手に握り締めているものは。 | 言葉と音で綴る 素敵LIFEダイアリー from 神戸

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言葉や音に思いをのせて。
心を、毎日を豊かに。

これまでピアノから学んできたことや、日々の気づきなどを綴っています。

ギュッと、
手に握り締めてでも、
守ろうとしているモノ。

それは、
本当に大切なモノだろうか?
本当に必要なモノだろうか?

あるとき、

「もういいや!」といった具合に、
手の中でギュッと握り締めていたモノを
手放そうと決めて、
力を込めていたその手を緩め、
広げた瞬間、

それまで握り締めていたモノが
手から離れていったそのときから、

フッと、
心が、そして体からも力が抜けたことが
自覚できるほど、
驚くほどラクになった。


手からこぼれ落ちそうになればなるほど、
握り締めるその手には
ますます力が込もる。

失うことを恐れるからだ。

でも、力を込めれば込めるほど、
その失いたくない、
守ろうとしているモノは、

己の手の力によって、
ギュッと握り潰してしまうこともあるし、
ますます外側から奪われようと
してしまうこともあるなど、
悪循環を辿るばかりになることもある。

でも、それは、案外、
大切にしたいモノというよりは、
何らかの理由によって
執着しているモノなのかも知れない。

失ってしまった先、
どうなるか分からないから
手放せないとか、

失ってしまったら、もう二度と
取り戻せなくなるのではないかと思い、
それが怖くて手放せないとか、

失った後、
自分はどうなるのだろうかという
恐怖から、

不必要なまでに、
ギュッと手で握り締めてしまうもの
なのかも知れない。

そんなときは、
決まって心にも体にも
無意識に力が入ってしまって、
知らず知らず負担がかかり、
精神的にも身体的にも
辛い状態になってしまっていることも多い。

そして、
己を客観的に俯瞰して見ることも
難しくなり、
泥沼にはまりがちである。

でも、

その手に握り締めているモノ、
本当に必要?本当に大切なのかと
問い直して、
いや、そうじゃないと気づいた瞬間から
それまで頑なに力を込めていた手が
少しずつ緩み始める。

そして、

手放すと決意したそのときから、
自ら己を縛り付けていたものから
開放され、
ようやく心も体も軽くなって、
「自由」を手に入れるのだ。

もしかすると、
ふわっと手を広げ、
心も体も力を抜いているときこそ、

生まれ持ってきたものや魅力など、
自身が持っている良きものを、
一番良いカタチで発揮できるものなのかも
知れない。


3月3日は、桃の節句。
最近の楽しみは、
近所のスーパーで買ってきて、
玄関に飾った桃の花を、
毎日、観察することです。

スーパーで買ったときは、
ギュッと閉じて硬かった蕾が、
少しずつ花びらを広げ、
開花しようとしています。

今か今かと、
花を広げている姿を見たくて、
玄関を通るたびに見てしまう
今日この頃です。