

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった、武田信玄軍2万7,000人と徳川家康軍1万1,000人)との間で行われた戦い。
信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、家康が大敗したことで有名な戦である。
この時の家康は恐怖のあまり脱糞したとも伝えられ、後の伊賀越えと並んで人生最大の危機とも言われる。浜松城へ到着した家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆるあ空城計を行う。そして、有名な顰像>

↑恐怖で脱糞しちゃった姿を描かせると、湯漬けを食べてそのまま鼾を掻いて眠り込んだと言われる。
さて‥ もう一つの逸話
家康は逃げる際、空腹に耐えかね「小豆餅」の看板の茶屋に立ち寄る。
注文した小豆餅を食べ出すと遠くに追っ手が迫ってくるのが見える。
慌てて代金も払わず逃げ出す。茶屋のおばあさんが「食い逃げ!待て~」と追ってくる。
あまりにもしつこいので馬を止めて代金を支払う。
この茶屋があったのは今の旧東名「三方原サービスエリア」付近
地名は「小豆餅:あずきもち」

おばあさんが家康から代金を受け取った場所が「銭取:ぜにとり」

