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大井神社大祭総合研究所

島田大祭? 帯祭? おヽいさんの祭ってなんだろう?
このブログは 『永く万人に愛され続ける大井神社大祭』を
目指して、知らない事を教え合う架空の研究所です。
ただ今、大祭に対する質問も受け付けております!(*´∀`*)

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鯨幕 とは

鯨幕(くじらまく:「蘇幕」とも書く)は、白黒の2色の縦縞で構成される幕である。通夜や葬式など一般的には弔事で使用される。名前は、鯨の体が黒と白の2色であること、あるいは黒い皮を剥いだ際の身が白いことに由来する。白装束にもあるように、日本では古来より弔事には白を用いたが、江戸時代に入り「弔事 = 黒」とする西欧の文化が流入するにつれて用いられるようになったとされている。本来は、弔事・慶事に関係なく使用され、皇室では慶事にも使用する。


Q

伊丹十三監督の「お葬式」という映画の中で、お葬式に黒白ではなくて「青(水色)と白」の幕が使われているシーンがあり驚いたのを覚えています。それまで私は単純に「葬式は黒白、祝い事は紅白」と思いこんでいたので。ところが昨年TVのニュースで園遊会でも青白の幕が使われているのを見てまた驚きました。「青白」の幕って凶事でも慶事でも使うものなのでしょうか。また、関東とか関西とか地域的なことはあまり関係ないのでしょうか。どなたか教えて下さいませ。

A

昨今は,慶事は紅白幕,凶事は黒白幕というように使い分けられていますが,昔は違いました。
あのような幕はそもそも,単に仕切りや目隠しに使われたものですから,青白幕が普通でした。色で慶事・凶事を表していなかったのです。慶事であっても黒白幕を使うことがあります。宮中もそうです。宮中や格式の高い神社では紅白幕を使いません。紅白幕は歴史が浅いため,古式に則った行事には登場しないからです。逆に黒というのは高貴な人を表すとされていましたから,慶事・凶事に拘わらず格式の高い行事にのみ黒白幕が使われます。こちら京都の神社では,結構,青白幕が使われています。
前述した島田市内の小学校での「島田大祭の学習:2/23」

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講義を受けた3年生の皆さんからお礼の手紙をいただきました。
たくさんの感謝の言葉をいただきました。

こちらこそ ありがとうございました。

大井神社大祭研究所では子供向け、大人向け、学校向けに

「島田大祭」

「島田の歴史」

「三味線の普及活動」 の講師を紹介する事ができます。

お問い合わせは手紙こちらへどうそクローバー
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『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。

これに古代、海を渡り日本へやって来た大集団が記録されている。

「弓月国(今のカザフスタンのあたり)の王が百二十七縣(19万人)の民を引き連れてやって来た」その集団は「秦氏:はたうじ」と記されている。ちなみに当時の日本の人口は600万人

記録では秦氏は仁徳天皇にシルクを献上したという。彼らは近畿を中心に全国へ勢力を広げていった。

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↑この秦氏の中心人物が「秦 河勝:はたのかわかつ」彼は聖徳太子のブレーンとして活躍した。

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また、富裕な商人でもあり朝廷の財政に関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったという説もある

彼が本拠地としたのが京都。今でも地名に名残りがある。「太秦:うずまさ」がそれ


「ウズ・マサ」とはヘブライ語で「光の賜物」という意味。

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むかしの話
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「金座」とは金貨↑を作った所


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「銀座」とは銀貨↑を作った所


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「銭座」とは銭貨↑を作った所 

かつて駿河に金座、銀座、銭座があった。
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↑小判荒造場(こばんあらづくりば)


「金座」があった所は今の「金座町」に


「銀座」があった所は今の「両替町」に

「銭座」があった所は今の北街道の「銭座町」に



家康の死後17年(1612)に駿府銀座の機能は江戸へ移転

既に江戸では江戸金座が両替町と呼ばれていたことから、この地を新両替町と称し金座は本両替町と称するようになった。

やがて「新両替町」の名に代わり「銀座」として親しまれるようになり、この地名が定着した。

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↑金座の跡地には日本銀行本店が出来る。
付近には今でも「金座通り」の名が残る。↓

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銀座四丁目交差点周辺は商業地として日本一地価の高い場所としても知られる。

日本最大の繁華街「銀座」のルーツが、うちらの「駿河」にあったのはちょっと鼻が高いですね(^ω^)


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「江戸しぐさ」

江戸しぐさ(えどしぐさ)は、日本における江戸町方の商人道、生活哲学・道

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たとえば‥

◇傘かしげ 雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと

◇肩引き 道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと

◇時泥棒 断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる

◇うかつあやまり たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。

◇七三の道 道の、真ん真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと

◇こぶし腰浮かせ 乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること 

◇逆らいしぐさ 「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。


東日本大震災で日本人のマナーが世界で賞賛されました。それにはこんな土台があったからなんですね。もっとも私たち日本人は特に特別な事をしている認識はないんですけどね。

こちらでは動画を使ってより詳しく解説しています。お時間のある時に( ^ω^)_どうぞ

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おなじみのミカンとか入れる籠(カゴ)
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日本の伝統模様「カゴメ模様」の手ぬぐい
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イスラエルの国旗
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イスラエルの国旗に入っている六芒星(ろくぼうせい)ダビデの星は、ユダヤ教、あるいはユダヤ民族を象徴するしるし。

子供の遊び歌「かごめかごめ」

http://youtu.be/VrgLy6TcO4o

歌詞は

かごめ かごめ
籠の中の 鳥は
いついつ 出やる 
夜明けの 晩に
鶴と亀が 滑った
後ろの正面 だあれ?

なんとなく歌っていたけど文にすると意味がわからない



古代ヘブライ語

カゴ・メー カゴ・メー
カグ・ノェ・ナカノ・トリー
イツィ・イツィ・ディユゥー
ヤー・アカ・パニティ
ツル・カメ・スーベシタ
ウーラッシュ・ショーメン・ダラ

意味は

誰が守る? 誰が守る?
堅く安置された物を取り出せ
契約の箱に封じ納められた 神器を取り出せ
神譜をとり 代わるお守りを作った
未開の地に 水をたくさん引いて
水を貯め その地を統治せよ

つまり‥

アークの箱を取り出せ
その地(日本)を開拓、統治しなさい

という昔日本へやってきたユダヤ人のメッセージだろうか?
こういう見方、解釈をするとなるほどと納得できる。

この歌の作者じゃないんで否定も肯定もできませんけどね(`・ω・´)

ねこかっぱさん ご伝授ありがとうございました。

クローバー

日本には昔、「秦氏:はたうじ」と呼ばれる人がいた。

秦氏は大陸からの渡来人であり、養蚕 機織(はたおり)の技術を伝えたと言われている。大陸というのは、朝鮮か中国と考えるのが普通であるが、秦氏が古代イスラエルと関係があるとしたら面白いんだよね。

なんか突拍子もない話でもないようなんで、例挙してみる。

文字
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言葉
発音も意味もほぼ一致する単語がある。
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上記以外に、こんなんが500ほどあるそうだ。

映画「インディジョーンズ:失われたアーク」
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この映画に出てくるアーク:聖櫃(せいひつ)あれって日本の神輿に似ている。
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さらにそのアーク自体が日本にあると主張する方もいる。
 
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赤い鳥居
トリイ(鳥居)は、ヘブライ語アラム方言で「門」という意味であり、神社のトリイは過越の前にヒソプで羊の血を塗った門を意味すると主張される。モーセによる“エジプト脱出事件”(紀元前1290年)にルーツを持っている。
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モーセは、かたくなな心を持つエジプト国王ラムセス2世に、ヘブライ奴隷集団の脱出を認めさせるため、一種の“魔術競争”をしたのであるが、エジプト脱出前日に“殺戮の天使”がエジプト全土に襲いかかって来た。その時、モーセは、ヘブライ人たちに神の災いに合わないように、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、災いが静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した。これが赤い(朱塗りの)鳥居のルーツであるかも。

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類似点についてキリがないほどあるんで詳しくは下の動画でどうそ。(消される前に見てね)


http://youtu.be/PlSUtZ-ueeA

http://youtu.be/-Z6v76_xVbA

http://youtu.be/7fz8uvZ6zCU

http://youtu.be/ZxbA9KwALOI

http://youtu.be/Umpv00xUaOk

http://youtu.be/oAS9P1FLXjg

http://youtu.be/TO6ObTBCcPM

「祇園祭り」「諏訪の御柱」「すもう」とユダヤの類似点など見ごたえあるよ(`・ω・´)

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家康VS信玄

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三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった、武田信玄軍2万7,000人と徳川家康軍1万1,000人)との間で行われた戦い。

信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、家康が大敗したことで有名な戦である。

この時の家康は恐怖のあまり脱糞したとも伝えられ、後の伊賀越えと並んで人生最大の危機とも言われる。浜松城へ到着した家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆるあ空城計を行う。そして、有名な顰像>$大井神社大祭総合研究所
↑恐怖で脱糞しちゃった姿を描かせると、湯漬けを食べてそのまま鼾を掻いて眠り込んだと言われる。

さて‥ もう一つの逸話

家康は逃げる際、空腹に耐えかね「小豆餅」の看板の茶屋に立ち寄る。
注文した小豆餅を食べ出すと遠くに追っ手が迫ってくるのが見える。
慌てて代金も払わず逃げ出す。茶屋のおばあさんが「食い逃げ!待て~」と追ってくる。
あまりにもしつこいので馬を止めて代金を支払う。

この茶屋があったのは今の旧東名「三方原サービスエリア」付近
地名は「小豆餅:あずきもち」
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おばあさんが家康から代金を受け取った場所が「銭取:ぜにとり」
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だったんだねDASH!

車窓の風が心地好いもんね得意げ

弁天島へ行ったら車両用の信号機が歩く位置にありました。

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