言葉と音で綴る 素敵LIFEダイアリー from 神戸 -10ページ目

言葉と音で綴る 素敵LIFEダイアリー from 神戸

言葉や音に思いをのせて。
心を、毎日を豊かに。

これまでピアノから学んできたことや、日々の気づきなどを綴っています。

訳あって、

今年の1月下旬から3月上旬の約2ヶ月、

中学数学の勉強をしていました。


数学といえば、

中学・高校時代の大の苦手教科で、

中高一貫校に通っていたため、

高校受験もなく、

勉強をしなければならない必然性が

なかったこともあり、

定期テスト対策以外で

自主的かつ積極的に自ら勉強した記憶は

ほぼ無く、

日々の宿題や夏休みの宿題も

苦痛以外なにものでもありませんでした。



今回は、中学数学全般ということだったので、

とりあえず高校受験対策の問題集を購入し、

アタマからさらっていくことにしました。


が、数学に関する知識は、

もはや私の頭の中には残っておらず、

残っていたとしても

間違った内容で覚えていたり、

勘違いしていたりで、

あまりの不出来に愕然としました。


これは酷い、酷すぎるぞ!

ヤバい!

どうする?


2月上旬、

なかなか勉強が前進しないことに

絶望していたとき、

偶然You Tubeで見つけた動画に

救われることになりました。


家庭教師のトライが制作された

「映像授業のTry  IT」

これはすごい!!

なんというクオリティの高さ!

これが無料で観れるなんて、

すごい、すごすぎる!

なんていうサービス精神!

ほぼ完璧に数学を忘れている私にも

すごく分かりやすい!!


そこで、残り1ヶ月という

タイムリミットもあったため、

今から中学3年分の数学を

全部をやり直すのは厳しいと考え、

関数や三角比などの図形系は捨て、

計算系に的を絞ることにし、

あとは、

当たったらラッキー、

分かったらラッキー、

ということに加え、

もう1つの教科、国語で点数を稼ぐ作戦で

進めることにしました。


式と計算

平方根

因数分解

一次方程式

連立方程式

二次方程式


数学の知識を一切持っていないという前提で

ゼロから学び直すべく、

中学1年生から3年生までの

これらに当てはまる動画を順番に

全部視聴することにしました。


分かりやすく、

何度も何度も繰り返し説明してくれて、

やさしく励ましてくれる

画面の向こうにおられる先生のおかげで、

2月末頃にひととおり視聴を終えました。


その間、

「こんなん習ったっけ?」といったことが

結構多く、

いかに数学嫌いだったか、

いかに自ら勉強していなかったかを

いやというほど思い知りました。


動画の視聴を終えたあとは、

再び高校受験対策の問題集に戻り、

動画のおかげで当初より

精度が上がったように感じられました。



今回、中学数学の学び直しをして、

どうして中学・高校時代、

数学が「苦手」だったのかの理由が

分かりました。


ズバリ、

私の性格に要因があったようです。


私は元々、

「なんとなくこんな感じ」といった具合に

物事を感覚で捉える要素が強い反面、

理論などの理屈を

しっかり理解できなかったり、

腑に落ちなかったりすると、

「どうして?そうなるの?」と

追求する面もあり、

それが分からないままであったり、

腑に落ちないままになると、

そこから先に進めないということが

ありました。


私にとっての数学が

まさにこれらのオンパレードで、

「え?この数字、どこから出てきたの?」

「え?どうしたら、

この状態からこの状態になったの?」

といった具合に、

いちいち引っかかっていました。


早い話、

面倒くさい性格だった!

ということでしょうか。


動画で習ったとおりに、あるいは

問題集に書かれているとおりに

問題を解いたら、

確かに答えは合っている。


納得できなくても、

腑に落ちていなくても、


事実、言われたとおりに、

その「枠内」で決められているルールに

素直に従って解いたら、

正しい解答を導き出すことができている。


深いことは考えずに、

「こういうものなのだ」という

寛大な「心の器」でもって、

決められた「枠」の中で考えるということが

できていたら、

学生時代も今も

数学が「苦手教科」にはならなかったのかも

知れません。


校則といった「枠」は守っていたのに、

数学の「枠」には、はまれなかった。


正しくは、中学・高校時代の私は、

数学が「苦手」だったのではなく、

そういうものだと受け入れられる器を

持っていなかったのだと思います。


つべこべ言わず、素直に従う。

数学克服の、

割と大事なポイントかも知れません。



とはいえ、

今は数学から離れることができ、

ホッとしております。

ギュッと、
手に握り締めてでも、
守ろうとしているモノ。

それは、
本当に大切なモノだろうか?
本当に必要なモノだろうか?

あるとき、

「もういいや!」といった具合に、
手の中でギュッと握り締めていたモノを
手放そうと決めて、
力を込めていたその手を緩め、
広げた瞬間、

それまで握り締めていたモノが
手から離れていったそのときから、

フッと、
心が、そして体からも力が抜けたことが
自覚できるほど、
驚くほどラクになった。


手からこぼれ落ちそうになればなるほど、
握り締めるその手には
ますます力が込もる。

失うことを恐れるからだ。

でも、力を込めれば込めるほど、
その失いたくない、
守ろうとしているモノは、

己の手の力によって、
ギュッと握り潰してしまうこともあるし、
ますます外側から奪われようと
してしまうこともあるなど、
悪循環を辿るばかりになることもある。

でも、それは、案外、
大切にしたいモノというよりは、
何らかの理由によって
執着しているモノなのかも知れない。

失ってしまった先、
どうなるか分からないから
手放せないとか、

失ってしまったら、もう二度と
取り戻せなくなるのではないかと思い、
それが怖くて手放せないとか、

失った後、
自分はどうなるのだろうかという
恐怖から、

不必要なまでに、
ギュッと手で握り締めてしまうもの
なのかも知れない。

そんなときは、
決まって心にも体にも
無意識に力が入ってしまって、
知らず知らず負担がかかり、
精神的にも身体的にも
辛い状態になってしまっていることも多い。

そして、
己を客観的に俯瞰して見ることも
難しくなり、
泥沼にはまりがちである。

でも、

その手に握り締めているモノ、
本当に必要?本当に大切なのかと
問い直して、
いや、そうじゃないと気づいた瞬間から
それまで頑なに力を込めていた手が
少しずつ緩み始める。

そして、

手放すと決意したそのときから、
自ら己を縛り付けていたものから
開放され、
ようやく心も体も軽くなって、
「自由」を手に入れるのだ。

もしかすると、
ふわっと手を広げ、
心も体も力を抜いているときこそ、

生まれ持ってきたものや魅力など、
自身が持っている良きものを、
一番良いカタチで発揮できるものなのかも
知れない。


3月3日は、桃の節句。
最近の楽しみは、
近所のスーパーで買ってきて、
玄関に飾った桃の花を、
毎日、観察することです。

スーパーで買ったときは、
ギュッと閉じて硬かった蕾が、
少しずつ花びらを広げ、
開花しようとしています。

今か今かと、
花を広げている姿を見たくて、
玄関を通るたびに見てしまう
今日この頃です。

2020年も残すところ、
あと数時間となりました。

大晦日恒例、
NHKのクラシック特集の、
大好きなベートーヴェン三昧の中、
この記事を書いています。


2020年といえば、
日本で東京五輪が開催され、
ミレニアムな、華やかな1年に
なるはずだったところが、
年明けから得体の知れない
新型コロナウイルスによる感染症に見舞われ、
世の中は激動の1年となってしまいました。

それでも、時間は刻一刻と
時を刻み続けています。
歩みを止めることはできません。

これまでと同じような生活は望めなくても、
今、与えられている環境・状況下で、
自分にできることは何だろうか。

管理、制限されている中で、
前に進んでいくためにどうするか。
後ろ向きなことばかり考えるのではなく、
いかに喜びややりがいを見い出すか。

公私ともに上記のようなことを
常に考えていたように思います。


どう在りたいのか。
そのために自分はどうするか。

自分の人生は、
紛れもなく自分のものであり、
そして、大切な人のものでもあること。

自分の体、命を守れるのは
自分自身なのだと。
(さすがに医療までは自分で自分に
施すことはできませんが。。)

○○がこうしてくれない、ではなく、
私はこう在りたい、だから、こうするんだ
という意志のもと、
主体的な姿勢で
行動と言葉を一致させていくことが、
大切ではないかと、
今年は特に感じました。


2020年の目標は何だったのだろうかと、
このブログや手帳、ノートを
見返してみたものの、
どこにも記載がなく、
分からず仕舞いですが、

否応がなく、
自分の内側に
真っ向から向き合う1年になったと
言うに尽きると思います。


ピアノはといいますと、
このコロナ禍の中、
今年は1度も師匠に見ていただくことは
ありませんでした。

もしかしたらリモートで
レッスンをされていたかも知れませんが、
一人でピアノに向き合う道を選択しました。

ステイホームで時間ができた分、
音楽書や楽譜を読ん込んだり、
基礎練習のバリエーションを増やして
改めてじっくりと指づくりに取り組んだり、
練習曲も、
過去に勉強したものや
新しくチャレンジし始めた
練習曲もあります。

7月に開催予定だった演奏会をめざして
シューマンのピアノソナタ第1番を
準備していましたが、コロナで延期となり、
また次の7月まで同じ曲を練習するとなると、
さすがに2年はキツイぞということで、

せっかくのベートーヴェンの記念年ですし、
年明けから練習を始めていた
ピアノソナタ第31番と並行して、
ピアノソナタ第23番に取り組むことを決め、
現在、鋭意猛練習中です。

そういった意味で、
今年はピアノに向かう時間が例年より取れて、
比較的いろいろ取り組めたのではないかと
思っています。

そして、ピアノを通して気づけた
大切なこととして、

一人でピアノに向き合う道を選びましたが、
練習中、私の耳のそばからは、
師匠や恩師の声が
聞こえてくるような気がしています。

特に学生時代、
みっちりしごいていただいた(笑)
ツェルニー50番練習曲や
ショパンエチュードを弾いているときなど、
その頃のレッスンのときの先生の言葉が
蘇ってきます。

100%モノにできているかは
別として、

私の中には、
師匠や恩師からいただいた数々の教えが
確実に息づいているということ、

直接お会いすることが叶わなくとも、
体の中に記憶している数々の教えを通して
師匠や恩師の温かなお心を
感じている気がするのです。

新しく挑戦を始めた練習曲も
以前、師匠から勧めていただいた曲集です。

いかに、お二人の存在が
私には欠かせない、
かけがえのない存在であるか。

そして、
お二人からいただいてきた
数々の教えを、
何らかの形で伝えていけないか、
といったことを考えています。
これは、来年の目標にしたいと思います。


もう一つ、コロナ禍の中で
明らかになったこととして、

この先も大切にしていきたいものは何か、
に気づけたことも
大きな収穫だったと思います。

そのような訳で、

2020年は目に見えるカタチで
何かを成し遂げられたというよりも、
目に見えないもの、
さまざまな試練を経て
精神面で得るものがあった
ということで、

2021年は、
師匠や恩師からいただいてきた
数々の教えを何らかの形にして
伝えていくこと。

かつ、私のこれまでの経験を活かして
こちらも何らか形で
どなたかのお役に立てるよう
形にしていくこと。

あと、この1年でなんだか急に
エイジングが進んだ気がするので
美容強化年間にしたいと思います。

今年も、数えるほどしか更新していない
ブログではございますが、

いつもブログに訪れて
お読みくださっている方、
何らかのルートでブログを見つけて
くださってお読みくださった方、
いつもありがとうございます。

1個人の記事ながら、
こうして、お読みくださる方が
いらっしゃること、
ありがたく存じております。

それでは長くなりましたが、
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。


Erika
久々に、髪を切りに行きました。

いつもお世話になっている美容室は
神戸の中心地にあります。

今もステイホームを中心とした生活を
送っているため、
神戸の中心地である
三宮、元町に行く回数は
グッと少なくなりました。

そのため、
久々に街中を歩きながら、
いかに地元の土地が
「ホームグランド」であるかを
思い知りました。

そう、なんというのか、
街中を歩いていると、背筋が伸びる。

出勤時や近所のスーパーに行くときも、
メイクして、
髪もとかしていくけれど、

言い方に語弊があるかも知れないけれど、
さほど
そんなに「必死」にはしていない、
「していれば良いか」という
気持ちのレベルでしているな、と。

服装も、
これにはこれ、これにはこれと、
パターンが決まっていて、
悩むこともない。

それはそれで、
実用的で効率は良いかも知れないけれど、

やっぱり、
そこは「緊張感」の度合いが低いというか、
あんまり、いや、ほとんど
「気合い」は入っていない。

「今日、三宮に行くぞ!」と思ったら、

何を着ていこうかなと、
いつも以上に考えたし、
メイクも
いつもよりちょっと丁寧にしようと思ったし、
髪はまあ、切るからいつもの感じでいいか、
といった具合で、

やっぱり、ちょっとずつ違っていて、
その「ちょっと」が重なって、
「大きな違い」に変わっていく。

何がこんなに違うのかといえば、
行き交う人の多さ、視線の多さ。

自意識過剰かも知れないけれど、
否が応でも自分の姿がさらされる場の多さ。
鏡、窓ガラス。

意識が抜けているときにふと、
自分の姿が映し出された窓ガラスを見て
愕然とする。

こんなに姿勢悪かったっけ。

いかに家でのびのびしているか
(し過ぎている?それはそれで
良いことではあるけど笑)、

そして、

いつも決まった場所、
コンフォートゾーンだけで過ごしていると
どうなっていくか。

「見た目」だけでなく、
思考や意識、他にもいろいろと
影響を受けているのだろう。

いろいろな面において、
かつ、良い意味で、
「緊張感」と「危機感」を得ることが
できました。

元々勤務地が三宮だったり元町だったり、
人の行き交いが多い場所だとしたら、
「いつものわたし」のレベルは、
きっと今より高いレベルの状態に
あるのではなかろうかと。

「レベル」というと、
機種変更をして新しくなったスマホの
動画撮影機能を活かして、
ピアノの練習動画を撮って、
ひとり演奏チェック大会をする機会が
増えたのですが、

先日、絶賛練習中の
ベートーヴェンの熱情を
動画撮影してみたところ、
ほんと、演奏が酷すぎて、
愕然としました。。
これは酷い、酷すぎる・・・!!と、
かなり打ちのめされましたが、
現実を直視し、ありのままを受け入れ、
どうしたら良いのかを冷静に考えて
実行あるのみ・・・と、
ゼロからやり直しています。

愕然とすること、
良い緊張感や危機感を持つ機会をつくるって、
大切だなと思いました。

これまた私事ですが、
このほどスマホを機種変更しました。

つい先週まで使っていたスマホは、
平成28年8月に携帯電話会社を
乗り換えた際に購入したスマホでした。

平成28年は今振り返ってみますと、
わたしにとって、試練の連続の年でした。

この年に携帯電話会社を変え、
スマホを買い替えたのは、

現状から良い状態に打破するための
一歩を踏み出すきっかけとなるよう、
いわば自分自身への決意表明の
意味合いがありました。

今回はというと、

携帯電話会社は昨年、
平成28年に乗り換えた会社から
格安スマホの会社に乗り換え、
機種はそのままだったのですが、

最近、
アメブロをスムーズに見れなかったり、
何もしていないはずなのに、
LINEが初期設定に戻ってしまって
「LINEへようこそ」と表示が出て、
これまでのトーク履歴が
全部消えてしまったり、
時計の時間表示が固まってしまって、
アラームが機能しなくなったりと、

これはまずいと思われることが続いたため、
これは買い替えの合図なのかなと判断し、
機種変更することにしました。

不思議なことに、
機種変更の申し込み後、
時計の表示とアラームは直ったのですけど、

でも、これからの新しい時代の
波に乗っていくには、
新しいスマホにした方がよいのかなと
思いました。

格安スマホですので、
データの移し替えは自分でしなければならず、
新しい機種が届いた翌日に丸1日をかけて、
データの移行を行いました。
APNの設定は予め携帯電話会社の方で
してくださった状態でしたので
助かりました。

アドレスに電話番号、
メール、
写真、動画、
LINE、アメブロなどのアプリ関係、

ついでに、
それぞれのIDやパスワードも
ひと目で分かるよう、
リスト化しました。

データを移し替え、
SIMカードをセットして無事に開通。

新しいスマホはといいますと、
前のスマホの本体には動画撮影の機能がなく、
アプリをダウンロードしなければ
ならなかったのですけど、
そのアプリの使い方もイマイチ分からなくて
結局この4年ほど、
スマホで動画を撮ることがなかったのですが、

新しい機種には動画機能がついていたので、
4年ぶりに、
試しにピアノの演奏動画を
撮ってみましたところ、

撮影した動画とは別に、
AIが自動的に編集をして、
デザインや効果音を入れた動画を
つくってくれていたのには驚きでした!
今のスマホって、ほんとスゴイですね!

スマホライフに幅が広がって、
また世界が広がっていくような、
そんな予感があります。


新しいスマホを通して、
いろいろな素敵なことがありますように。