2 京都の紅葉を前回の平成29年度と異なる寺社を見学する(北野天満宮、東福寺など)。
京都初日は午後3時に関空に到着し、午後5時頃に京都駅に到着。一度、ホテルに行って、まずはチェックインする計画。ホテルは大浴場のあるホテルを物色し、いつもルートインを予約するが、とれなくてアパホテル京都駅堀川通を確保しました。1つ難点はベッドがセミダブル1つのみ。まあ、私たち夫婦はミニサイズなので何とかなるかとチャレンジしました。結果、何とかなりました。
さっそく荷物を置いて、初日の予定の北野天満宮へ。ここは、菅原道真公の勉学の神様。天神様ともいわれています。豊臣秀吉が大茶会を催したところです。ここも紅葉が目的です。お土居(おどい)のもみじがライトアップされています。行って知ったんですが、お土居とは、秀吉が京都の中と外を区別するために京都の町を囲むような万里の長城のように土手を作ったそうです。このお土居の内側を洛中、外側を洛外としたので、例えば、このお土居の内側にない、伏見は地元の人は「あそこは京都ではありゃしまへん。」と話すんですと。NHKの日本人のおなまえ京都特集で言ってました。
以前はぐるっと囲ってあったそうですが、今はところどころに残っていて、北野天満宮のお土居が有名だそうです。行ってみると、お土居の上について、それから紅葉を見ながら下に降りて、川沿いを歩きます。紅葉の美しさもすばらしいんですが、本当に大きな木がところどころにあって驚きます。ここでお茶菓子をいただいてバスで帰りました。

北野天満宮に行くときは西洞院バス停から50番のバスで行きました。満員でした。途中の二条城のプロジェクションマッピングが今年はじめて今の時期にやっているためのようでした。帰りは203番で京都駅まで帰って徒歩でホテルに5分くらいで戻りました。ホテルのすぐ横にセブンイレブンがあって、翌日の朝も早いのでコンビニで朝食用のパンと牛乳を買って戻りました。
翌日は、はじめに東福寺の紅葉です。京都駅から8番線でJR奈良線に乗って、東福寺駅で下車。たくさんの人が降ります。8時半開門なので、それに間に合わせるように7時半ころに着いたんですが、駅を降りて、道路の下をくぐって、表示に従うと左折になりますが、ここは無視して、まっすぐ行って、交番を左折し、北門につきます。ここを突き当りまで行って、霊源院につきます。ここを右折し、しばらくいくと日下門につきます。ここには警備員もいて、入るとすぐに大きなお寺の建物が見えます。すでにたくさんの人が開門をまって並んでいます。すでに500人くらいはいたでしょうか。入る前にトイレにいって並びました。たくさんいる割にはスムースに入ることができました。しかし、あんなにいた人が中に入っているのですから、中は立錐の余地もない満員電車状態です。太陽の光を浴びながら、臥雲橋で上に見える通天橋を仰ぎながら紅葉を眺めます。その後、下の窪地である洗玉潤に行き、再び登って通天橋に行きます。ここもすばらいい景色です。しかし、二つの橋とも混雑するため、撮影禁止になっていますが、だれもお構いなしです。係員のお兄さんが撮影は禁止ですと言っているそばでみんなスマホで写真をとっていました。ほぼ40分くらいで退場。

夕食は大丸京都店の裏側の錦町市場の入り口近くにある「桃屋」という串、ワイン、おばんざいの店です。3500円のコースに飲み物別で頼みました。湯葉の刺身、おばんざい、つくり(まぐろ、はまち、もうひとつ)、西京焼き、生麩の串など串5本、釜飯、モナカアイスでした。コース以外で、息子夫婦がちょっと前に京都に行ったときにおいしかったと言っていた鯖寿司をいただきました。はじめて食べましたが、京都人のソウルフードだそうで、本当においしかったです。ビール2杯と城陽酒造のたれくち酒をいただきました。この酒は絶品でした。店員の対応もよかったし、外まで見送ってくれましたので。
3 長谷川等伯・久蔵父子の絵を智積院で見る。
次は智積院です。地図では近いので、歩いて行こうと思いましたが、タクシーで移動しました。正解でした。タクシーでも10分くらいかかりましたので、歩いたら30分はかかったと思います。
智積院の目的は長谷川等伯の楓図とその子供の久蔵の桜図の本物をみることです。長谷川等伯は今の石川県七尾市の出身で、石川県立七尾美術館では定期的に長谷川等伯の絵を展示しています。実は私も4代前が七尾市の出身なので、とても親近感がわいており、ファンになりました。安部龍太郎の「等伯」という本があります。これを読むと、等伯の軌跡、久蔵のこともよくわかります。参考までにAmazonのサイトを添付しておきますね。↓
https://www.amazon.co.jp/%E7%AD%89%E4%BC%AF-%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E5%AE%89%E9%83%A8-%E9%BE%8D%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/453217113X

等伯は七尾から当時の狩野派が隆盛を極めた京都にでてきます。狩野派とは一線を画し、千利休などと懇意になる中で息子の久蔵とともに、狩野派を競う絵の流れを作り上げました。競い合った両派ともに、若くして狩野永徳が亡くなり、長谷川久蔵もなくなるという悲劇もありながらのドラマがあります。
等伯が好きなのは、絵が本当に美しいからです。狩野派も当時は巨木の松を襖いっぱいに書き込む手法が有名ですが、長谷川派はそれとは異なり私の私見ですが、美しい絵なんです。一度見てみてください。
智積院には宝物館があって、そこに等伯と久蔵の本物の絵が展示されています。一見の価値ありです。
絵を見た後は、庭を見に行きました。庭に面した畳の部屋は本当にあずましい場所で、とても落ち着きました。うとうと寝ている観光客もいました。今回の旅行でここが一番落ち着いたような気がします。
4 二条城、京都御所(蛤御門)というポピュラーな観光地に行く。
5 足腰の神社である護王神社をお参りし、お守りを購入する。
その後、二条城にタクシーで移動。二条城は茶人であり建築家である小堀遠州の作です。今回、京都旅行に行く前に小堀遠州について書いた葉室麟の「孤篷のひと」を読んだもので、関心がありましたし、ここは平成29年に京都に行った時には、大政奉還150周年でしたが、寄らなかったのでまずは行ってみようと思っていきました。まずは広いただただ広い。明治維新までは将軍家の京都の本陣のような場所でしたが、明治維新後は天皇の居所になったので、襖の取っ手の飾りが三つ葉葵から十六菊になったということが書いていましたし、実際そうでした
葉室麟著「孤篷のひと」↓
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%AD%A4%E7%AF%B7%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%81%A8&hvadid=335358204412&hvdev=c&jp-ad-ap=0&tag=yahhyd-22&ref=pd_sl_8imlj3a3tr_e
その後、場内の売店でうどんを食べて、タクシーで護王神社へ。護王神社は京都御苑の西側に接しています。足腰の神社で有名で、私たちが行った時にも女性ランナー4人組が来てました。和気清麻呂が祭主の神社のようでした。道鏡事件で失脚した清麻呂が鹿児島に流されるときに足がなえてしまったときにイノシシが現れて清麻呂の足が回復したことからイノシシが祭られています。中にはカリンの木があって、喘息回復も祈願できるそうです。今後のランナー人生を全うできるようにお守りを購入してきました。今回の私の買い物はこれのみです。

護王神社でお守りを購入し、向いの道路に渡って、京都御所の西側にある蛤御門から御苑に入ります。ご存知のとおり蛤御門は明治維新の際に薩長が戦った場所です。薩長同盟を結ぶ前で、犬猿の仲だった薩長が御所を守る薩摩に対して長州が戦ったもので、蛤御門の変、又は禁門の変ともいわれています。門の随所に鉄砲の弾痕が残っているのには驚きました。
ここから京都御所に入るために2,300メートル歩いて、清所門から入ります。ここは入場料はかかりません。宮内庁所管の施設のため、門のところに警官がいます。また、入場すると、入場証を渡されてはいります。すぐ右側に案内所があり、売店もありました。その隣にトイレがあったので、長時間になることも考えてトイレに行きました。
そこから、本当に広い建物を見て回りました。紫宸殿や健礼門など本当にお金がかかっている建物があります。そそくさと出てきました。
そこからタクシーに乗って大徳寺に移動です。
5 大徳寺の小堀遠州の菩提寺である孤篷庵を見る。
大徳寺には20以上の塔頭があります。
※塔頭(たっちゅう)は、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院。
そのすべてが拝観できるわけではなく、今回は特別拝観として、黄梅院(織田信長の父・信秀の追善供養のため創建された小庵)、総見院(織田信長の菩提を弔うため、豊臣秀吉によって建立された塔頭)、興臨院(室町時代創建で禅宗建築の代表作)が紹介されてました。このほかに、高桐院が紅葉で有名です。それと孤篷庵を見ようと思ってました。
ところが黄梅院、大仙院に入ると、ガイドの方がいて、本当に丁寧に説明してくれます。したがって時間がかかり、拝観時間が4時までということを知らず、時間超過で、総見院も高桐院も拝観できませんでした。総見院には信長の木造があり、見たかったんですが、見られませんでした。京都旅行の目的が紅葉だったので、高桐院に行けなかったのは致命的でした。
この段階で腰痛の奥様は歩くのも難渋しています。残すは孤篷庵。ここは大徳寺の西のちょっとはずれにあり、ちょっと歩きます。ここは拝観謝絶なので、中には入れないことはわかっていましたが、建物を外側からだけでも見たいと行きました。
ここは先に書いた小堀遠州の菩提寺で今も末裔の方が住んでいるのか管理しているのかしているようでした。ほとんど見えない状態でしたが表札がありましたので。
小堀遠州は前記の小説を読ん知りました。千利休、古田織部に続く茶人で、多くの作庭をしています。徳川家の旗本でもないのですが、江戸幕府の要職に就き、将軍家光の茶会などを開いたようです。

ここで、奥様の腰痛は限界に達し、タクシーを拾って京都駅にお土産を購入に行きました。ここも店の外までお客さんがレジ待ちしてました。
大方お土産を購入してから夕食会場に向かいました。
2日目の夕食は平成29年度に来た時にも行った「すき焼き炭火焼き居酒屋 北斗」です。おいしかったです。
、