太陽の塔の今昔(1) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

前回までは明治の話をさせていただいたが、今回は時代が下って昭和のお話をさせていただきたい。


先日、何気なく訪れた大阪の万博記念公園で今年が大阪万博(EXPO70)開催から45周年であることを知った。


大阪万博(EXPO70)が開催された年は私が小学校に入学して間もない頃であった。


教育熱心だった母親が大阪万博(EXPO70)を見ることは私の将来のためになると、開催期間中は平日でも学校が終わってから万博の会場に向かい、日がとっぷり暮れるまで会場にいたことをいまでも覚えている。


夏に開催されていたので日がとっぷり暮れた時間というと夜の8時頃まで会場にいたことになる。


普段はこんな時間まで出歩くことなど、親同伴であっても決して許してはくれなかった母親がここまでしていたことを思うと、その思い入れがどれほどのものであったか、いま気づかされた次第である。


さて今回は大阪万博(EXPO70)の展示施設で最も印象深い太陽の塔の今昔についてお話させていただきたい。


こちらが現在の太陽の塔の姿である。


(正面から見た姿)


(後ろから見た姿)



撮影年が7年前なのはお許し願いたい。今現在も変わらぬ姿であることをお約束する。


周りに何も無いところにドーンと立っている姿は壮観である。


多くの人が太陽の塔をバックにあの姿(両手を広げたポーズ)をまねて、スマホやデジカメで熱心に撮影していた。


ただ、大阪万博(EXPO70)当時を知る私には太陽の塔が寂しげにポツンと立っているように見えて仕方がない。


万博の巨人は一人立ち尽くす

かつての仲間を失ういまも


私がそう見える理由についてのお話はまた次回にゆずりたい。