T定規(3) | 蔵六の雑記帳

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過去にそしていま感じたまま、思うままを記していきたい思っています。
面白くない話かもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

だか図面を書くにあたって私には少々問題があった・・・・・・

 

前回はここで終わってしまった

 

T定規(2)

 

今回はその続きでをお話したい。

 

問題とは、子供のころから私は絵が下手で中学の美術の通知表は10点満点で4点を上回ることは一度もなく、美術の時間(絵だけにとどまらず、図画、工作)は苦痛でしかなかった。

 

 

そんな私なので学生の時も社会人になっても、周りがすいすい図面を書き進めていく中、一人だけ何度も書いては消してを繰り返しながら、人の二倍も三倍も時間を使って図面を書いていた。

 

それでも、不思議と美術の時間にフリーハンドで絵を描くときと違って、各種定規類を使って図面を書くのは苦にはならなかった。

 

自分で言うのもなんだが、なんとか自分で納得する絵というか図面に仕上げることができたからである。

 

もちろん、上手な人の足元にも及ばないが。

 

話はもとに戻ってしまうが、そもそも私が絵が下手なのは、フリーハンドで書いていくと、目で見たものをそのまま書き写しているつもりが、書いているうちにその大小関係や位置関係がずれてきて、何を書いているのか分からないほどひどい絵になってしまう。

 

それで自分自身に嫌気がさして集中できなくなってしまう。

 

それでもなんとか修正しようとするが、一度気持ちが切れるとどうにもならず、結局は被写体とは似ても似つかぬ絵になってしまうのである。

 

そして、書いた後に「なんでこんなに下手なんやろ」と自分に劣等感と絶望感を抱いてしまう。


私とは違い、家内は苦もなく思い通りに絵が書ける人なので、私が言うこの話が理解できないようで、私の目の前ですらすらと被写体を書き写して、「こんな簡単なことなんでできへんの」とこともなげに言われる。


これをお読みの絵の上手な読者の方も、こいつ何言ってるんや、とお思いの方おられるかと思います。

 

ではなぜ図面を書くことは苦痛ではなく、なおかつそれなりに見れるものになるかいま一度考えてみた。

 

いままで、そんなことは考えもしなかったのだが、少し自分を見つめなおす余裕ができたのだろうか。


それはさておき、図面を書くときはフリーハンドで書くことまずなく、9割9分は定規を使い、そして決められた寸法で線を書いていく。


寸法どおり線を引いても、その人の感覚(力の入れようで微妙に変わる線の強弱、濃淡)で見た目がまったく同じになるとは限らない。

 

しかし、自分の中で寸法どおり書けば、どんな人が書いても同じものになるはず、という自信というか、信念があると不思議と集中して書けるようになり、その結果なんとか人並みの図面になるのかな-などと思っている。

 

一時期は図や絵を描くのに才能のない自分を恨んだりしたが、それでも諦めずやっていれば何とか人並みにできるようになったという自信はその後の人生の収穫やったかな-といまは感謝している。

 

T定規を持った人とすれ違った後、こんなことを考えながら会社への道を急いだのだった。

 

才能の無い身であれどあきらめず

続けてみれば道は開ける

 

3回にわたる長いお話にお付き合いいただきありがとうございました。