太陽の塔の後ろ側に広がっています。
同じ方向から見た現在の画像がこちらです。
前回のブログでも申し上げたが、大阪万博(EXPO70)当時を知る私には,
今の太陽の塔の姿はなんともさびしいものがあります。
話を戻して。
私たちはいつも中央口から入場していたので、万博入場時は毎回この階段通路を最初に目にしていたなと懐かしく思いました。
最初の画像を見られた皆様には大阪万博(EXPO70)の盛況ぶりが感じられたと思います。
しかしながら私の個人的な感想では、大阪万博(EXPO70)開催時はこの画像よりもっと人がたくさんいて、活気に満ち溢れていたな・・・と思ってしまう、それほど圧倒的な人、人、人、だったように記憶している。
最初の画像を見て思い出すのは、会場に入場してこの階段通路を目にすると、驚きや期待に満ちた人々の活気に満ちた声が大屋根に反響し、どよめきのような音が辺りを包んでいたことです。
私は大阪万博(EXPO70)以降これほど活気に満ちたどよめきにも似た人々の声を聞いた記憶がありませんでした。
大阪万博(EXPO70)以降の日本は驚きや期待を徐々に失い、なにかしらけた雰囲気に包まれるようになってきました。
その後、この大阪万博(EXPO70)で聞いたどよめきに似た人々のざわめきを聞くことになるのは大阪万博(EXPO70)から約30年後に仕事で訪れたタイ王国のバンコックの街中であった。
そう、東南アジアの国々はいままさに、かつての日本が謳歌した経済発展の真っ只中にいるのだとそのとき感じたです。
日本のかつての栄華海越えて
拡がり見せる亜細亜の国へ
またいつものように話がそれて長くなりそうです。
まいどまいど申し訳ありませんm(_ _ )m今回はこのあたりにして、次回こそ本題であるお祭り広場についてお話したい。
余談ですが、この階段通路のことを四十数年たったいまでもよく憶えているかというと、階段通路が見える大阪万博(EXPO70)の中央口付近に迷子センターがあり、私も例に漏れず迷子になり、よくお世話になっていた。
そして、親が迎えに来るのを今か今かと待っているとき、この階段通路から来るんじゃないかとをずーっと眺め続けていたからです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。